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ダウナーな日。
今週は主名の体調が良くなかったです。

喘息に始まり、咳、熱、下痢と腹痛、べたべたぐにゃぐにゃ四六時中からんで干渉してきてわがままを言うなど

19日から2晩ほど、わたしはチダムバラムテンプルに行く予定で、
その間、主名は主名の友達のお母さんが見ててくれることになってるのですが、

主名が生まれたその日から、7年間一回も別々に寝たことがないので、彼なりに不安で、いろいろ今のうちにバランスを取ろうとしているのかもしれません。

もしくは、離れる2~3日分前もって私の注目をひきつけておくようにしてるとか。

しかしそれはいいのですが、学校も行かずにずっと一緒でべたべたされるとさすがにわたしも余裕がなくなって疲労してきますよね。

こういうとき、大家族だったら子供の気も散っていいんですけども。


そういうわけで、まだ熱があるので、今日の夜は主名を部屋において、7時過ぎに少しダルシャンに行きました。
インドの子供たちがつぎつぎときりなくババの前で踊っていました。

しばらく見て、ウエスタンに行って夕食を買って持ち帰りました。


あ、そうだと思ってATMに行ってお金を下ろしていたら、部屋の隅の台の上においていた袋入りのスープが傾いて、
一部中身が床にこぼれて飛び散りました。

そしたら外にいた2人組のインド人の男のうちの一人が中に顔を突っ込んできて、ぎゃーぎゃー何かいったので
謝ったのですが、

ATMから出ようとしたら外からドアを押さえて出してくれなくて、
えらい剣幕のヒンディー語で、こぼしたものを自分で拭けといってるみたいでした。

まあ、拭くくらい簡単ですが、
なんせ私はかなり疲労しててATMも何度か打ち間違えるくらいだったので
そこに雇われてる掃除の人が毎日の掃除をするときについでに拭いてくれるだろうと思って、
自分でやる義務は感じなくて、
そのいわれ方もちょっとあれだったんで、それこそ意地でも全く拭く気にならなくて、

ATMから出ようとしたんだけど、出してくれない!

いつもいる警備員とも違うし、
「あんただれよ?」
と、そのドアを外から抑えてる小柄な若い私服の男に対して思いましたが、
「ちょっと、お願いだからあけて」
といって押しても男はドアを抑えて出れないようにしてる。
もう一人のやはり私服の男は横に座ってその様子を見てニヤニヤしてるし。

どこかに警報装置があったら鳴らしてやろうと思って見回してもなかったので、
ひたすらドアから出ようとしました。

そんなことを何度か繰り返し、多少途方にくれつつ、男の目をじーっと眺めましたが、
男はドアを外から抑えてがんばってるので、
そのガラスのドアをけってやろうかと思ったけど思いとどまって、
騒いで外にいる人の注目を引こうか、とか思案しつつさらに出ようと何度か試みてるうちに
男の要求を全く実行しそうもない私の様子に、
男も気もちが引いたのか、私は外に出ました。


あああ、くたびれた、というかんじでした。

調子の良くないときはさらに調子が悪くなるようなことが起こるから、ほんとは家でじーっとしてるのが無難です。
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【2010/12/12 05:01】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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