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ダライラマが近くにいる日。
今日は朝昼兼用ごはんはシュナにサイスーリャでマサラドーサを買ってこさせてすませました。
(シュナはオニオンドーサ)

その後シュナは最近日本から帰ってきた日本人の男の子の友達のところに遊びに行こうとしてはやる心でスクーターごと階段から転げ落ち、しばらくして復活して遊びに行きました。

私は食べたら熟睡してました。

今日はシュナの学校は休みとのことで、なんでかな?と思ったら、どうもクリシュナのお祭りみたいです。
でも、星の関係で、ほんとは今日だけど、アシュラムのプログラムとしては明日行われるみたいです。

そういう星の動きとか、時間帯とかって、アシュラムの行事はよくちゃんと気にしてるみたいですよね。

聞くところによると、今週の土曜日にシヴァとパールバティの結婚のプージャがアシュラムで行われるそうなんですが、
(3日間行われるとか?)
そういうのはババのバーススター(アールッドラ)の日にやるそうで、今度の土曜がそうらしいです。

でも、ほんとかどうか知りませんけど。

今日はわりと晴れていました。


チベッタンレストランでスイートラッシーだけ頼んで休憩しました。

そしたら壁に新聞記事の切抜きがはってありました。

今、ダライラマがマイソールの近くのチベットの大きい新しいお寺に来てるみたいで、すごく大きなイベントをやってるっぽかったです。

そういえば、こないだシルディから列車で帰ってくるときに知り合った、バンガロールの大学だか大学院だかを卒業して、今はバンガロールに就職に行くというやたらかんじのいい親切なチベット人のお兄ちゃんと知り合いになって、シュナもべたべたになついていたのですが、
そのお兄ちゃんとしゃべってるうちに、

その新しい大きいマイソールの近くのチベット寺の話になって、今度、9月1日くらいにダライラマが来るから、泊まるとことか全部用意して
どうやったらいいか教えてあげるよといってくれて、

ダライラマがそこに来るときに私とシュナを世話してくれたそうだったのですが、
あまりやたらと知り合いのつながりは作らないほうがいいので、
なんとなく断ったような断ってないような、日本人の得意のあやふやな感じで別れました。

しかし感じのいいおにいちゃんでした。
その列車は12時間遅れたのですが、そのおにいちゃんはデリーでお坊さんたちと一緒に列車を待ったとかいってなんだか嬉しそうでした。

わたしらもシルディの駅で12時間待ったといったら驚いてました。

それはいいんですけど、新聞記事を見たらずいぶんなビッグイベントだったみたいで、ほぇー、と思いました。
ダライラマの写真もありましたが、なんだかやせておじいちゃんになったなあと思いました。

ダライラマはもう、ダライラマは自分で終わりでいいとか言ってるとか聞いたような気もしますが、どうなんでしょうね。
昔ダライラマは私のアイドルだったので、今も好きですが、
勝手ながらいつもそこはかとない悲しみと気の毒な気持ちともに思わずにはいられません。

一時期よく夢に出てきて、しゃべったり、いろいろありました。
いっぺん、ダラムサラに10数年前に行ったとき、翌日に会えて、(他の人たち大勢と一緒にですが)
握手してもらったのはいい思い出です。

もし私が過去生でチベットにいたことがあったのなら、きっとほとんどいい思い出しかなかった、幸せな人生だったに違いないと思います。

沖縄に関してもそう思います。

自分のいいとこだけしか出ない感じがするので。



初めてインドに来て、プッタパルティに来たとき、アシュラム滞在中になんとなくずっと一緒にいた女性がいるのですが、彼女はその後もちょくちょくプッタパルティに来てますが、

何回かまえにきたときに、帰りの飛行機を降りたらチベットのお坊さんたちと、空港の廊下で一緒になって、
そのうちの一人が彼女を呼んで、「インドではどこに行って来たの?」とか聞かれたりして、「プッタパルティのサイババのアシュラムに行ってたんです」とかなんとか答えて、いろいろ楽しくおしゃべりしながら一緒に空港の廊下をイミグレだと思いますが、
そっちのほうまで歩いていったそうです。

で、その人たちと別れたあとに、
周りに人に「誰としゃべってたか知ってるの?」とか聞かれ、知らなかったそうなのですが、
彼女はダライラマ本人に呼ばれて、彼とずっとしゃべってたそうです(笑)


ダライラマも数年前にプッタパルティにババに会いに来たそうですが、
その時は私は来てなかったのかどこかにいっていたのか、
知りませんでした。


ちなみにその15年前インドに来たときに、前を歩いていくサイババとたまたま一緒に写真に写ったのですが、
彼女はきちんと合掌して、集中しきった涼やかな、最高に美しい姿で写っていましたが、
隣にいたわたしは口をあけてぽかんとした顔でババをながめていました。

そういう瞬間に、出るんでしょうね。その人が。


夕方は6時半過ぎにアシュラムに行きました。

なんか、むちゃくちゃ混んでいました。

ホールの、男性側の外の通路も人でいっぱいで身動きできないくらいになってて、
というのは、ちょうどババが来る直前だったので、みんなそこで立ち止まっちゃってたので、
大変な人ごみでした。

今日がクリシュナのお祭りだと思って来ちゃった人とかいそうですよね?


ババが来るとこだったので、女性側のゲートもしまってて、私らはそこらへんに座って状況が変わるのを待ちました。

しばらくしてババが来たので、女性側のゲートが開き、私たちも階段を上って中に行きました。

でも、ホールの中はいっぱいで、入らしてくれなくて、トークンの場所にみんな座らされました。

ま、それでもそこからホールの中のババを見てたのですが、
そのうち帰る人と入れ替わりに中に入れるようになったので入りました。

バジャンがずっと行われていたのですが、
今日はババは普通にさっと帰りました。

しかしすごい人ごみで、しかも女性側の出口の階段の幅が工事のために普段の半分になってるので、
人の圧力がすごかったです。

さすがに背の低いシュナは窒息しかねないので抱き上げて階段を下りました。


いやあ、なかなか大変です。



そのあとはウエスタンキャンティーンで夕食を食べました。


そのあと、シュナはキャンティーンの前で、赤ちゃんのときから知ってるドイツ人の英語がぺらぺらの男の子と遊び(そのこが主名の英語力に合わせて片言でしゃべってくれてるのが、聞いてて面白かったです。子供は本能的にそういうことしますよね。)、私は日本から来た本をしばらく読んでから部屋に帰りました。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2010/09/02 02:38】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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