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ウエスタンキャンティーンでの、のり巻きや味噌汁。
今日もかなり疲れてました。

疲れすぎて、やるべきことができないばかりか休む気合いすら起きなくて、混乱した頭を抱えたまま、ただ無意味に時間を過ごしてました。

主名は今日は先生がティルパティからまだ帰ってこないらしいので友達の家で別の友達のお母さんが勉強を見てくれるはずだったので友達の家に行ったのですが、
そしたらやっぱ先生が帰ってきたということで、友達のお父さんにバイクで送ってもらっていつもの学校に行ったそうです。

昼は久しぶりにサマディーロードのチベットレストランで食べました。
ここはおいしいときはおいしいんだけど、しょっちゅう味付けが変わるので同じメニューがある日突然辛くなったり味が濃くなったりするという。。。

しかしあまりにもくたくたで、気分的に疲れてたのでしたが、
占星術師のとこに用事で行ったら、
フルコースを施されました。

フルコース、、、エネルギー調整のブラックインクをつけられて牛の聖水をジョボジョボたっぷりかけられて(逃げる気力もなかった)レモンの上に樟脳を乗せて火をつけたものでオーラの浄化?をされて、、、、

しかしこのレモンの上に火を燃やしてやる浄化の最中に乗せてる樟脳が落ちて割れて、10個くらいの火に別れて床で燃えてました。
こんなことになったのは初めてで、
このおまじない?が最後までできないくらい、よっぽど酷い状態なのか!?
とか思いましたが

まあ、やり直しました。

で、占星術師が言うには何かが間違ってたということなんだろうということで、
次にはココナツの上の樟脳に火をつけて燃やしたもので同じような浄化の儀式をしてもらいました。

そしてさらにビブーティーを食べさせられ、インクもまたつけられ、牛のおしっこも顔に滴り落ちてくるくらいしっかりかけられ、、、(あ、聖水)

と、このようなフルコースでした。


まあ、さすがにというかなんというか、復活しました。
粉々になってた意識がまた統合されてまとまった感じになりました。


その後用事で知人の店に行き、

いったん部屋に戻って干してた布団を入れたりしてからアシュラムに7時くらいに行ったらちょうどアルティになったので、バジャンホールの裏から車で帰っていくババを見送りました。

中国正月のプログラム、早く終わったんだなあ?と思ったら、今日は準備はしてたけどもやらなかったみたいです。

明日やるのかな?

甘いプラサードを配ってました。



ウエスタンキャンティーンの前で主名たちを待ってたら、
主名が一人で来て、一緒にダルシャンに行った9歳の男の子は勝手になんか知らんけど泣いたとかいうので、

「そんであんた置いてきたん!?」
と思いましたが、じきにあとからお母さんたちと一緒に来ました。

へんなインド人のおばさんにほっぺでも痛くつねられでもして泣いたのかと思ったら、

あとで主名が原因だということが判明。


というか、その子はお母さんたちとサウスの前で待ち合わせしてたけど、主名は私がウエスタンの前で待ってると思って行こうとして、「行くな」「行くからね」みたいに意見が合わなくてけんか?になったらしいです。


まあでもそうそう、今日はマレーシアだかシンガポールだかで日本料理屋をやってる人が日本のメニューを作ってウエスタンキャンティーンで出してくれたので、私も主名もよろこんじゃって、

のり巻きと、味噌汁と、肉(風)じゃがだったんですが、
たくさんのり巻きを買って喜んで食べました。

主名はず~~~~っとのり巻きを食べたがっていたので、望みがかなったというわけです。

きゅうりと沢庵と、ツナ(っぽいもの)と、卵なしマヨネーズのサラダ巻き風のり巻きで、
ちゃんと上手に作ってあって、母国とはよく言ったもので、日本風の水分の多い米で作ってあるのり巻きを食べると、ストレスや緊張がとけ去ったのを感じて感動しました。

自分のうまれたばしょにいてなじみのものを食べるって、こういうことなんだなー、と思いました。


一緒にご飯を食べた日本から短期で来てる9歳の男の子とお母さんはスパゲティとかクレープとか食べてて
当然インドで食べる日本食には興味も期待もなかったみたいですが,
私たちには小さからぬ贈り物でした。

ほんとは日本食にあんまりなじみのないほかの国の人々にたくさん食べてもらうのが筋でしょうけど、
1セットがのり巻き2個だったんですが、主名も私もご飯を配る人に「もっと。もっと。」と言って、躊躇なく4セットずつ食べました。笑

のり巻きは1年3ヶ月前にタイのバンコクで日本料理屋にいったときに食べたきりだったので、プッタパルティでまともなのり巻きが食べれるなんて、なんて贅沢。。。と思いました。


疲れてたのでなおさら腑にしみたかんじ。

あ~~~、自分、疲れてるなーと再認識。




あ、でも、日本から来る人はこれを読んだからってなんも持って来ないでください。笑
物をもらうと頭の中がぐちゃぐちゃになることが多いので。



夕食の後今度は主名が「もう友達じゃないって言われた」と泣きべそをかいてました。
まだ会って3日目なのに色々ありますね。君たちも。

部屋に戻ってからも主名はしばらくむしゃくしゃして物を投げたりしてましたが、
わたしが主名の別の友達のお母さんからもらったこんぺいとうとラムネを発見して興味をひかれたとたん、機嫌が直ったみたいです。
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【2011/02/10 02:27】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
<<「あれ?」とか「あれぇ?」とか思ってるうちに。 | ホーム | ババお休み。>>
コメント
お米食べることができて良かったですねぇ♪

シュナくん、
よくやってるんじゃないですか~

慣れない所に来た日本人の子どもの相手を。

日本人の子どもは
自分の思うように行かないから

簡単にシュナくんに
言葉を投げかけるけれど

3日目にして
そんなこと言うとは…

ひどいと思いますね

子どもは直ぐに仲直りしたりしますが…

シュナくん
よく応対してますよ~

シュナくん、
偉いよぉ(*´∀`*)
【2014/07/06 17:19】 URL | kefco. #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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