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願書提出未遂。
今日は何してたんだっけ。

昼は主名とサウスで男女別々に食べました。

そのあと、芝生に行ってココナツウォーターとカプチーノを飲みました。

日差しが暑かった。。。

いよいよ来たなって感じです。

これから5月くらいまでどんどん暑くなっていく酷暑期になります。

でも、その後また気温が下がる、こういうサイクルだというのをいっぺん経験してしまったら気分的にはラクです。



最初の年はそりゃあきつかったです。

暑さとともに脳みそがぐつぐつ沸騰していって。

ただでさえ幼児連れで脳みそ沸騰気味だったのが、2月も後半となるともうなんか常に吹きこぼれてるみたいな感じでした。

しかもそのころはビザの延長を頼んだ人が逃亡したりして、非常に不本意ながら親子でしばらく不法滞在状態だったり。
そりゃあ、脳みそも煮えます。

毎日のように何かちょっとしたことにでもぶち切れて号泣してました。


ちなみにビザはあとで、3ヶ月の延長分だけもらえたので、その3ヶ月のビザ切れの1日前にインドを出国し、3月に無事に日本に一時帰国できたというわけです。

インドのビザの制度や状況もほんとによく変わりますね。

願わくば世界どこでもビザなしでいける世の中になりますように。
日本の通行手形が不要になったように。


ああ、そうだ、それで、暑くなってきたこともあり、少し情緒不安定気味なのを自分で感じたので部屋のかたづけと掃除をしました。


頭がぐちゃぐちゃなときは掃除するに限る。

床の拭き掃除もして気持ちが良くなりました。


で、子供の学校(ババの全寮制の学校)の願書でも書いて出しに行こうと思って、書いて、分からない所を先に願書を出した知り合いに聞いたのですが、
説明を聞いてるうちに

「ああ~~~、だめだ~~~~~~。。。。。」
という気になってきたので書くのをとりあえずやめました。

なんでも、

☆日本人だということは悟られないほうがいいらしい。(無理)
☆受験票の返信のはがきの宛名には子供の名前とだんなの名前を記入のこと(。。。。。)
☆親のサインのところはだんなのサインを記入。(読めないサインにすればいいか。)

まあ、分かってましたけど、
奥さんは前に出ちゃだめなのです。

むりだよ。。

去年イーシュワランマスクールの願書を取りに行ったときも並んだ行列の中、女一人で取りに来てるのは私だけでした。(家族全員で取りに来てるロシア人はいた)
子供の願書をとりに来てるのはほぼ、おっさんばかりでした。

こういうことは男の仕事らしい。

願書を出しに行くのも男がいいんだろうなと思うので、学校の少し向こうの郵便局から郵送することにしました。
(気にしすぎ!?ところがそれがそうでもなさそうなんですよ)

そのほか、現実を書いたところで、注目を集めて中央(ババ)に反逆してると思われて
排除されてもバカみたいなので、

「はぁ~~~、、、」と思った数々の黒い、いや、灰色と書いておこう。灰色な出来事は省略。
しょせん、諸条件を満たすことができないもののひがみだし。

大多数のインド人はいろんな条件を普通にしてても満たすことができるもんなんだろうし。

文句があるならまっとうに日本で教育を受けさせなさいということですもんね。

おかしなことをしてまともに扱えといってるようなものだし。というか、そういうことだし。


しかしおかしなこともたくさんの人数がやれば大きな流れに。
ほんといいかげんもう、プッタパルティ在住の外国人の子供だれでもがまともな教育を受けられる場所が必要です。

プッタパルティ在住の外国人の子供たち、数十人はいますもの。

エリート養成学校じゃなくていいから、外国人の子供らが普通に楽しくて、外国人の親もそれなりに安心して通わせられる学校が必要です。

このあたりの普通の政府認定の学校は通う子供も恐怖で、送り出す親も苦痛!


まあ、そもそも主名は受験の年齢制限を越えてる(しかしこの年齢制限も実際はかなりあやふやなんです!)、
外人(インド人じゃないので)、
両親がそろってプッタパルティに住んでいない(そういう人もたくさんいるけども)、

という3重苦なので

この願書を出しても受験には不適切で、受験票も無効と記入されるか何かしたものが送り返されてきて終わりだと思います。

でも何もしないよりは出すだけ出そうとしてるわけなんですが、
出す準備だけでもすでに気持ちがへこたれ気味。


今日はババは夜7時前に車で来ました。

主名は部屋で休憩しすぎてババが来て前を通ったときに間に合わなかったので、今日は手紙渡せず。

ババはしゃんとして見えました。




夕食はウエスタンでそれぞれ別々に食べました。


私の親や知人数名に、主名の学校のことでババに手紙を書くのを頼んで、あちこちから出してもらってるので、
部屋に帰るときに、
だれそれさんや、だれそれさんとかみんなババに主名の学校のことで手紙かいて出してくれてるんやで、
と教えたら、主名は

嬉しかったみたいで、歩き方がうきうきと上下にゆれる感じになって、
「なんで、お母さんとかじゃないのにみんなぼくのために書いてくれるの?」
とかいって、その後、

「ありがたい。。。」

と、年よりじみたかんじで噛みしめるように言っていました。

「みんな手紙書いてくれてるんやから、、あんたもちゃんとダルシャンでババにお願いしときや」
とわたしは言いました。


今日は、主名はミルクティーを入れて、先ほどしずしずと持ってきてくれました。(カップ&ソーサーで)
こりゃいいや。

砂糖の量も今日は適切。

そのうち作るのも飽きるだろうけど、今はまだ嬉しいみたいです。




さあ、無意味な願書でも、明日は出しに行こう。

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【2011/02/25 02:49】 | サイババの学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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