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肝臓話。
肝臓話。

今回、わたしがどうしようもない感じになってるときに救世主のように登場したアーユルヴェーダの薬、「Liv.52DS」ですが、このLiv.52は世界で一番売れてるタブレットだという話を聞きました。

わたしも肝臓の特効薬として、名前だけは聞いたことがありました。

実際、今回わたしの症状にはどんぴしゃで、おかげで助かった~、というかんじです。
これは、、、ちょっと、回復無理かも。とか思いましたもん。

今はまだ100パーセントとはいきませんが、50~60パーセントくらいは体調も回復しました。
気分的にはほぼ100パーセント回復です。

少量とはいえ、一応もうご飯でも何でも味わって食べられるようになったのでそれがうれしいです。
でもコーヒーとか紅茶とか、スパイス類はまだとる気がしないですが。

具合が悪くなると体感的に分かることもたくさんありますね。

紅茶なんかはインド人はなぜか濃いほうが高級みたいな感じがあるのか、煮出して作ることもあり、相当濃いです。
肝臓の具合が悪くなると、まず、紅茶は飲みたくなくなりました。

ご飯もなぜか火の通ったものは一切食べれなくなりました。
なにか匂いとかそういうのでもだめになってたのかも。

果物は何でも食べれました。りんご、バナナ、パパイヤ、ざくろ。
インドに果物があってよかったよ、、、

なので1週間くらいほとんどりんごとバナナが主食の野生生物のような食生活をしました。

でもそれだとなんとなく不安なので、主名のご飯の、ゆでたジャガイモを一口とか、味のないものか、単なる塩味ならあまりおえっとならずに一口、2口食べれました。

それだけ、煮た野菜とかおかゆですら厳しかったのに、りんごを食べるのがまったく問題なかったのは、不思議でした。

バナナは、以前戦争が終わったのを知らずにジャングルでバナナを主食にして1人で戦争を続けて健康に生き延びた日本兵の話を本で読んだことがあったので、

バナナだけで何十年も生きれるんだし、と思って、今回肝臓が問題になってから1日1本くらい食べるようにしてたのですが、たまたまかもしれないですがある日バナナを半分食べた後すごく具合が悪くなったので、その後は怖くなって食べてません。

でももう平気と思いますが、
しかし、ジャングルの中で何十年もバナナで生きてた人、病気にもなったりしたみたいですけど、ものすごい精神力だなとか思いました。
実際、その人も最初は何人か仲間がいたけどみんな次々死んでしまったんだったと思います。

私はもう、そんなことになったら食べるのやめて楽になろうとか思うと思います。

自分が病みあがりなだけに、その日本兵の精神の強靭さ(肉体もですが)のすごさを実感します。
私が今回具合が悪いときに、さらに、そのバナナも自分で調達しなければいけないとかいうんだったら
「無理~」
と言って死んでると思います。

水も調達しないといけないし、ベッドもないし、話し相手もいないし。

雨が降ったり蚊が来たり。


あと、ホットミルクやラッシーは少し飲めました。
レモン水は結構飲めました。
生野菜は食べることができました。

何でも食べれるにこしたことはないですが、
やはり、具合が悪くなると、どういうものが体に負担が大きくて、どういうものが負担が大きくないかというのがハッキリわかるので、
回復して何でも食べられるようになって、そういう感覚が薄れるのが少し惜しいような気もします。

火を通してやわらかくしたものが体にいいというイメージもあったのですが、今回、肝臓のものさしからするとぜんぜんそうでもなかったので、他のものがどんなにだめでもリンゴが普通にパクパク食べれるのはほんとに不思議な感じでした。

電話で、インド人と結婚して多分7~8年くらいはこっちに住んでる知人(Liv.52を飲むといいかもとアドバイスしてくれた)としゃべったのですが、
やっぱりインドに住んでると煮出したチャイを飲む頻度も増えるし、スパイスの摂取量が増えるので、自覚がなくても普段から肝臓が疲れてるんだそうです。

すみ始めて何年とかたつと、辛いものもそれなりにおいしく食べられるようになるし、さらにスパイスの摂取量が増えていきますしね。


しかしまた別の説も聞きました。

肝臓は感情(怒りとか)に対応するから、インドにいるとそういう感情が掻き立てられることが多くなって、それでも肝臓が疲労するとか何とか。

しかし、そういう感情を出さないで静かに肝臓ガンになったりするよりも、むしろ、今回の私のように時々、肝臓具合悪い~!というふうに症状に出るほうがいいのかもとかなんとか。

怒りと聞いて、相当思い当たることはありますが、
怒っても自分の体に反動が来るんだったら割に合わないので、とにかく、自分の体が楽になるように、体に聞きながら何でもやっていかないといけないなあと思います。



しかし、インドで街中にいながら、ほんと、なんにも食べるものがない!食べれるものがない!というのだけは、インドを旅行して体験した人にしか分からないだろうと思います。

ほんと、何にも食べられるものがない!

10数年前にはバックパックは背負ってなかったのでバックパッカーといえるのかは怪しいけど、数ヶ月間アジア各国(日帰りも含めると10カ国)を貧乏旅行した時期がありました。

日本でも広い公園や海辺、キャンプ場などでキャンプしたり住み込みで働いたりしながらの放浪同然のきままな生活を送っていたので、それが外国に場所を移動した感じだったのですが、

インドは旅行するにはすごく面白い国だったけど、食べれるものがなくて、インドにいたのはその時は合計1ヶ月くらいじゃないかと思いますが、とにかくガリガリに痩せました。

そのころはインドの料理の名前も今以上に知らなかったし、
どういう風に言ったら辛くないものがでてくるかも知らなかったので、ひたすらベジタブルフライドライスばかり食べてました。

今回は多少苦労して、メニューにない「湯で野菜」は作ってもらえるようになったので、(塩味だけの料理とかが想定外らしく、なかなかこちらのイメージが伝わらないです)わたしらが辛いのがだめという情報も伝わったらしく、注文を出しに行くのも主名にやらせてることもあり?辛くなく作ってもらえるようになりました。
(主名は毎回5回くらい「スパイスなし!」と連呼してます。)

しかし今朝はベジタブルパコラ(野菜のてんぷら)を単品で頼んだら、衣の中にチリパウダー混入で上にもなにかかけてて思いっきりスパイス効きまくってて、わたしのホットレモンウォーターも海水のような塩味でした。
やられた!これだよ、、、というかんじです。

イメージと違う食べ物ばかり出てきて食べられないと、ホント、生きる気力もそがれてしょんぼりした感じになります。

主名なんか顕著で、おいしいときはうきうきして実際はねてますが、食べられないとほんとにしょんぼりしてしぼんでます。

そんな気持ちをたくさん味わわせてくれる国、インド、、、ってかんじです。

でも、インド人ももうちょっと薄味に慣れたほうがいいんじゃないかと、思うんですけど。
肝臓を常に壊してるようななんともいえない恐ろしい顔色の人多いですもん。

今回もLiv.52を買いに行くのをホテルの人に頼んだら、「これでしょ」と、レセプションに常備薬としておいてありましたから。

いい薬が開発されるにはわけが(需要が)ある、というところなんでしょう。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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