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2011年4月25日の日記。
昨日は遅くまで、足が痛くなって限界になるまで繰り返しサイババのご遺体ダルシャンを受けて、部屋に帰って2時ごろに寝ました。

24日の午後にアシュラムに入るだけであまりにも大変すぎたので、これはちょっと考えが甘かったと思い、ほんとは、荷物をまとめて、夜中の入れるうちにアシュラムに入って、アコモデーションオフィスが開く朝までどこか外で寝て、アコモが開いたら朝一でアシュラムに部屋が借りれるか聞いてみようと思ってたんですが、

水浴びをした後、主名が熟睡して、わたしも足も痛かったし体力的に限界だったので、
3時におきて4時にアシュラムに行って、アコモが開くのを待とうと思ったのですが、
起きられず、

結局朝5時に起きて、
6時前くらいに3~4日分の服とかちょっとした果物や生鮮食品や水などの用意を持って、まるで疎開するように子供とともにアシュラムに行きました。

早朝はアシュラムに入るのは行列もなく、問題なくすぐに入れました。


アシュラムの海外からの帰依者用のアコモは今日は開かないと、セバダルに言われ、
もし何か問題があるならローカル(インド人・ネパール人)用のアコモに行けといわれたのでまた荷物を持って、重いだの足が痛いだの文句を言う子供とともにそっちに行きました。

そこで聞いたら部屋番号を書いた紙をくれたので、その紙の番号の部屋に行ったら、なんのことはない、最初に行った海外からの人用のアコモの部屋でした。

なのでセバダルにその部屋番号の書いた紙を見せたら、
じゃあ、アコモは開くんだろうと言うことで、しばらくその場で待つように言われました。

しばらく待ってたらアコモが開いたので、必要書類を提出して、部屋代も払って、無事にアシュラムの中に部屋が取れました。

ほんとによかった。安心しました。

やはり外と中の雰囲気はぜんぜん違うし、アシュラムの中はシャンティです。安心感があります。

3つのキャンティーン(食堂)も全部あいてるし。
売店も一応開いてるし。


ホッとして、少し休んだあとに、朝食を食べにサウスに行きました。


途中にガヤトリーテンプルとラクシュミーテンプルがあるので、そこにお参りしました。
安心してお参りできるのがありがたい。

やはり外は、変にうろつかなければ平気だとはいえ、出来事に振り回されて不安な落ち着かないムードなので。
バリケードもあちこちに設置されて、道もあちこちが通行止めや一方通行になっててわけわからないし。
わけ分からない人たちもわけ分からないまま騒いでいたり、
報道のカメラなんかもわけわからなさを増幅させてて。

でも、もし家族の人が今プッタパルティにいて心配という人がこれを読んでさらに心配になったらいけないので書きますが、
へんな事をしなければ(たとえばわざと野次馬の集まってるとこに首を突っ込むとか、警察の制止を聞かずにバリケードを突破するとか)街中もみんな普通に歩いてますし、町の治安と安全はちゃんと保たれてるので大丈夫です。

ダルシャン後にアパートに放り出して出てきた洗い物をしに行ったり、追加の荷物を取ってきたりしましたが、メインロードから少しでも通りを奥に入ると、商店のたぐいがみんなシャッターを下ろしてるということもあいまって、静かな落ち着いたものです。

しかし一方でアシュラムの中はやはり物事の中心にあって台風の目の中にいるような質の異なる静けさと安心感があります。



お寺にお参りした後、主名が木登りをしてるのを眺めてたら、
やはり外からアシュラムに避難というか、急遽、中に部屋を借りて昨日から滞在してる長期滞在の知人と、昨日日本から到着した人たち(ババの訃報に驚いたそうです。そりゃそうですよね)が来たので、
一緒にサウスに食べに行きました。

