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23日のホーマムとカウプージャ
いいかげん、忘れないうちに書いときます。

更新のない間にも拍手ボタン押してくださってる方ありがとうございます。
けっこう励みになるもので。

23日は朝からまたドゥルガーテンプル(パッティーシュワランテンプル)に行きました。

このお寺は色々独特なものがあって、
9つの惑星の神様の向きも一般の寺にあるものとは違ってました。
普通は中央の太陽の神様は東を向いてて、その周囲に配置されてる惑星の神様たちはみんなそれぞれ外側を向いているのですが、

ここのお寺では太陽は実際の太陽が日の出のときにそうであるように西を向いていて、周りの惑星の神様たちは全員、中央の太陽に向かって立っていました。

あと、悪魔マヒシャを殺したドゥルガー(この場合、パールバティと同一視)が、勝手なことをしたということで、その後シヴァに受け入れてもらえなかったらしく、

パールバティはシヴァに受け入れてもらえるように片足立ちの苦行を行なって、無事シヴァの受け入れてもらえた、ということで、
苦行中の片足立ちのパールバティの像もありました。

そのように、またもや寺のあちこちの神様たちに坊さんと一緒にお参りを済ませてからホーマムを行ないました。

これは、日本のカルマ解消のプージャを6月19日から11日間することになったのですが、
それまでのつなぎのプージャとして行なうことにしたものです。

ちょっと前にも別の場所で日本のプージャへのつなぎプージャをしたのですが、
それは日本の憲法の発行された日時を基に作成したチャートから決めたプージャでした。

日本の誕生日がわかればいいんですけど、わからないんで、(それこそ古事記の時代?)
そういう、重要な節目のタイミングからチャートを見ていくらしいです。

関係ないけど、インドで神様ドラマが根強い人気なように、
日本でも人気のある俳優とか女優で古事記のドラマすればいいのにな。


日本のチャートを作るときに、
現総理のチャートと、その、戦後の憲法発行のチャートを合わせて見ていったのですが、
「天皇で見るべきだ」とか、憲法も「もっと昔の時代ので見るべきだ」とかいう意見ももらって、
いくつか別のでも合わせてみたのですが、
不思議というか、やはりというか、それらは矛盾しないんですよね。

究極的にはどのポイントにも全体が含まれて折り込まれてるんでしょうね。


ということで、この日のは現首相のチャートを元にしたホーマム&プージャだったんですが、

最近は少し違う風も吹いてるのかもしれませんが、チャート作成時(4月)の現首相の人気のなかったこと。笑

そのひと本人がどういう人だとかそんなのは分かりませんが、
たとえ敵でも(首相が敵というわけではないですが)プージャがやるような形でエネルギーを与えるのは
それがだれを対象であっても、私は万人に利益として還元されると思っています。

まあ、プージャにもいろんなのがあるみたいですが、、、それはそれとして。


ホーマムは2~3人(基本2人)で行なわれました。

おいしそうな5種類のフルーツも火にくべてて、なかなか燃えにくそうでした。

煙がすごいときもあって、
でもこの煙にはダイオキシンとかはないだろうと思いつつ煙を浴びていました。
こういうホーマムの煙とかはいいって言いますよね。


ホーマムが終わった後にはまたドゥルガーのアビシェーカムとかいろいろあって、
この日はいい日だったからか別の人も寺の別の場所で同時にホーマムをやってたので、ホーマムでできる聖水、カラッサムウォーターがたくさんできてたので、
前日ほどの牛乳の量は浴びせず、カラッサムウォーターをたくさん使ったアビシェーカムでした。

また別の人もすごい豪勢な太い花輪とかを捧げてて、
こういうふうにみんなの祈りが合わさってプージャが行なわれているんだなあと思いました。

この日は11の、レモンを裏返した器をつかったオイルランプを灯しました。
ちょっとは慣れて、早く火がつけられるようになりました。


一つ一つのプージャの合間が長くて、
この日は午後から主名は海に行くと思ってたので、彼は気が気じゃないみたいでした。
遅くなるから昼ごはんも食べないとか言っていました。



なんか、プージャの一環としてご飯を配ったりもしました。(アンナダーナム)



その後もなんやかんやプージャをして、(もう何がなんだか)


そして寺の門のところに行って、そこに連れて来られていた、前日村で見た牝牛と子牛にもプージャをし、
それを私からいったん寺の坊さんにプレゼントし、
(ブラーミンにプレゼントする必要があるらしい)
その後坊さんはよその寺で働いている貧しい女性(多分掃除したりするような)に牛の手綱を手渡してプレゼントしてました。

プージャの最中に牝牛はボトンボトンと糞をし、
それにはみんなあまり反応しなかったけど、
プージャの終盤にはジョーーーーー!!!と、たくさんおしっこをしました。

私や主名はギャーとか思ったんですが、
占星術師や他のインド人は「ベリーラッキーだ!!」とか言いながら、
新鮮な牛のおしっこを地面に落ちる前に手の先で受けて自分の頭に振り掛けたりしてホクホクしていました。


まだまだ私はインド文化になじんだと言うには程遠いと感じた瞬間。
(と言うかむしろなじみたいとは思わない分野)


まあでもこの手のプージャをするときに牛がおしっこをするのは吉兆なんだそうです。


そんなこんなで、悠長にたっぷり時間をかけて数々のプージャを行い、
主名が時々「海に行くから!!」と、根気よく主張してましたけど、
そのドゥルガーテンプルを後にしたのはもう午後1時半くらいでした。


つづく
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テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/05/26 22:16】 | インド文化 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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