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サイババの肉体の最後のダルシャン
サイババのご遺体ダルシャン受けてきました。

いや、受けるまでたいへんでした。


6時とか言ってたと思ったのですが、3時くらいにババの遺体がアシュラムに運ばれるという情報が来たのでメインロードに見に行きました。

その時点ですでにアシュラムに外から入れないようになってて。

しまった。。。一生の不覚。。

とおもったんですが、

部屋でシャワー浴びて食べるもん作ったりして、
様子見にまたアシュラムにいったらゴープラムゲート?キャンティーンゲート?からすでにアシュラムに入る行列ができつつありました。

なのでそのまま子供と並びました。

ガネーシャゲートはもう閉めてて、そこからは入れないようになってて。


4時ごろだったでしょうか。


そのままろくに列はすすまず、サウナのような熱気の中、押し合いへしあいで夜7時くらいまでそんなで、
途中で手もしびれてきて、くらくらしてきて貧血になりかけました。

しばらく座ってたらましになりました。

主名も暑さか疲れか眠気か知りませんけど、ちょっと気絶してたとか言ってました。笑。


身の危険をかんじながらもこらえていたら、そのうち群衆が押し寄せて警官が守ってるゲートを突破して、
わたしも主名を抱いたまま(おろすとつぶれるので)流れに押されて

だーっとアシュラムの中に入りました。

それからサイクルワントホールの中に入るときもまたむちゃくちゃな押し合い。



でもそれも、だーっと押されるままに入りました。
自分が水牛の群れの一頭になったかんじ。
前進あるのみで制止の声なんかきいちゃいない。



ガラスケースのような箱に安置されていたババの遺体を見たとき、変な話ですが、
ババの顔の骨格ってしっかりしてるなと思いました。
静止しててもダイナミックな。


闘病のなごりはきっとあるんでしょうけど、わたしの目からはよく分からなくて、安らかなお顔でした。

遺体は遺体でしかないのかもしれないけど、ババのご遺体をじかに見れてほんとによかった。
やっぱりこのババの肉体の姿かたちが私の重要なキーワードになっていたから。

もしかしたら明日以降はインドや世界各地から人がもっと一杯集結して、一般人のわたしたちは全然入れないかもしれないなと思います。




しかしそのあと、ウエスタンキャンティーンに入ってご飯を食べてたら、

「あれ?なんにもかわらんやん」

という気がふとしました。



というのは今日一日だけでも群衆の中で危機的状況が何度もあって、
そのたびに自分の中でババの指示を仰いでいたので、

サイクルワントホールに安置されていた遺体は遺体でじっとしてて、まさにご遺体でしたが、

ババの遺体を見るために、危機的状況を抜けるにはどうしたらいいか、待つべきか行くべきかなど、
ババに聞くのもおかしな話だなと思いつつ
聞いてて、


どっちみちババとは直接話したりする機会もいままでほとんどなかったし、
自分の中ではババが肉体的に亡くなってもあまり変わらないことに気がついたような。

自分の中での交流は変わらずあるし、あいかわらず、しょうもないことでもなんでも聞いちゃうし。
そして答えが返ってくるし。


熱心にババを追いかけていた外国人女性たちも、そのほとんどはさばさばしたもんでした。

電話で、「アイムベリーファイン」とか言ってました。

ぼろぼろに泣いてたのは乞食のおばちゃんたちでした。
おいおい泣いて抱きついてこようとしたので引いてしまいました。

わたしはまだ泣いてないみたい。。。
泣いてる人を見たらつられて泣きそうになるんですけど。


夕食の後、
帰ろうとしたらまだご遺体ダルシャンが続行中だったので、また並んでまた入りました。

一般人は立ち止まってはいけないので歩きながら参拝?するんですが、

何度も並びなおして結局5回も入りました。

もうこれがほんとに最後かもしれんからなと思って。

最初は神妙というかこわごわみたいなかんじで行ったのですが、
最後のほうは歌われてるバジャンに合わせてわたしも歌いながら参拝しました。


はだしでアスファルトの上をぐるぐる歩き回ったのでさすがにわたしも主名も足が痛くなって、もう歩けないというかんじで部屋に帰ってきました。


主名は「次いつなの?プレマサイすぐ来るの?」とかいうので、

「20年くらいあとちゃう?」
と答えたら
「がくっ」
とか言ってました。

中にはおいおい泣いてる人もいましたが、
全体的にみんな落ち着いていました。

みんなほとんどの人が、冷静に事実を受け止めていた印象でした。

アシュラムの中やキャンティーンの空気はおだやかですらありました。
微笑んでいる人も多かったです。

某VIP?は、
「ババは自分は肉体ではないと50年も前から言っていたわ。
今はとても美しいとき。」

とか言ってる人もいました。

わたしはそこまではっきりは言えないけど、
正直、なにかある種のすがすがしさをかんじなくもないです。


でも、まだサイババのダルシャンを受けたことのない人がいっぱいいて、
もっと多くの人がうけれたらよかったなあと、かなり残念な気持ちはあります。

何かやはりサイババの生ダルシャンは強烈だったので。


今は、肉体的な苦しさを味わい続けてきたであろうサイババに、ゆっくり休んでください、ありがとうございましたという気持ちです。


P1010070_convert_20110425034921.jpg

病院からアシュラムに救急車で運ばれるババのご遺体。
車の中なので直接は見えないけれど。

たくさんの人、特に女の人たちが沿道で泣いてました。
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テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/04/25 04:33】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
<<2011年4月25日の日記。 | ホーム | SSOJのサイトにもお知らせが載っていました。>>
コメント
 早速、ご紹介頂いたブログを拝見させて頂きました。どうもありがとうございました。
 ところで、特殊な能力を有する知人を介して、私の守護霊様より、いくつかのメッセージを頂きました。
 それによると、肉体をまとったスワミがおられなくても、アシュラムへの訪問は、私たちにエネルギー与えてくれるようです。また、プレマサイとしての再臨の時期も、当初より早まるかもしれません(人々の願いも重要!とのこと)。
 いずれにしても、本年夏に宿泊場所が、アシュラム内(あるいは、周辺)に確保できるか?かが気になります。
サイラム
【2011/04/26 21:59】 URL | 訪問予定者 #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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