サウスで食べたあと、わたしと知人は朝のまだ人が少ないうちにまた、ババのご遺体ダルシャンの列に並びました。

昨日は装飾はほとんどなかったけど、今日はいろいろきれいに花も飾られて、だんだんお葬式っぽい荘厳なムードになってきていました。

それを見て、ああ、お葬式なんだなという気分が盛り上がってきたというか。

ババは帰依者に囲まれて、きれいな花にも囲まれて、本当にその光景はこういってはなんだけど美しいと思いました。

本当に、素晴らしいひとが亡くなったというのがしみじみ思われました。

昨日のババの顔色は黄色か土色っぽかったように思うのですが、今日はやや青黒くなってたように感じられました。

ババの、あれは棺おけといっていいのでしょうか、遺体が入っているガラスケースみたいな箱の寸法はほんとに短くて、ババの顔だけ見てるとすごくしっかりしてて、迫力満点で偉大な感じなのですが、
小柄で、華奢な人なんだなあと改めて思いました。

ババという人がいったいどういう人だったのか、わたしはいまだによく分からないし、ババが亡くなったことが具体的に何を意味するのかもまだよくつかめていません。

いったいこれから何がどう変わっていくのか、変わっていかないのか。


ババが亡くなるということは、このサイババ王国であるプッタパルティの存在形態が根こそぎ変換するということですから、
以前ババが亡くなったといううわさ(それはその時は真実ではなかったのですが)を聞いたとき、
わたし自身も町全体が感じたであろう不安とともに、ぐらりとした不安を感じました。

しかし実際なくなってみると、不安はなく、悲しみもない自分がいます。

何が変わったのか、何が変わっていないのか、それを自覚するにはまだもうちょっと時間がかかりそうですが、たぶん自分としては何も変わっていないのだろうと思います。

むしろ、肉体を持つババの強烈な磁力にひきつけられると同時に振り回され、かき回されることがもうなくなったという点ではなにか安堵している自分もいます。

それはまだ状況認識が甘くて、
今後自分の心境がどうなっていくのかは分かりません。

ババの遺体を見るとき、そのような理由で、自分の心境を図りかねるようなところもあります。

遺体はやはり、すでにあのサイババではなく物になっているという感じがしました。
ババはすでにこの乗り物から解放されて、あらゆるところに満ちているんだろうと思います。

しかしそれを見たとき、自分がどういう気持ちになるのか自分とババとのつながりはどういうものだったのかを知りたくて、
また、やはりそこにババの肉体がある限り、できる限りそれを見つめ続けるのは自分の義務な様な気もして、できるだけご遺体ダルシャンに子供と一緒に繰り返し行っています。

ババが生きてるときもそうでした。
それが私たちのどろどろの日常からの救いでもあり楽しみでもあるというのは間違いなかったですが、
それとは別に、ババがいるときにはできるだけそのダルシャンを受けるのはプッタパルティに住むものとしての、また、人間としても最優先の義務のような気がしていました。


本当に、それ以上に大切なものはこの世界にはないと思いました。
ババの道具として活動する義務を除いては。

その神との交わりの至福と神の道具としての人間の活動のバランスが、人間が人間として幸せに生きる秘訣なんだろと思います。
でないと、人間をする意味もなくなってしまうので。



近年ババはダルシャンのときとかほんとにしんどそうに見えるときも多かったし、
息が苦しいのか何なのか、口が開いたままのときとか、
ひどい顔色のときとか、
むくんでいるときとか、ブレスをしようとしても手が充分上がってなかったり、肉体の衰えは明らかでした。

しかしそれでも彼がみんなの求めに応じて、求め以上に与え続けようとしていることも明らかでした。

彼は自分でいつも自分は幸せだ、至福だとよく言っていましたが、
きっと本当にそうだったんだと思います。
たとえ肉体がすでにずっと前から限界だったのかもしれないとしても。

