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インドネシアとモスリムのプログラム。
今朝はまたジェネラルホスピタルに行きました。

(あ、主名に薬飲ませてないのを今思い出しました)

今日はほとんどラストの患者としていったので、お医者さんもゆったりしてて、細い掃除機みたいなのや水や薬で耳掃除もしてくれてよかったです。

主名の耳はちょっと気になってたので、今回ゆっくり見てもらってよかったです。

もう治ったと思ってましたが、聴診器を当てたらまだ喘息が残ってたみたいだったので、小児科にも連れて行かれて、喘息の薬と咳の薬ももらいました。

新顔の、すごく若い、やる気も気力も気合もまだ十分入ってる感じの男性の小児科医でした。


ようやく耳鼻科は放免です。よかったです。
年配の女性の先生にかかったのですが、やさしくて、すごく感じがよかったです。
だから、4回も通う気になったのでした。
薬をちゃんと飲ましてないことに気がついてたと思いますが怒らなかったし。



そのあとチベッタンレストランでご飯を食べて、主名は友達のところに行き、私は数週間休んでた音楽教室に行きました。

そしたら、教室は消滅してました。
どうも、教室を引っ越したみたいです。
まあいいわ、道とかで先生に会ったら「いったけど教室がなかったです」っていおう。
(行き先は知ってるけど)

なので、そのあと、主名の遊び先にちょっと顔を出して、
その後ネットカフェに来て、(今も)

6時過ぎにダルシャンに行きました。

行ってしばらくしたらババが来ました。


今日は、インドネシアのグループがプログラムをしました。
子供たちがバリの踊りを踊ったりして、とてもよかったです。
インドネシアの踊りはいつもバリのを持ってくるんでしょうか?
あれはガムランでしょうか。
とてもレベルが高くて、目が離せない感じでした。

この音楽は聴いたことあるけどどこでだっけ、、、?と思いました。
昔いた離島にあったアジア雑貨屋さんでいつもかかってたのか、、自分が働きながらかけてたCDなのか、
それとも、沖縄の音楽とごっちゃになってるのか。


とにかく、バリの神様がここに来てる感じがしました。
インドネシアの人々と一緒に来てるんでしょうね。

いろんな神様がいるけど、その神聖なものは共通だというかんじがしました。

劇とかもやってて、
両親のありがたさ、みたいなものも織り込まれてて、なかなかよかったです。

なぜか途中でシヴァも出てきて、踊ってました。
そして、「わたしはシヴァ。私は無形だ」みたいなことを言ってました。

ああー、堪能した。
おなかすいたなー、プラサード何かな、とか思ってたら、
裏からモスリムの格好をした人たちがでてきて、ラマダンに関するプログラムを始めました。

ババの学生の中のモスリムの者たちがやってたんだろうと思いますが、

うー、これからまたやるのかー、と、正直思いましたが、明日はガネーシャチャトルティみたいだし、
日程の都合でしょうがなかったんじゃないかと思います。


しかし、インドネシアの踊りとかムードがすごく女性的な感じだったのに対して、
このモスリムのはすごく男性的だったので、ううっ、ちょっと今はパス、、、とか思いました。
インドネシアのええかんじの余韻がかき消された感じで。(わたしの心は狭いのです)

モスリムの出し物のでは、しゃべりも多かったのですが、
いろんな宗教の者たちがここにこうやって、あなたゆえに集まってひとつになっていますスワミ!みたいなことを言ってて、拍手とか起こってたのですが、それは確かにそうなんですけど、

わたしはインドネシアの精妙な光り輝く余韻のままでいたかったなーとか思ったんですけど。。。


男モスリム連中は強烈なんで、別のときにそれだけで見たかったです。

歌とかスーフィー風の踊りとか、モスリムの人たちが一日に何回かいっせいにする床に伏せるお祈りをババに向かって、並んでしてました。

主名の幼なじみの男の子もモスリムなので、ババのすぐ前にお兄ちゃんと一緒に座ってるのが見えました。
群衆の中でともに一生懸命前に行こうとしてた日々ははるか遠く、、、不思議な感じもします。

プラサードは、編んだかわいい入れ物に入れたキャンディーでした。
たぶんインドネシアの人たちが用意した。
いっこいっこ手作りでしょうか?
少なくとも、キャンディーは手で入れていったと思いますが、すごい手間ですよね。

ババは誰かにネックレスを物質化したり、記念撮影をしたりしていました。

で、男性側や女性側や正面に何回かブレスをしました。

わたしたちはババが家に帰るのを待たずに先に外に出ました。
それでも9時過ぎてました。

そりゃ、お腹もすくはずだ。





今日はネットカフェで主名にユーチューブでウルトラマンを見せてやるといっていたので、主名はサウスでさっと食べて早くネットカフェに来たかったみたいですが、わたしはここ数日のウエスタンのインドネシア料理に味を占めてたので、サウスはいやだと言い張って、ウエスタンに行きました。

そしたら普通のウエスタンのご飯だったのでがっかりしました。

あーこれだったらサウスの方が10倍よかったわ。と言ったら、
主名は「今日はさわこの負けで、ぼく、、、おれの勝ちだね」とか言ってました。

そうかー、今日はインドネシアの人たちがプログラムをやってたから、ウエスタンでご飯作ってる暇なんかないですよね。うかつでした。


執着すると取り上げられるって感じですか。がく。


しかし、ジェネラルホスピタルの耳鼻科のプライドの高そうな男のお医者さんがウエスタンのご飯を給仕してました。主名が気がついて私に言ったんですけど、あのお医者さんが、と、すごく意外だったし、感心しました。
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【2010/09/11 01:59】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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