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サイババの追悼式典?
子供は今日は学校が休みだったのですが、昨日の宿題をしてなくて、
私の顔色がいよいよヤバイと見て取ったのか、今日の昼間も集中して宿題を片付けていました。

1~2時間で終わるんだから、いつも先に宿題やって、そのあとのびのび遊べばいいのにといったのですが、
子供もほんとにそうだと思ったらしく
(ここしばらく、宿題が出てるのに出てないといって遊んでたから)
今日はスカッとした感じで遊んでいました。

一応受験生なので、最後の追い込みの時期なんです。
学校では毎日テスト(模擬テスト)をしてて、その日のテストで間違ったところを訂正して練習するのが宿題になってます。

今日はわたしは昼から下痢になりました。

今は水状態。

関節が少し痛いので何かのウイルスが体内に入った模様。



しかも夕方から停電で、他の部屋もみんなだろうと思ってたらどうもうちの部屋だけみたいです。
夕食後部屋に戻ったらうちの部屋だけまだ電気がつかないのでそこでやっと気がつきました。

なので暗闇の中でパソコンをしています。
パソコンがあると、画面の光が非常用のランタン代わりになるので重宝します。

明日の朝、修理を頼もうと思います。
たまにはこういう実害のほとんどない停電もいいものです。
夜は本来暗いものなんだなあという気がします。


永遠にアシュラムに住みたいくらいなのですが、
今日うちの部屋だけ停電になったし、そろそろ私の喪もあけたということか、
そろそろ下界に降りて働けということか、という気もします。


今日の午後は5時からサイクルワントホールでプログラムがあって、
何のプログラムかというとババに関するスピーチだったんですが、
部屋にいたらアニールクマールさんのしゃべる声が聞こえてきました。

でもテルグ語オンリーで英語への訳もなさそうだったし、
聞いてもまるで分からないのでゆっくり6時半ごろにホールに行きました。

私たちがホールに入ったときは別のスピーカーが英語でしゃべってましたが、
やっぱり聞いてても10分で飽きてきたので主名と一緒にサウスに何か食べに行きました。

私も主名もカードライス(ヨーグルトご飯)を食べました。

主名はサンバル(インド版味噌汁みたいなやつ)も買って混ぜて食べてました。


わたしはおなかを下してるにもかかわらず、カードライスのおまけの辛いチャツネがおいしくて全部食べ、
主名が半分残したサンバルも味見したらおいしかったの完食しました。

サウスのご飯がときどきたまらなくおいしく感じるときがあるんですが、なんなんでしょうね。
スピーチを聞くのをサボって食べてるからかな。
主名も今日はおいしいおいしいと言って食べていました。

ご飯を軽く食べてホールに7時くらいに戻ったらまだ誰かがスピーチしてました。

最後にまたアニールクマールさんがなんかしゃべっていました。

スピーチは要するに、サイババの肉体は亡くなったけれど、ババは私たちの中にいますみたいなことで、
ババから得たものを世界に分かち合っていきましょう、ババの指令を実行していきましょう、
みたいなことを言ってたような気がします。

たぶん。笑


私たちは早くアルティーにならないかなあなんて思いつつ聞いていました。

そこらへんでつんできた花をババのサマディーにささげようと思って私と主名は一輪ずつ持ってきてました。


バジャンが何曲か歌われ、
驚いたことにプラサードが配られました。

いつもババの祝福を受けてから配られてたので、もう今後はないのかなあとか思ってたのですが、
ババの椅子のところにプラサードをささげて、そのお下がりとしてみんなに配られました。

配る学生や、女性側はセキュリティスタッフが一斉にプラサードの容器を取りに行って、
そして手に手にプラサードがいっぱい入った容器を持って戻ってきたのをみたら、
なんだかババの生きてたときそのままな感じがして、
感動して、胸がいっぱいになって涙がこぼれました。

配られたのは定番のラドゥー(丸い甘いお菓子)で、

主名はもうこれを食べ飽きてるので(昔はこればっかり食べてたのでサウスインディアンキャンティーンスタッフにはいまだに「ラドゥー」というあだ名で呼ばれているという)
プラサードをセキュリティスタッフが渡してくれようとしても無視しようとしてたので、
ちょっとつついて受け取らせました。


なんだかプラサードをもらったとき、本当にいまもサイババの意識がいきわたっているんだなあという感じがしました。

これで私の喪中も明けたのかもしれません。そんなかんじ。


その後はいつものように、順番にサイババのサマーディーにお参りしました。

今日はお墓(サマーディー)の周りもいつもより豪華に派手に花が飾られていて、楽しい感じでした。


その後ウエスタンキャンティーンに行ってまた軽く食べました。
主名はジャガイモの焼いたのと、野菜に何かつめて焼いたのと、ケーキを食べてました。

さすがにわたしはあんまり力も出ない感じでふらついてたので
ハーブティーと水と、ミルクティー半分を飲んで水分摂取にとどめました。

あ、でも、小さいジャガイモは主名から一個分けてもらってちびちびよく噛んで食べました。


主名は食後に他の子供たちともっと遊びたいというので、わたしは先に部屋に戻りました。
途中でココナツウォーターも飲みました。

ココナツウォーターは下痢にいいという話なんですが、
わたしはこれを飲むといつももっと下痢するんで、
やっぱり噛むように少しずつ飲みました。

下痢にはわたしはホメオパシーの薬がてきめんに効きます。
今もってないので飲めないですが、
ホメオの下痢の薬を飲むと、いつもすぐさま下痢じゃなくなります。

日本ではホメオパシーはうそっぽく思われてるのかもしれないですが
経験上、はまると即効効きます。
驚くほど。

これはわたしだけの経験じゃないです。

効かないときは効かないんですが、というか、
効いてるか効いてないかわからないときもあるんですが、

ホメオの風邪薬とか、熱の薬とか、そういうのもなんかいい感じなので
旅行に出るときもいつも小さなケースに入れて携帯していきます。

インドではホメオパシーの薬が簡単に安く手に入るので、それはすごく助かるなあと思います。

薬は飲まないに越したことないんですが、
勝手なイメージかもしれませんが、ホメオの薬は飲むと心にもいいような気すらします。

アーユルヴェーダの薬よりもむしろわたしはホメオパシーの薬が好きです。

アーユルヴェーダは薬というより、生活の中での食とか、そんなかんじの生活することがアーユルヴェーダという印象があります。


さあ、そろそろ寝よう。

夜に暗いのは落ち着きますね。
(停電続行中)
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【2011/05/05 02:51】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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コメント

こんにちは。初めまして。

日記を楽しく拝見しています。

私事で恐縮ですが、5月13日より18日までプッタパルティ滞在予定です。

初めての渡印、そしてもちろんプッタパルティも初めて訪れます。

ツアーで行くのですが、ブッダプールニマ祭は行われるのでしょうか?

いずれにしても、まったくの僥倖で今回渡印できることとなり、ババの恩寵に感謝すると共に、とても楽しみにしています。


senkichi


【2011/05/05 18:58】 URL | senkichi #-[ 編集]
Om Sri Sai Ram

senkichiさま

こんにちは。コメントありがとうございます。

ブッダプールニマはどうなのかわからないけど、あるといいですねぇ。

ババがなくなっていろいろ変わっていくことや変わらないことがあると思いますけど、
プッタパルティも新しい訪問者がどんどん来て、いい感じになっていくんだろうなあと思います。


サイラム!
【2011/05/06 00:36】 URL | 古野SAWAKO #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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