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2011年4月26日の日記。

結局一睡もしないで夜中の2時になりました。

いっぺんくらいはちゃんとサリーで正装してご遺体ダルシャンに行きたかったので、昨日持ってきたはずのサリーを探したけど見当たらず、
しょうがないので白いシャツとロングスカートで行きました。

アシュラムの同じ棟にとまってるほかの日本人の人たちと一緒に行きましたが、
なんか、キャンティーンスタッフがバジャンを捧げるのに参加させてもらえるということで、ダルシャンの行列には並ばず、2時半にバジャンホールの裏に行きました。


主名は子供だしリードシンガーとかじゃないので、VIPゲートのところのセバダルは入ったらだめといったのですが、
ころあいを見計らってどさくさ紛れに連れて入りました。


中に入って、出番が来るのを待ってたら、サリーで正装してないと歌わせてくれないという話だったので、(実際はそうでもなかったですが)
私と、もう一人はアシュラムの外の部屋に戻ってサリーに着替えてくることにしました。

4時の出番まで45分くらいあったので余裕と思いましたが、
ガネーシャゲートから出るとバリケードでアパートのあるサマディーロードには行けないようになっていたので、チトラバティロードをチトラバティ川まで行って、
川沿いに歩いてシルディテンプルのあたりからぐるっと回ってサマディーロードに裏から入りました。

まさか、夜中の2時半過ぎにダッシュして汗だくになる羽目になるとは思いませんでした。

アパートの部屋で水浴びして汗を流してサリーに着替えました。
たまたま一度も着たことがない新しいサリーをもってたのでそれを着ました。

そしてまたダッシュでアシュラムに戻りました。
キャンティーンゲートから入り、プールナチャンドラホールやババの家の周りをぐるっと回ってVIPゲートから再び入りました。

何とか出番には間に合ったようだったので、座って待ってたらインターナショナルバジャングループのリーダーが来て、前のほうに来るように言ったので
今回はよくわからないけどキャンティーンスタッフのグループに参加してるといったら、
実はキャンティーンスタッフのグループは今回はインターナショナルバジャングループの混合グループなようでした。

なので言われるままに少し前に行きましたが、
主名は子供はだめなうえに、7歳以上の男の子なので、ほんとは女性のグループメンバーとして前のほうに行ってもいけないので、
主名を体の陰に隠しながらババの棺の近くに行きました。

で、歌ってたらまた周りの人にどんどん前に行くようにいわれたので、
あんまり前に主名を連れて行ったらさすがにセキュリティスタッフにとがめられるかもしれないし、だめだろうと思ったので、
主名はグループの人たちの中ほどに混じって座らせておいて、
私だけ前のほうに行きました。

久しぶりにグループで歌って楽しかったです。
最初はマーナサバジョレー グルチャラナムで、なるほど、こういう選曲かと思いました。
あともシヴァ系のバジャンが多かったです。
リードできるのはして、できないのは聞いてフォローで歌いました。

最後にババの前で落ち着いて座ってバジャンを捧げることができてほんとによかったです。



朝の5時きっかりに私たちの持ち時間は終わったようで、
5時からはスップラバータムが唱えられました。

スップラバータムは、ババ、起きてください朝ですよ、みたいな美しい祈りなのですが、
うう、これはやばい、感傷的になりすぎる。。。と思いました。
痛いですよね、動かないババを前にしてこの美しい旋律の祈りは。

出番が終わった私たち外人グループは、名残を惜しんでなかなかホールから出ずにババの遺体を離れたところから眺めながらスップラバータムを聞いていました。

主名もとがめられずにみんなと一緒にババの遺体の近くでバジャンを大きな声で歌ったそうで、よかったなと思いました。



ホールから出て、主名がおなかすいたとか言うので売店でカップめんを買って食べさせて、私はミルクティーを飲みました。
いったん部屋に帰り、わたしはアパートの部屋に、もう少し荷物を取りに行きました。

でもまず、また、列に並んでご遺体ダルシャン受けました。
やはり日に日に黒くなってきているような。

いろんなことが強烈だなと思いました。


たくさんの人が集まってる中で、ババのみが遺体としてそこにあるというのもすごく不思議な感じがしました。
遺体を囲んで多くの人が集まっている。。。。。
なんだこのジュールすぎる状況は、とか思いました。

こんなにたくさんの人がいて、ババだけが死んでいる。。。

日に日に黒っぽくなっていく遺体を前に、これもババの教えだとしたら強烈だなと思いました。

肉体が朽ちていくものであることをこんなにさらしてることで、肉体へ執着すること、ババと肉体を同一視することで心理的な痛みは得るものだという、強烈な提示になるような。

