スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
つぶやきと回想
夜は涼しくって気持ちがいいです。

、、、て、ツイッターならこれだけで終わるところですが。



5月6日のイーシュワランマデーには私たちは早朝にアシュラムの部屋からアパートに移り、
スタジアムに行きました。

前日にサイクルワントホールでアナウンスがあり、イーシュワランマデーにスタジアムでサリーと食事が配られると聞いてたので。

でも行く途中にふらついてきたので(下痢中だったので)そこらの食堂に入ってプーリーを主名と2人で食べて腹ごしらえしてから行きました。笑

でもこれ、正解でした。

スタジアムに行ったのは朝8時ごろだったと思いますが、すでに強くなってきていた酷暑期のインドの日差しの中で9時過ぎまで座って待ちました。

わたしは日傘をさして座ってたのですが、主名は男性側にやったので、日陰も日傘もなし。

みんな並んでひたすら待ってました。


9時過ぎに葉っぱのお皿と辛いまぜご飯と水とラドゥーとサリーが配られました。

なんか知らないけど、両隣のインド人のおばちゃんはやたらフレンドリーで、
(きっと色々もらえるんで浮き浮きしてたのかも)
自分のかばんを地面に敷いて「座れ」と座らしてくれました。
一応何度か断ったんですが、座れと言い張るので座りました。

もらうものをもらったらみんなあっという間に散っていきました。
右隣のおばちゃんに「もう行こう!」とか言われたので
わたしもご飯をさらに包んで立ち上がって帰りました。

この、待つときの忍耐強さと、引き際のすばやさはインドにいて何度も感心したことのひとつです。

私なんかすることなくてもいつまでもその場にずっと座ってるタイプなので。
ババ亡き後の今もそんなかんじだったりして。



どこで主名に会ったんだったっけ。
どこかで男性側から出てきた主名とうまい具合に会いました。

主名は男性用のドーティー(巻きスカートみたいな正装の服)がほしくて、
配られるときに何度か主張したらしいけど、子どもにはくれなかったらしく、がっかりして、
さらに日差しはきついわご飯は辛いわでふらふらとしてました。

わたしは地味なサリーが自分のとこに配られますようにと念じてたんですが、一番派手なのが来ました。
黄色地に青やピンクの大きな花模様。

しかしサリーをもらうと、自分では選ばないような柄のがくるから新鮮といえば新鮮です。


あとで、だれかがスタジアムには村人しか行かないのよとか言ってたらしいんですが、
いいも~ん、村人だも~ん。と思っときました。

外国人もけっこう行ってましたよ。


あとで、その日掃除のお姉さんに「ファイティングになるから行かなかった」と聞いて、
ぜんぜんファイティングじゃなかったけどなあと思いました。

もしかしたらババが生きてたころに配られるご飯やサリーはみんなもっと血眼でほしがって、
いつもファイティングだったのかも?

でもこないだはぜんぜんそんなことありませんでした。
サイクルワントホールでもババが亡くなったあとにもちょくちょくプラサードが配られてますけど、
立つ人もほとんどいなくて、
みんな自分の場所に座っておとなしく待ってます。

ババが生きてたときとは大違い。
ババが生きてたときは肉塊にたかるピラニアのようになってる人多かったですから。

それだけ、ババの吸引力とか付加価値みたいなものがどんだけ強力だったかということでしょうか。

みんなおとなしく静かになって、少しさびしいような気もしないでもないですが、
正直に言って、、、快適です。

やっぱりババが生きてたときは老若男女みんな狂ってたんだなあと思います。



このアシュラムにこんなに穏やかなときが来るなんて。




もうあの、狂気の群集に押しつぶされるような感覚も味わうこともないのかと思うと、、、

なんだか暮らしやすくなったよなと思います。



ババが生きてるときはこのサイババ王国プッタパルティはものすごい状態にあったんだなあというのが改めて思われます。

サイババという巨大なエネルギーにみんなが巻き込まれ翻弄されていた。

そうしてる間にあちこちでゴチゴチとぶつかったり、削られたり、余計なものを吹き飛ばされたりして、
ものすごい強力に猛スピードで変容させられずにいられなかった場所、

それがサイババが生きていたときのプッタパルティだったんでしょう。



ものすごい特異な空間、場所だった。。。




今は快適な場所です。



P1010011_convert_20110403052057.jpg
ヒルビュースタジアムにて。炎天下の下で忍耐強く待つ人々。

P5060158_convert_20110514040053.jpg
おー、セバダルたちによって葉っぱのお皿が配られ始めました。

P5060159_convert_20110514040359.jpg
こんなかんじ。ピーナツとかゴマとか入った混ぜご飯。水。ラドゥー(丸いお菓子)。葉っぱのお皿はエコでいいよね。

P1010013_convert_20110403052356.jpg
もぐもぐ。

P5060161_convert_20110514041649.jpg
食べ終わったり食べ終わってなかったり。とにかくもらった後はどんどん帰って行く人々。ある意味見事。

P5060162_convert_20110514041955.jpg
飾り付けをされて華やかになったサマディーロード。

P5060163_convert_20110514042223.jpg
まるでわたしたちを歓迎しているかのような飾りつけ。ちがうか。
道の奥がサマディーです。
どこかから切ってきたバナナの木が門松のようにゲートの両脇にすえつけられています。

P5060164_convert_20110514042445.jpg
上空から見たサマディー(サイババの両親のお墓)。青屋根がそう。
肝心のサマディーの敷地内での写真は撮り忘れましたとさ。
でもいいですよね。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:海外生活 - ジャンル:海外情報

【2011/05/14 02:06】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
<<ありがとうございます。いつのまにか紹介されていました。 | ホーム | スイカジュース>>
コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2011/05/15 11:25】 | #[ 編集]
こんにちは
久しぶりに拝見しましたら、記事がたくさん増えていて楽しみです。
先日はメッセージの御返事戴き有難うございました。その後返信を書きかけたままになってしまいました。申し訳ありません。
久しぶりにあちらの空気を戴いているようで、気持ちはそちらに飛んで行った様に感じ、とても有り難いです。
ヒルビュースタジアムは残念ながらまだ一度も行った事がありません。お食事お菓子のプラサドだけでなく、サリーまで…羨ましい。お揃いのサリー等配られるのを羨ましくいつも思っていました。一度コダイカナルに行った特、前日に配られたとか聞いて縁がないのを羨んだ事もありました。
スワミからのプラサドだと思えば尚更です。

葉っぱのお皿、ピーナツゴマ入り辛い混ぜご飯、どれも懐かしい。

ババが生きてたときは肉塊にたかるピラニアのようになってる人多かった……でしたねぇ(^-^;
ピラニアって…(爆)
でも配り忘れられるとピラニア予備軍になってた事も…

ああ、早く行きたいな。
【2011/05/21 16:25】 URL | パドミニ #-[ 編集]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/1729-b214f796
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。