彼の味わっていた至福は留まるところを知らず、彼から流れ出していて、その愛の流れは私たちをも満たして至福に酔わせました。

私たちはどれだけのものを彼に返すことができたかと考えると、その収支はまるで話にならないほど彼への借りばかりだと思います。

しかし彼は母が子供に自らを与えるように、まったくの本性として自分自身をみんなに与え続けてきました。

その結果、彼がその人生で成し遂げたことはあまりにも大きく、深く、驚異的なものとなりました。

しかしそれはただ彼の人類に対する愛のみが成し遂げたことでした。


人の求めに応えて降臨したアバターは、その本性のままに自らを与えつくして肉体をも使い果たしました。

彼が彼のために残しておいたものは何もなく、
それゆえ彼は彼が自らを与えたすべての人の中に永遠に生きることでしょう。




昨日警官に聞いたときには夜中の1時までご遺体ダルシャンがあるという話だったのですが、結局夜通しやってました。

25日も24時間やってました。

今は日付が変わって26日の00:24ですが、たぶんやってると思うんで、夜中の2時ごろに、行列が短くなってることを期待して、アシュラムに泊まってるほかの人たちと一緒にまたダルシャンに行ってみます。

インド各地や世界各地からぞくぞくと人が駆けつけています。
特にインド各地からの数は明日には相当な人数になってると思います。
北インドからの臨時列車も何本も出ていると聞きました。

外国からはビザの関係もあるし、なかなかすぐには動けないでしょうけど、
でもそれでもやはり確実に増えて来ています。

アシュラムのラウンドビルディング(古くからの帰依者が多く住んでいる)の部屋の持ち主なんかも駆けつけてるみたいで、たくさんの自家用車がビルの近くに停められています。

26日もご遺体ダルシャンがあって、
27日には朝8時からお葬式だそうです。
と、新聞なんかには告知されてたそうです。

私たちはできればだめもとで26日の夕方くらいから27日のお葬式のために並んでみようかと思っています。

毎年繰り返される行事と違って、
今回のはもちろん初めてだし、どういう動きになるのかあまり予想がつかないのですが、
(それでなくてもアシュラムの行事では突発的なことがたくさん起こるので)
できるだけのことはしてみて、悔いのない様にこのおかれた状況を大事に味わいたいと思います。

ババのサマーディ(お墓)は、ババがいつもダルシャンを与えていたサイクルワントホールに設置されるというちまたの話です。


ババはいったい何者だったのか、
アバター(神の化身)です。といってしまえば早いですが、

アバターとともにあるということがいったいどういうことだったのか、
アバターとはいったい具体的に何を意味したのか、
それをほんとにわかっている人は誰もいないと思います。

ただ、私たちの人知をはるかに超えた巨大な力と英知を持った人が亡くなったということは分かります。

彼のすべてのなぞと秘密は充分明かされないままに彼とともに逝ってしまった。


ただ私たちに分かることは、彼は純粋以上の愛の人であり、彼の人生は愛そのものであったということ。

私たちに残されたのは彼に与えられた愛の記憶。


それゆえ私たちはすでにすべてを与えられ、彼の死によっても実は何も失ったものはないのだろうと思います。

すべてはすでに与えられて私たちの中に息づいているのだと思います。


泣くなら彼が私たちに与えて体感させてくれた至福の悦びのなかで涙は流されたいと思うわけです。



しかし彼が与える用意のあったものに対して、わたしたちはどれだけのものを受け取れたのでしょう。

それは悔やまれます。

だけど彼は辛抱強く私たちの歩みを見守って、私たちが知っても知らなくてもいつも寄り添ってくれていました。

私たちが道に迷ったように感じていたときでも、
彼はいつも見守っていました。



すべてのものの母であり、保護者である彼。

彼はそれを知っていたはずです。

知らないのはいつも私たち。


彼はいつもすべてを知っていて、
彼をほんとうに知るものは誰もいない。

わたしたちはただ彼に与えられた愛を通して彼に気づき、彼の中に溶け込むことを自らに許すことができるだけ。

彼に溶け込むこともまた、彼の愛なしには起こりえない。


何がこの世界に満ちているのか、

そこには彼の愛だけが。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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