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2巡ダルシャン、また締め出され。旅行準備。
ばたばたしてて書く暇が取れませんでした。

昨日のダルシャンは、ババは車でホールの中を2週しました。

めずらしいなぁ~。

大サービス。


そのあと、車から降りて、中央でバジャンをしばらく聞いて帰って行きました。

この日も両手ブレス?があったと思うんですけど、
多分後ろのほうに座ってたので、私の見まちがいだと思うんですけど、
ババはなんか合掌した手を上にあげたように見えました。



終わったのは8時半くらいだったか。


そのあと普通にウエスタンキャンティーンでご飯を食べてアパートに9時半くらいに帰ったら、

、、、、、、また閉め出されました。

しまった、また鍵を持ってでてなかった。。。普通に帰ってきたのになー。


誰か開けてくれないか読んでみましたがやっぱり返事なしだったので、

またどこかで歯ブラシとか買って、今度はサイタワーの近くのOMホテルに行ってみましたが、
今の時期はお客さんが少ないだろうに、
値切っても1600ルピーくらいだったのでやめて、

ステイトバンクロードを入って奥のほうを左に行った所にある、
サイニヴァスというホテルに行ってみました。

ここは前知人が泊まってて、アシュラムからは少し遠いのですが、すっごいきれいで広々してて800ルピーとかだったので、行ってみようと思って。

そしたら1階の部屋がダブルで450ルピーと言われたので、値切るまでもなくOK,OKと言って泊まりました。

言ったら新しいタオルも出してくれたし。


誰かが住んでたこともあるみたいで生活感が少しあるのが逆にいいかんじでした。

天井が高くて広いベッドルームにダイニング、キッチン、小さなお祈りスペース、シャワーのバスルーム、それとは別に湯船のバスルーム、そんなかんじの部屋のつくりでした。


かなり広かったです。

ここはドイツ人がオーナーのホテルなので、部屋のつくりとかもちょっと凝ってて、広々してていいです。
清潔感もあるし。


おしかったのは、お湯が出なかったこと。。。

多分どこか何かすれば出るんだろうと思いますが、

レセプションの夜勤のお兄ちゃんはあんまりよく知らないみたいで、
別の部屋の風呂を使っていいよといわれたのですが、そこもお湯が出なかったです。

しかし水でも問題ないくらいの気温なので水で入りました。

泊まった部屋はめずらしくバスタブもあったので、ひさびさに湯船に浸かれるかと私も主名もちょっと期待したのですが、水風呂に浸かる気はさすがにしなかったのであきらめました。


あとでタリフをもらってみたら、一番安い部屋でも600くらいだったので、
手ぶらで一晩だけ泊まる、ネパール人親子みたいな私たちだし安い部屋を案内してくれたんだろうと思います。

広くていい感じの部屋でしたが、朝になってみると外からの光があまり入らない感じだったので、なるほどと値段のわけを知りました。

夜だとわかんないんで。



でも、インドの田舎でこういう清潔感があって、しかも変に先鋭的でないデザインのゆったりしたホテルの空間にいると気分転換になっていいです。

マハラジャならともかく、プッタパルティのアパートとか、建物とか、ほんと狭苦しく建ててあるのが多いので、
そこで暮らしてると個人のスペースがどんどんどんどん縮小されて慣れていくんですが、

たまにこうやって、広々したスペースの中におかれると、意識がう~~んとのびをして明るくて軽い気持ちになります。

インドは深海みたいな圧力ですもの。なんか。


広い空間にいると、ほんとはこういう感覚だったよなあ、自分。とか思います。


この前ホテルに泊まったときは主名が風邪を引いて具合が悪くなったので、
まだそれも完全には治ってないし、ちょっと気をつけようと思って、

掛け布団なしで余裕で寝れる気温なんですが、
主名は寒がりで(脂肪がないから?)寒い寒いというので、
ベッドのシーツをはがして4つ折にして、それを掛け布団にして寝かせました。


2人ともよく寝ました。
(そういえばわたしはなんか少し変な夢見たかな?)

先に私が起きたので、
朝はもうアパートが開いてるので、いったんアパートに戻ってシャワーを浴びて着替えて、
主名の着替えも持って、
学校のかばんも持って、
あと、泊まったホテルはルームサービスとかないホテルだったので、
チベッタンレストランでポットにミルクティ3杯分入れてもらって、
あと、パパイヤミルクシェイクも買ってホテルに戻りました。

主名を起こしてパパイヤミルクシェイクを飲ませて、
(ミルクティーはうっかり砂糖なしだったので主名は飲まなかった)

ホテルの庭を少し見て回って、
それから主名は学校に行きました。


アパートの部屋に帰って、部屋を片付けて、明日からの旅行の用意ができるようにしました。


主名は学校から帰ってきてすぐに旅行の用意をしたので、チェックして、いらないものを持っていこうとしてるのは部屋においておかせました。(だてメガネとか)


学校の先生に、「なんでこのテストのときにプージャに行くの?」とか言われたそうですが、

今日からイーシュワランマスクールの願書の配布ですが、
プッタパルティ在住のIDカードのコピーがないと願書くれないみたいです。

IDカード、今は登録してもらえる時期なんですが、
もらおうと思ったんだけど、やっぱ外人は難しいらしく、

つてとかで願書はどこからか手に入るかもしれないけど、
配布のときにIDカードのコピーを求められるんだったら、どこからともなく手に入れた願書で出願してもコピーがなかったらどうせはねられるだろうなー。。。

と思うとなんかほとんどあきらめた気分です。

去年、優秀なロシア人の女の子もイーシュワランマスクールを受けたけど受からなくて、

校長先生は「点数さえ取っていればインド人と外国人の区別なしに合格させるから」
と言っていたけど、
やっぱり実際はそんなに公平なものでもなさそうだよね~~~~、あきらかに。という印象でした。

その子が受からなくて、
まあ、あとでその子はババの全寮制のほうのプライマリースクールにお姉ちゃんと一緒に入学する許可が出たんだけど、

やっぱりIDカードはイーシュワランマスクールの場合かなり重要っぽいと思います。




というわけで、まともにテストを受けて子供が学校に入ることはすでに8割以上あきらめました。


今日の夕方はババは6時台に来たみたいです。

私は部屋にいたらアルティが聞こえたのであわてて走ってアシュラムに行きました。

久しぶりに走ったら心臓がバクバクで汗びっしょりです。


でも、車で帰って行くババをチラリとでも見れたのでよかったです。

終わったのは7時5分とかだったか。


明日から1週間以上プッタを離れるから、ダルシャンなしなので。



主名は相変わらずババがくるときは毎日手紙を渡しています。

今日は封筒がなくなったとか言って、
せんべいの入ってたせんべいのロゴ入りのビニール袋に手紙を入れて渡そうとしてたので、
そりゃないだろうと思ってそこらへんの店で封筒を買って中身を入れさせ替えました。


明日からの旅行準備は私はまだ終わってません。。。

5日間11このプージャへの参加なので、正装のできるだけ「ハレ」っぽいサリーをたくさん持っていきます。


明日の午前11時くらいにタクシーでバンガロールに行き、バンガロールから列車でクムバコーナム(クンバコーナム?)に行きます。


眠くなってきたのでとりあえず寝ることにします。


ボイスレコーダー、どこにやったのかなあ???持っていきたいんだけど、見つからないです。
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テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/03/22 05:13】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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