スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
ああ、学校は。。。?
今日は、主名はきちんと時間に間に合うように用意して学校に行きました。
マトゥラーから戻ってきてから初めてなので、実に一ヶ月ぶりくらいでしょうか。

わたしはその後自分のご飯をアシュラムのパン屋で食べました。

今、N棟の裏で無料で食事を3食配ってるので、
朝ごはんは食べたけど、様子を見に行きました。

そこにいたセバダルに聞いたところ、食事の時間はサウスインディアンキャンティーンとほとんど一緒なかんじでした。

あしたは朝、ここに食べに行こうかな?

今月25日くらいまで配るそうです。
聞いたところによると北インドの帰依者が大金を寄付したとか何とか?


部屋に帰ったら主名が漫画を読んでいました。。。

今日から10日間学校は休みだそうです。。。久々の登校だったのに。



昼はチベッタンレストランで食べて、主名は友達の家に遊びに行き、わたしは知人のお店に写真を撮りに行きました。

夕方雨が降ってきました。
いつのまにか主名も友達の家からこっちに来ました。

そのあと荷物を部屋に置きに行って、ダルシャンに行きました。
6時半ごろだったでしょうか?

ババはもう来ててバジャンになってて、、あ、じゃないや。
ババはアシュラムの外に車で出かけてたんでした。

なので女性側に行こうとしたら通行止めで通れなかったので、引き返し、主名は男性側に入り、私はぐるっと回って女性側に入りました。

今日もトークンスペースまでしか入れなかったので、適当なとこに座ってみてました。

私が女性側に入ったときにはババはもう戻ってきてて、ホールの中をサリーやドーティーを関係者に配ったりしながらうろうろしていました。

うろうろして、ババはそのまま家に帰ったような気がします。
なんか、何が起こったかよく分からなくて、ホールの中の人もみんなわーっと帰っていったのですが、バジャンは続いてて、あれ?どうなってんの?てかんじでした。

しばらくして、待つのがいやになったので、主名と待ち合わせをしてたウエスタンキャンティーンに行きました。

主名はまだ来てなかったのでしばらくそこらへんに座ってましたが、アルティになったので、ババの家が見えるほうから家に入っていくババを見ようと思って行ったのですが、
ババの姿はなかったので、やっぱりそのままさっき家に帰っちゃったのかもしれないなと思いました。

よくわからんかんじでした。

その後主名と会ってウエスタンで夕食を食べました。
主名はフライドライスとかスープとか食べてましたが、私はスパゲティにしました。
実は病気してたときにおいしいスパゲティが食べたいと思ってて、今日のはおいしそうだったので
食べました。

欲望が満たされて満足しました。
パスタはサイババアシュラムのウエスタンキャンティーンのパスタがインドで一番おいしいんじゃないかと思います。
ラザニアとかも、その日によりますが、おいしいときはホントすごくおいしいです。
ちゃんとイタリア人の手とチェックが入ってるので。
食べる外国人たちの舌も肥えてるし。


インドの高級なホテルとかでもパスタはいつも思い切りがっかりなのが多いですから。
なんというか、根本的に違うものが出てくるというか。
根本的にコンセプトが違う感じ。

いやしかし、食べることになると書くのにも熱が入りますね。
こう1

降誕祭気分をもりあげるためか、アシュラムのあちこちにこんな門がインスタントな感じで新設されてます。

門、か~、と思いました。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【2010/11/17 01:56】 | 主名の学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<コーチングスクール、マニプリのクリシュナ。ラクシュミー、ガヤトリー、バジャン&プージャ。 | ホーム | 無料の食事、は楽しい。>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/1497-112ade33
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。