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高虚脱度な日。
ここ数日、ネットの速度が異常に遅いです。

夜中になってようやく速度が回復するということは、私が使ってるモバイルブロードバンドのタタフォトンのユーザーが最近増えすぎたんでしょうか。。?

最近小さいパソコンを買ったので、持ち歩いて使ってたら色々聞かれることが多くて、
自分が使ってるタタフォトンのことも当然言ってたんですけど、
まあ、そんな程度でこんなに急に遅くなることもないか。。。。。って、田舎町だしわかんないですけど。

速度が回復することを祈ります。


今日もあんまり動く気がしなかったのですが主名を昼ごはんとかに連れて行かないといけないので(さすがに連続でレストランからのご飯を食べてたら飽きるし費用もかかる。部屋で作る気力もなかった。)
昼間は外出してサウスインディアンキャンティーンで食べました。

やっぱ安いなと思います。
2人で10ルピー。(20円くらい)

ハヌマーンヒルロックカフェだったらこないだは2人で900ルピーとか払ったんで、(1800円くらい)90倍ですか。まあ、なんというかメリハリのある生活ですよね。



今日は主名は感心なことに学校からかえってきたら昼ごはんを食べに行くまでにすぐに宿題を終えていました。

わたしはずっとぐったり寝てて、主名がかえってきてもまだしばらく寝てました。


夕方にもまた寝たっけ。


主名はどこか友達の家に遊びに行きたがってたのですが、
やはり最近はすでにみんな受験モードになってきてるし、真剣度が上がってきてるので今日はちょっと遠慮させときました。

私はすでに投げやりです。

5歳半くらいで入学と考えて、3~4歳くらいからかなり頑張ってやらせてたので、
5歳半で入学できなくて、ああだめだ~~~となって、燃え尽きました。私が。

今も主名の教育の方向性が定まってないのですが、
とりあえず毎日少しやらせてるといった所でしょうか。
午前コーチングスクール、午後は宿題と計算と日本語ですか。
あと、余力があればヴェーダ。

歌とタブラーも習わせてたのですが、こっちは私のそこまで気を回して管理する余力がなくなってカットになってしまいました。

くたくたです。


今日は実際くたくただったのでよく寝ました。

主名に足を踏んでもらいながら寝ましたが、私が寝込んだ後に主名はごそごそやってたらどんぶりとか割っていました。


夜になってアシュラムに行きましたが、ぼんやりしてめがねを持っていくのも忘れていました。

でもすでにダルシャンは終わっていて、今日はババは来てたっぽいけど逃しました。
しかし調子が悪いときは無理に行ってもあんまりいいことないから、そういうことになってたんだろうという感じもしました。


虚脱度の高い日でした。


主名はやけに元気で、夕食後もウエスタンキャンティーンの前の芝生でロシア人の子供たちの集団と、
混じってるのか混じってないのか分からないような微妙な感じで一緒に走り回っていました。

風呂では水鉄砲で壁一面に水をかけ、水滴が滴り落ちるさまを飽きずにずっと見ていました。

水鉄砲で自分の耳とか鼻の穴とか目の中や口の中にも水をかけて楽しんでいました。
体も水鉄砲の水をかけて洗っていました。


そんなに鉄砲がすきなのか?


一人で遊ぶのは飽きないみたいです。
一人でいることが多いですから。


もし全寮制の学校に入ったらこういう繊細な?感覚は吹っ飛ぶと思いますが、
まあ、どうなるにしてもそのときそのときに与えられるものでやっていくしかないですよね。
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テーマ:海外生活 - ジャンル:海外情報

【2011/01/21 04:31】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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