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ハッピーポンガル&ハッピーマカラサンクランティ
今日は土曜だったので乞食のご飯配りの代行をして、
(いいかげんだるくなってきたのですが、まあ、今日はやりました。)

そうだ、今日はババの生誕地に行く道に蛇使いの少年と人だかりがあって、
大きなコブラがうにょうにょと路上をうねっていました。

わたしが通りかかると人だかりは期待をこめて私のほうに何かジェスチャーをしてきてましたが、
邪魔なので蛇をよけて通り過ぎたらみんな笑ってました。

その後、マカラサンクランティだというので、太陽に向かってガヤトリーを11回唱えてみて、

いい日らしいのでアシュラムに寄付でもかまして、
そのあとまたアパートに帰ってカメラを持って路上の色粉の絵を撮りに行きました。

ほんとは早朝に撮れば誰にも踏まれてなくていいんですが、
昼ごろにまだあまり踏まれてない絵を選んで撮りました。


こういうのを集めた写真集があってもいいよねと思うくらいきれいで、いろんなのがあるんですよね。
路上の絵。


そして昼ごはんを食べに行きました。

男性のほうは12時前からすでに午後のダルシャンのために並んでる人がいました。


その後はずっと芝生にいました。

主名は計算問題を少しやった後、ケララの少年と遊んでました。


最近朝晩かなり冷えることが多かったのですが、
今日はどうだったかな。
布団を1枚から3枚にしたので寝るとき寒くはなくなりました。

で、昼間は今日は久々に暑~、と思いました。

涼しくていい時期よ、もうちょっと続いて。


ちょうどサイクルリキシャが来たので夕方にまた部屋に戻りました。

帰る途中、なんかババが来そうな雰囲気に見えましたが、帰りました。


結局部屋でだらだらしてて夜7時半くらいにアシュラムに行きました。

ガネーシャテンプルにちょうどプラサードのダンボールが運び込まれて配られ始めた所だったので、私も主名も一袋ずつもらいました。

これはホールの中で配られてるやつとは違って、
こないだのスポーツ大会でも配ってた(もしかして降誕祭のときの残り?)袋入りのスナック菓子で、
主名はこれが気に入って毎日一袋食べてるのですが
(そんなにたくさんもらってる)
また同じのをもらって、またしばらくは食べれます。


ホールではまだ音楽プログラムをやってました。
吹奏楽?みたいなのをやってました。

人がいっぱいだったのでわたしたちはホールの中に入らず、
シータラーマの像の向かいに、ホールの天井の掃除をするときに使うような
背の高い台形のはしごみたいなのがあったので、
そこに乗ったらホールの中がよく見えました。

正面にオレンジ色のローブを着たババが座ってて、その後ろの装飾もまたえらくめでたいかんじでした。

わたしたちが上ってた立体はしごからはよく見えたのですが、
道路に人はごった返しててもそこに登ろうとする人はあまりいなくて、

でもわたしたちを含め数人が登ってて、譲り合いのなんだか美しい世界が立体はしごの上で展開されていました。

ああ平和。

主名も私の頭よりも上にまで上れて「僕の方が年上」と気分よくしてました。
(年上だったら37歳以上にもなるのに)

そのあとまたシータラーマの前でも同じお菓子が配られ始めて、
今度こっちは肉片に群がるピラニアの群れ状態だったので、

そのお菓子をもっとゲットしたくてついふらふらと寄って行った主名も
「まあ、いいや~~~」
と、薄笑いして戻ってきました。

そのあとウエスタンで晩ご飯を食べました。
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テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/01/16 04:51】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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