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祈りの効用?
ばたばたしちゃって、こっちのブログはちょっとご無沙汰してました。(あっちのブログ

おととい、昨日とババはダルシャンに来てました。

今日(17日)はダルシャンはなかったです。


おとといは、また主名がキャンティーンセバをやるというので、また仕方なくわたしもやってましたが、
そろそろ人の入りも少なくなってきたし終わるかな、というころ、

ウエスタンキャンティーンのエンペラーのおばあさんのインド人の重鎮が来て、

「何でこんな子供にやらせてるんだ!」
と、キャンティーンスタッフをしかりつけました。

で、その叱られたスタッフがこっちに来て、
「ごめんなさい、彼女がああゆうのでもうセバは終わりにしてちょうだい。わたしはこの子が好きなのに。。。。。」
みたいに半泣きであやまってきたので、

「きっと、この子が私と一緒にやってるということを彼女は知らなかったのかもしれない」
と言ったのですが、
スタッフは憔悴した感じで「ごめんなさい、、、」というばかりだったので、

「わたし聞いてみますね」
と、エンペラーの所に言って、
「この子はセバしていいですか?」
みたいに言ってみたら

「こんな子供に何ができるんだっ!」
みたいに苦々しげに答えられたので、

「できますよ」

と言ったんだけど、
取り付く島なしと言う感じだったので、
まあ、もう終わる時間でもあったし、エプロンを片付けて夕食を食べました。


わたしが早く食べ終わったので先に外にでて待ってようと思って、厨房を通って外に出ようとしたら、
洗い終わって、水気を拭く必要のあるトレーや食器類が山積みだったので、
拭くのを手伝ってました。

そのうち主名も合流して手伝ってました。(やりたいやりたいと言っていた)

そしたらさっきエンペラーに怒られたキャンティーンスタッフが「あら、あなたここにいるのね」
と、ちょっと嬉しそうでした。


結局最後までやって、アシュラムを出てアパートに帰ったのが夜の10時くらいだったでしょうか。

そしたら、アパートの入り口のなんていうんでしょうか、可動式の鉄格子のフェンスみたいなのが閉められてあって、
たまたまその日はわたしはスペアキーを持っていなかったので、

そんな時いつもするみたいに

「サイラ~ム」
とかいってるうちに誰かが開けてくれるのを待ちました。

ところが誰も来なくて、
後から聞いたら私の部屋の隣の部屋のおばあちゃんも留守だったらしく、
いつもアパートの階段の踊り場で寝てるウォッチマンもこの日はいなくて、

そんなこと知らないもんだから、足でフェンスをガンガン蹴って物音を立てたり、
横のアパートの階段から飛び移れないかなとか行ってみたり、
横のアパートの階段から自分のアパートの踊り場のウォッチマンの寝てるあたりに声をかけて呼んでみたりしたけどムダだったので、

まあいいわと思って、ホテルに泊まりました。

たまには日常を離れてホテルに泊まって気分転換したかったので、これ幸い、という感じでもあったのですが、
まるっきり手ぶらだったので、
(ダルシャンでもらったプラサードしか持ってなかった)

閉まりかけの薬局に駆け込んで、歯ブラシやら石鹸やら、ついでにビタミンCのタブレットやら、
こまごましたものと飲み物を買ってホテルSAI MAA に行きました。

最初ヴェリーコンフォータブルラグジュアリールームだから1泊1000ルピーと言われたので、
エアコンなしでそりゃ高いよ、と思ったので
「他をあたります」
と言って出て行こうとしたら
「いくらならいい」
と言われたので
「700」と言ったら750になったので泊まりました。

まあ、新しいホテルなのできれいで、やたらでかい壁掛けテレビもありました。

リモコンが見当たらなくて音量調節が分からなかったので音もやたらでかいままでしばらく見てました。

見てた内容はテルグ語での青春ラブストーリみたいなので、
男が120パーセントストーカーでした。笑
嫌がられても嫌われても待ち伏せしまくりで、登下校する女の子の荷物を奪って強引にバイクに乗せて送り迎えしたり。
壁をよじ登って女の子の部屋の窓から中を見たり。。。

でもそのうち女の子が気持ちを許し始めて発展していきそうだったので電源を切りました。笑

主名は「あれはおとなのいじめっ子だ」とか言っていました。


で、風呂に入って(というか、お湯を浴びて)清潔な(散らかってない!)部屋の清潔なベッドで平和に心地よく眠り、

翌朝はホテルのレストラン(というか食堂)で朝食を食べ、


朝のうちにアパートの散らかった部屋に戻ったのですが、ホテルの部屋が微妙に寒かったのか??
昼間アイスのサンデーを丸ごと一個食べたのが効いてきたのか?
主名は喘息の発作かなり出てきてたので、その日学校は休ませました。

昼間2回くらい吐いたりもしてました。

わたしもなんかこの日はすごくすごく脳がパンパンで、軽いパニックみたいな感じでした。


そしてその日の晩には主名は高熱も出し、風邪を引いてることが判明。
久々に幻覚?とか見てました。
お化けがいるから電気つけたまま寝ていい?みたいな。


「ごめんね。忙しいのに」

などと殊勝なことをいうので、

「いいよ。しょうがないわ。おかあさんやし。」

と言ったら

「そうか~、ぼくも将来おとうさんになったらしょうがなくなるか~~」

と、お父さんになって、子供のためにしょうがなく何かやってる状況がイメージできたみたいです。笑



この日は夜じゅう「う~んう~ん」とうなったりして息もぜーぜーいっててかなりしんどそうでしたが、
熱は今日の朝にはほとんど下がってました。
「立てる」とか言って喜んでました。


わたしの脳も朝起きたらクールダウンしてました。
すごく落ち着いた感じになってました。

これが日本や世界の状況と連動してるかどうかは不明ですけど、なんとなく影響は受けてるような気がしました。

で、今日はすごく落ち着いて安心できる感じになってて、
よかったです。



主名はぜんそくはまだ納まりきっていませんが、だいたい元気になったので、
夜にはわたしのインド人の知人の子供(主名の友達)の誕生会バジャンに顔を出しました。

かなり盛り上がってましたけど、
脱力気味のわたしも主名もちょっと疲れたので、途中で抜けて、
ケーキを少しもらって部屋に戻りました。

で、部屋で大根ともちとうめぼし入りのおかゆ(葉っぱも)を食べて夕食としました。
あ、しろゴマも入れた。



しかし、いく先々で、
いろんな人に日本のことを聞かれ、「みんなで祈ったからね」と言ってくれます。


今回、日本でも他の国でも相当たくさんの人達が集中して祈ったと思います。

祈りがある限り、世界は大丈夫という気もしてきました。


祈りはネガティブに出ると呪いで、相手や、時には呪った本人もいろんな形で傷つけますが、

ポジティブに出るとこのように、相手に力を与え、守護し、祈った本人にも幸運と平安を与えてくれるんだなあと思います。


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【2011/03/18 03:50】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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