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おとといと昨日と今日と。
おとといは、夕方にハヌマーンテンプルでトラヨダシプージャがあったんですけど、行ったら、だれかがヤグニャをやるみたいで、トラヨダシプージャはまだ始まらないみたいだったので、先にアシュラムに行きました。

7時前だったかババが来て、なんだかごく普通にダルシャンでした。
でも、前日ババは来なかったので、この日ももしかしてダルシャンないのかな?という感じだったので、
ババが来たら全員総立ちで前に詰め掛けてすごいというかなんというか。。。

シヴァとパールバティの結婚式のプージャのはずだったんですけど、日曜日(おとといの前の日)ババは少し体調不良と聞きましたが午後のダルシャンもなかったし、
3日目もプラサードとかもなしでごく普通に終わりました。

でもいいダルシャンで、ババを見たらまたハヌマーンテンプルに戻るつもりもあったんですが、結局アルティが終わってババが家に帰るまで、ずっとホールに座ってました。

その後ハヌマーンテンプルに行ったらちょうどトラヨダシプージャのアルティをやってたので、参加して、プラサードをもらいました。
その前に行われたヤグニャの灰やプラサードももらいました。


昨日は午前はシュナをジェネラルホスピタルに連れて行きました。
耳の中が少しまだ赤いということで。

昨日はかなりの人で、私らの耳鼻科の順番は63番目でした。
私らの後にも次々来てたので、全部で何人になったのか知らないですが、多かったです。

なので、売店でイドリー(インドの蒸しパン)とかドーナツとかかって、
朝食がまだだったのでそこらへんで座って食べて、その後は順番が来るまで
私もシュナも本を読んでました。
(シュナはドラえもん)

自分たちの順番が回ってきたとき、お医者さんに「昨日、シュナは喘息が出てて薬を飲ませてたから、耳の薬は飲ませられなかったんです」と、半分ほんとのことを言ったら(半分は、単に飲ますのを忘れてた)

お医者さんはデリーでもらった喘息の薬をチェックしてくれて、
「これはきついから、私たちはこんな小さい子には普通これは処方しないよ。飲ますならこっちだけにしなさい」とか
「すごく症状が出てるときにはこっちも飲ましなさい」
とか教えてくれたのでよかったです。

確かに、すごくよく効くので、私もシュナも喜んでたんですが。

で、また金曜に来るようにいわれました。
おー、またか。。。

処方された薬を受け取る列も長蛇で、しかもぎゅうぎゅうだったので、人が少なくなるまでまた離れたところで座って本を読んでました。

で、昼からシュナを学校にやりました。


午後のダルシャンは、また7時前に行ったのですが、またババもそのころに来てたと思います。
昨日はぐるぐるうずまきのおかきみたいなお菓子と、ラドゥー(ボール状の甘いお菓子)のセットがプラサードでした。

この2つがセットだなんて、なんだかめずらしいなー、と思ったのですが、もしかしたら前日の、ほんとならシヴァとパールバティの結婚式のプージャで配られる予定だったプラサードだったのかもな、と思いました。

ぐるぐるとボールが、シヴァとパールバティってかんじがしたので。

ババは男性側と女性側に両手ブレスをして、その後正面にも何回もブレスしていました。

ババが帰るときにはホールから大きな拍手が沸き起こっていました。



そのあと、私たちはウエスタンキャンティーンでご飯を食べました。
ここ数日内臓が疲弊してる感じで、ウエスタンの脂っこいご飯を食べる気もしなかったのですが、
行ってみると、きっとこの日はプロの手が加わってたのかもしれないですが、
見たことないメニューがいっぱい並んでて、どれもすごくおいしくてさっぱりしてたので、
思わずあれもこれもといっぱいとって、すごいいっぱい食べました。

どれもすごくおいしかったです。
シュナも「違うご飯やさんにきたみたい」とか言ってました。

インドネシアの人たちが作ったのかなあ?
サラダっぽいのも何種類かあって、さっぱりしてて、一つ一つの料理の味が複雑ながらもしっかりさっぱりしてて、とてもおいしかったです。

デザートも秀逸でした。
変わった飲み物もありました。

時々、こういう、プロ?の手が入ったな、という、料理がどれも2段階くらいレベルアップする時期があるのですが、やっぱそういう時はほくほくした気分になりますよね。

あれもこれも、シュナもお腹がカンカンに硬くなるまで食べてましたが、
2人で250円くらいですむので、こういうときはなんか特例的に褒美が与えられてるような気もちになります。

おいしくて、一生懸命積極的に食べたのですが、
なんとなく、他の人たちもおいしいご飯に幸福そうに見えました。



今朝はサイスーリャで食べて、シュナの昼ごはんもそこのサンドイッチを持たせました。
おやつはシュナは前の日から自分で用意してました。

昼ごはんのおべんとうを他の子に食べられたり、食べたり、というのはインドではごく日常という話も聞きましたが、知らないうちに食べられてたらいくらなんでもショックですよねー?

シュナは休み時間によく手紙を製作して、帰宅したらくれるんですが、
プレゼントの箱の絵とともに、「きょう、がっこうでむかでがいっぱいいたよ」とか、
絵と一緒に「10ルピーちょうだい」
というメッセージのときもあったり、(「いや。」終わり。)

「ハリー(ともだち)もたたくし、もういやだい。せんせいもたたくしいったいどうしたらいいの?」
という切実なときもあります。

そのときは、つめが伸びてる、というので、先生に棒で手をたたかれて、指2本が流血(下にたれるくらい)したそうで、
学校では泣かなかったそうなのですが、さすがに帰ってきてからひぃ~~~~ん、と号泣してました。

かわいそうに、、、と思ってしばしなぐさめていたのですが、
しばらくシュナが部屋にいるとわたしも間もなくぶちぎれてくるのでした。

なにかそういうフェロモン?じゃないですけど、そういうにおいというかイラッとさせる、いっぺんビシッとゆったらないかん、みたいなバイブレーションを発してるんじゃないかと思います。

やっぱり叩かれやすい子とそうじゃない子がいるわけで、
シュナはどっちかというとたたかれやすい子と思います。

保護者の姿がわたしなので弱そう、というのもあったりするかもしれないですが、
よく思うのですが、
人間は平等じゃないなーと。

もちろんいつも誰もがその人なりのベストを尽くしてるわけなんですけど、しょうがないですよね。
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【2010/09/08 19:47】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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