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午前も午後もロングダルシャンでした。
午前、主名が学校から帰ってきてちょっと休憩してから11時くらいにアシュラムに行きました。
午前なのにすごい人でした。

女性側の階段を上ると、やっぱりもうトークンスペースにしか入れないようになってたのでそこにいました。

しばらくしてババが来ました。
男女の間の中央あたりから直接壇上に向かったっぽかったです。

ババが壇上に上がってしばらくしてから坊さんかなあ?あれは。だれかがしゃべったりマントラを唱えたりし始めました。

もういいだろうという感じで、私たちはホールの外からババに挨拶して部屋に戻り、チベッタンレストランに昼食を食べに行きました。

わたしは無料のご飯かウエスタンがよかったのですが、主名がワンタンスープが食べたいというので。
わたしはベジタブルギャトゥクだったか?ラーメンみたいなのを食べました。

主名はパパイヤミルクシェイクを飲み、わたしはホットレモンジンジャーを飲みました。

食べ終わったのは午後1時過ぎでしたが、そのころになってやっと午前のプログラムが終了したようでした。

私が知る限り、午前のプログラムが終わった時間としては最遅です。

聞いた話によると、今日は85組の結婚式がババの前で無料で行われたとのことでした。
そうだったのかー。

ババはその一人ひとりを祝福したとのことでした。

午後は7時過ぎくらいにアシュラムに行きましたが、ババはまだいて、バジャンが行われていたので一緒に歌いました。
しかしそのうちバジャンが止まり、また誰かがスピーチしだして、そのあと音楽プログラムが行われていたのかな?

私たちはまたもや我慢できずにウエスタンキャンティーンに食べに行きました。
ダルシャン参加所要時間20分くらいでしょうか。。。

しかしホールのいろんな角度からババの姿がよく見えました。
知人に使わないからと、使い捨てコンタクトをもらってつけてたので余計に。

今日のウエスタンキャンティーンではわたしは玄米にダル(豆スープ)、中国風しいたけスープ、かぼちゃのココナツ煮、サラダ、タイ風寒天ゼリーを食べました。
主名はねじねじ型パスタ、豆腐とトマトの煮物、さいころ型のポテト炒め、私からの生野菜少し、タイ風寒天ゼリーを食べました。

主名はパスタがきのこが入ってたのか?口に合わないみたいでしたが(きのこ嫌い)、ゼリーがおいしかったらしく、もう一個食べたいので(パスタ食べないと追加のゼリーは買わないと私がいったので)、パスタも無理してというかがんばって食べて、ゼリーをさらに2個持ち帰りました。

もう夜の8時40分とかそんなだったので、私たちが晩御飯を食べてる間にダルシャンは終わったでしょう。と思ってたら、帰る途中でアルティが聞こえてきたので、
「まだやってたのか!」
と、驚きました。

なので、バジャンホールの裏から、帰って行くババを見ようと思って、所定の場所に待機しました。

そしたらそれからも長かったです。
ババはなかなか家に帰りませんでした。

その間に、わたしの横の西洋人女性と周りのインド人女性たちがケンカを始めました。
「私に触るな」とか、
「あなたは私の後ろにいたはずでしょ?何でわたしの前に来るわけ?彼女(私のことか?)がそのことは知ってるんだから!」みたいな。

まあ、インド人は体を押し付けてくるし、それってかなり不快なので西洋人女性がぶちぎれるのも分かりますが。
まわりの他のインド人女性もその西洋人にけんか腰になって、言い争いになりました。
大体プッタパルティにいる西洋人女性は言い争いになるとかなり怖い感じで、わかいセバダルなんか泣いちゃったりするときもあるのですが、今日の彼女はちょっと迫力不足で、
単にカリカリしてる感じになっちゃって、そのうち自爆して怒りすぎてその場に入れなくなってどこかに去りました。
相手のインド人女性たちも、ちょっと柄が悪いといったら言い過ぎかもしれませんが、売られたけんかは倍にして返すような根性だったので、そうなると、やっぱりインドはインド人の縄張りですから、ものの言い方も腰が入ってるわけです。

しかし西洋人の気持ちも分かるので、彼女が去った後に、そこらじゅうのインド人女性がすでにそこにいない彼女を長いこと笑いものにしていたので、気の毒に思いました。

これがインド人同士だったら、カーストの感覚があるので、お互いの位置を認識して、上下関係を自ら認識するので、そこまで言い合ったりはしないのかもしれませんが。

先日知人に聞いた話によると、あるインド人がババに、どうして外国人にはアシュラムの宿泊施設なんかいいものを与えるんですか?と、不平?かなんかを言ったそうで、そしたらババは、
「外国人にとってはインドにいるだけで大変なサーダナ(修行)なんだよ。インドで息をするだけで彼らにとってはものすごいサーダナなんだから、そんなことを言うもんじゃない。」
みたいなことを言ってたしなめたそうで、
ほんとにねえ、と思います。
日本人はまだ引いて我慢できる感覚があるけど、
西洋人にはほんと、日本人とはまた違ったタイプですが、インド人の個人性のなさは時には生理的に耐えがたく、限界を感じるときが多いと思います。

なんか周りがみんなそんなふうに去った西洋人をいつまでも笑いものにしてて、ババが姿を現すのを私たちは待ってたわけなのですが、こんな雰囲気の中でいても意味ないかなとか思って、私も帰ろうかなとか思いました。

でも、この雰囲気がババが来ることで変わるところも見たかったので、「その先をみよう」という感じで、もうしばらくババを待ちました。

そしたらそのうちババが来たのですが、インド人たちはみんな親切で、主名を前にやってババが見えるようにしてくれて、主名は彼女たちに触られたくないというのでぐにゃぐにゃしてたのですが、彼女たちは主名に「チャンスを逃すな」とかいいつつみんなして前にやってくれました。

なのでババが去った後、彼女たちにお礼を言いました。
うーん、どうしてこんなに状況が変わるのかなとか思いました。

ババはいつもにも増して神々しく見えました。
なので感動して胸がいっぱいという風で、いい気持ちで帰ろうとしたら、
主名がパソコンでウルトラマンを見ることに関していろいろ私の譲歩以上にしつこく要求してきてうるさかったので、
頭にきて、感涙のいい気分が吹っ飛んでしまいました。

で、「お前なんか日本にかえれっ!」とかいって私も狂ったようにぎゃーぎゃー怒ったので、主名も「怒られた」と言ってめそめそ泣きました。

ああ、瞬間ごとがサーダナです。

しかし午前も午後もダルシャンがあったのはずいぶん久しぶりだと思います。
しかし、待ち時間は長いですね。
わたしらはちょろっと参加するだけですが、トークンから最後まで座ってる人たちは腰が痛くなったりするでしょうね?

今日なんか10時間以上座ってることになるんじゃないでしょうか。
それだけ集中できる状況にいる、ということはすばらしいことなんでしょうね?多分。

わたしらなんかもう、頑張りがぜんぜん利いてないです。
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【2010/11/18 03:45】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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