スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
シヴァとパールバティの結婚式
今朝はシュナを学校にやった後、ご飯配りをして、その後はずっと部屋にいました。

昼も部屋でつくって食べました。

最近出歩いてばかりなので、区切らなくていい、邪魔されない時間をすごせると「これがほんとだよなー」とか思います。

以前、半年間まったく何も用事をいれずに、一歩も家から出ずに超然と?すごしてみたことがあって、
半年間、自分のやりたいことをやりたいだけやりたいようにやってたので、それがどこかで自分の基本として残ってます。

しかし夕方にはシュナが帰ってきて、今日持っていったフルーツとパンをいたずらっ子に食べられたから昼ごはん食べれんかったー、とかいうので、なんやねんそれ!と、イラつきました。
学校のいたずらっ子は確かにひどいみたいですが、シュナにも何か引っかかるところがあるので。
食べられてもぜんぜん気にしてなさそうだし、なんか言い訳っぽいし、
何か隠してるだろ、という。

たぶん、学校の売店でお菓子を買って食べておなかいっぱいになったんじゃないかと思います。

わたしがこづかいをやるのがいけないんですけど。

弁当を持たすのは作るにしろ買うにしろ、毎朝ごちょごちょ動くのは結構めんどくさいので、いいかげんなことをされると心底嫌になります。
学校も、しょうもない駄菓子を売る売店なんか設置せずに、簡単な食堂を作って、子供にできたてのご飯を食べさせて、親の負担を減らしてほしいです。

しかし、何でヒトの弁当食べるかな。
パンはビニール袋に入れて弁当かばんに入れといたから外から見えるにしても、フルーツはスチール?の弁当箱の中なのに。
だいぶ子供たち野放しの学校みたいです。

シュナは数年前行ってた学校でもサルに弁当を奪われたりしてたので、なんか、シュナに原因があるような気もします。トラブルがシュナの周りに引き寄せられる感じ。

お守りもたせてもすぐになくなったりするし。


夕方はハヌマーンテンプルにちょっと顔を出して、シュナは友達のところに遊びに行ってから寺に来ると言ってたのですが、今日はシヴァとパールバティの結婚式のイベントがアシュラムであるから、プージャもさっさと終わったので、シュナは間に合いませんでした。


私は疲労回復、と思って、ラッシーやさんで栄養ドリンクのようにラッシーを一気飲みし、そのあと、チャイやさんでチャイも飲もうと思って、知り合いと一緒に歩いて向かってたらようやくシュナが来て合流しました。

チャイやで3人ともチャイを飲んで、知り合いはそのままアシュラムに行って、私のそのまま行くつもりだったのですが、
シュナが巨大ななんか剣?みたいなおもちゃを借りてきてたので、そのままアシュラムに行かず、いったんそれを部屋に置きに行きました。

剣とか鉄砲とか、弓矢とか、遊ぶのは勝手だけど、アシュラムに持って入るにはおもちゃと言えどもそのコンセプトが不適切なので、頭が痛いです。



アシュラムに行ったらバジャンをやってました。

プージャかヤグニャか知りませんが、立派にセッティングしてありました。

ババは前に座っていました。

バジャンはシヴァバジャンをやってて、すごく盛り上がっていました。

女性側の入り口から入ると、ホールの中には入れず、またもやトークンスペースに行かされました。

最近こんなん多いです。
人が少なくならないです。
今はネパールから3000人だか4000人だかのグループが来てるとかいう話です。
そんなでかいグループ、どうなってんの?とか思います。

外からババを眺めていましたが、そのうち、プラサードが配られ始めました。



甘いお菓子一個とかじゃなくて、おさらに何種類かのご飯やバナナ、お菓子、別の袋にもなんか入ったやつが配られてて、トークンスペースは騒然とした感じになりました。

トークンスペースまでは配られなかったので、
ホールとの境目の壁にみんなよじ登って手を出したりとすごいことになってました。

で、そういう積極的な人たちは次々とそのプラサードをゲットして行ってたのですが、
私はそんな気力もないし、遠くで眺めてたのですが、
そしたらシュナがほしいほしいといって、わたしにも壁に上れとかいってきて、
彼自身も行って壁に上って手を出してましたが、背がちっさいのでゲットできず。

で、もらえるんだったらもらえるし、もらえないんだったらもらえないでしょ、と、鷹揚に構えてたらほっとかれて、たいていもらえないのですが、そんなかんじで今日の豪華晩プラサードものがしました。

しかし、あのすさまじい中には入りたくないという感じでした。
奪い合いですもん。
みんながみんなそうじゃないですが、なんか、みんなをそういうふうに殺気立たせて駆り立てるような雰囲気と言うか、配り方と言うか、そういうのもあるんですよね。

和をもって尊しとなす日本に生まれた私としては、そんなにぐちゃぐちゃになることが不思議ですらあります。
根本的なやり方が間違ってるとしか思えません。

でも、何が間違ってるとかそういうんじゃなくて、ここはそうなんでしょう。
この悪循環は年々ひどくなってるように思います。

年々、アシュラムにサイババ詣でに来る一般インド人ツアー客の数が増えてるからと思います。
ここは魚市場か!?みたいな活気です。

10数年前とかだったらもっと今より、マニアックな内省的な感じの人が来てたと思うので、静寂のムードが濃かったです。
もっと透明感と繊細さが空気にありました。

今はエネルギーはすごいし、何かにつけどんどん大規模になってますけど、天界の静寂、とか、至高の平安、とかそういうんじゃなくて、
エネルギー大爆発、どわーーーー!!!!ぎゃーーーー!!!どかーーーーん!!てかんじです。


しかし誰か親切なヒトが自分のもらったプラサードを一口ずつみんなに分けてあげてたので、私とシュナも一口ずつもらいました。
それで十分だろうと思って帰ろうかと思いましたが、シュナがほしがるので、状況が変わるかと思ってもうしばらく粘ってみました。

1人で5個くらいプラサードを持ってる人もいて、(つまり5人前のご飯)そういうのはちょっと、取り締まってほしいよなーと思うんですけど、でも、そんだけ欲しかったんでしょうね。

結局、意欲なく単に受身で待ってるうちに完全に品切れになり、最後はホールの中で再び少し配られるみたいだったので、もらってない人はホールの中になだれ込んだのですが、そしたらホールの出口を閉められて出ることもできなくなり、

シュナは自分が欲しいといったくせに心はもうウエスタンキャンティーンに行っていて、キャンティーンがこうしてる間に閉まっちゃわないか心配して「もう行こうよ」とか言っていました。
「あんたが欲しいっていったんやろ!」かるくキレてみせときました。

肝心のあとから運び込まれたプラサードもセバダルにだけだといわれ、そのまま反対側の出口からみんな出さされました。

なので靴を取るのもできなかったので、そのまま裸足でウエスタンキャンティーンに食事に行きました。


あー、疲れた、と思い、ババの家の前を通るときに「これはいったいどういうことですか」みたいに心の中で聞いてみたら、「それにはもう関わるな」という答えが返ってきました。
プラサード争奪戦に関わると、ほんと、ろくなことがないです。


このイベントは3日間あると聞きましたが、月曜までなんでしょうか?

なんかぐちゃぐちゃで、ババがいつ家に帰ったかも分かりませんでした。

脳がしびれっぱなしです。


そういえばシュナに耳の薬を飲ませるのも、今日はまる一日完全に忘れてました。

次の火曜で病院を放免されたいので、飲ませよう、、、。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2010/09/05 02:20】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<夜のダルシャンにババが来なかった。 | ホーム | カタカリたち。>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/1419-ffeb21ec
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。