なんだかこの、ババの遺体をみんなが見に来て(会いに来て)24時間以上、遺体が人目にさらされ続けているというこういう状況が何なのかを私の脳はなかなか把握できないで、
遺体も徐々に変わっていく感じだし、すごくたくさんの答えを含んだ問いかけを投げかけられてるみたいで、ババの遺体は何度見に行っても見飽きることがないというか、そこに答えが含まれているので混乱はしないのですが、見るごとに自分の中でたくさんの不思議が増産されました。

見に行けば行くほど、不思議で不思議でしょうがなくなって、自分の中が不思議でいっぱいになりました。

サイババという多くの人を導き守ってきた素晴らしいひと、時間とともに黒ずみ変化していくその遺体、それを見に来るものすごい数の人。

いったい何なんだという気持ちで軽く思考停止なかんじでした。

あまりにもいろんなことが不思議すぎて。

これはいったい何なんだと、不思議で不思議でたまらなくなりました。



今日2回目のご遺体ダルシャンを終え、キャンティーンゲートから外に出てアパートに荷物の追加を取りに戻りました。

ゲートからはハヌマーンテンプルに向かって長い行列ができていました。
新しく人も続々と到着していました。

あちこちが通行止めや一方通行になってるので、到着したばかりの人は勝手が分からなくて困るだろうなと思いました。

荷物を持ってまたキャンティーンゲートからアシュラムに入りました。
もうちょっと、今後と明日はアシュラムから出ないほうが無難だなという感じがしました。
人が続々と到着してたので。



ゲートから入って、お腹がすいたのでサウスで朝食を食べました。
こんな非常事態にも変わらず食を提供してるサウスインディアンキャンティーンはアシュラムのなかでもかなり重要な施設だと思います。

食べたあと、アシュラムの部屋に戻ろうとしたら、キャンティーンの前のバリケード?の通れる部分がやたら混雑してて、ぐちゃぐちゃになってて通れなさそうでした。

う~ん、と思って横を見るとダルシャンに行く行列は、ゲートの外では長蛇の列ですが、ゲートの内側では途切れがちでした。


。。。。。これは、ダルシャンを受けるように誘われてる気がする。。。


とか思って、荷物をサウスの窓辺において、チャッパルもぬいで9回目のご遺体ダルシャンの列に加わりました。


やはり黒い顔色のババ。

日曜の夜は今起き上がっても不思議じゃなさそうな感じでしたが、今日は、ここにあるのは「肉」、だなあという感じがしました。

それがすごくすごく不思議でした。


死体を見たのは初めてというわけではないですが、
ババの遺体は初めてだったので、

生きてるということとか、肉が動いていてそれをみんながその人だと思っていたこととか、
今生きてる人たちも肉の姿かたちがその人だと思って認識してることとか、でも、
それらもいずれいつかは順に死体になって動かない肉となることとか、
そういうことが改めてすごく不思議で、

肉体を離れたときのこととか、今のババ、肉の縛りから離れた自由になったババの現在の状況のこととか、
そういうことが私が見ている世界に重なった奥の姿として感知されるような気もして、
とにかく不思議な気分でした。


姿かたちが無くなったとき、私たちはそれをどうやってそれと認識するのでしょう。

本当に不思議。


答えつきの疑問をいっぱい抱えたような気分でアシュラムの部屋に戻りました。



。。。。。ところが、



主名が部屋の中から鍵をかけたまま熟睡してて、どんなにドアをたたいても、呼びかけても、セバダルが5分おきに部屋の中にある私の携帯に電話をかけて呼び出し音を鳴らしてくれても、

まったく起きない。


困って、
前夜一睡もしてないし、
部屋にかえったら水を浴びてすぐに寝ようとすっかりそのつもりになってたので、困りました。

なので部屋の前の廊下に座布団をひいて、その上に横になって寝ました。


ほかの部屋の人たちやセバダルも心配してくれて、セバダルは5分おきくらいにひんぱんに私の携帯の呼び出しをして主名を目覚めさせようとくれてたのですが、
とうとう、窓の外に誰かをやって窓の外から中に寝てる主名に呼びかける手配をしてくれたようでした。(2階)


わたしは、そうだ、と思い出した用事で知人の部屋に行って、また用事で自室にもどって、
散々ノックしても開かなかったドアを期待せずにノックしたら、
主名はおねしょして目が覚めたみたいで、下半身丸出しでドアを開けてくれました。

いそいで、セバダルに手配の中止をするために報告しました。
親切なセバダルだった。

3時間以上締め出されてたので、まいりました。
しかもかなり疲れてるときに。



その後ウエスタンキャンティーンで昼食を食べ、
部屋に戻って一休みしたあと、昨日からたのまれて始めていた
ヴェーダのレッスンをしに行きました。

そのあとはみんなでぺちゃくちゃしゃべっていました。



明日のお葬式は一般人は入れてもらえないと新聞かニュースに出てたいう話も聞いて、
それならそれでがんばらなくていいし、楽だからよかったわと思いました。
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【2011/04/27 16:35】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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