スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
グルプールニマの日に
昨日はグルプールニマでした。

なぜか夜通し起きてしまって、ここ数日かなり精神状態がどろどろしてよくなかったのですが、
夜通しおきたら妙にすっきりして、
今思えば満月の影響があったのかもしれないですけど、
軽く躁?笑

で、物事を始めるのにも適したタイミングだったので、早朝にミクシィでプレマサイコミュ立ち上げてみたり、(立ち上げるのは簡単ですよね。数分でできる)

あと、部屋にある一番おおきなサイババの写真を起動させたりして、(マントラ唱えてターメリックペーストやクムクムパウダーをつけたりする)

それから朝8時くらいに寝ました。

10時くらいにおきて、
アシュラムに行きました。

プログラムは8時くらいからやってたと思いますけど、
リニューアルオープンしたサマーディにおまいりできるのは9時半からと聞いてたので、
どうせ昼くらいまでかかるだろうし、
11時くらいに行けば上等と思って、11時過ぎくらいに行きました。

そしたらまだものすごい人で、
どこからこんなに集まったんだとびっくりしました。

男性側のホールの外の通路も通れないくらいの人ごみで、
子供は一応男性側に並ばせて、私は女性側に行きました。

そしたら階段からホールには入れないようで、
人があふれてましたけど、
セバダルがプールナチャンドラホールにまわるように言ったのでほかの人たちについてプールナチャンドラホールのほうにぐるっと回りました。

そこもしまってたんですけど、しばらくしたらシャッターが上げられたので中に入りました。

中も結構人がいっぱいで、
まあでもそこらへんに座って様子を見てたのですが、
サイクルワントホールへの出口に人が詰め掛けてましたけど動く様子もなかったので、

ほかの人に習って、床に転がって寝ました。笑

次に目を覚ましたらすでに1時で、1時間熟睡してました。

見ると、人ごみが動き出してサイクルワントホールに順番に入って行ってるようだったので
私も立ち上がって列に加わりました。

スムーズにホールの中に入って、新しくなったサマーディにおまいりしました。

正面に晩年のババの大きな写真がありました。
以前はサマーディは花がたくさん盛られて古墳みたいになってましたけど、
新しいのは白い石棺がすえられていわゆる聖者のサマーディー風になってました。
おくの両サイドになんかモダンアート的なオブジェか照明か知らないけど縦に細長い黄色っぽい物が置かれてあって、
何だあれ?と思いました。


石棺があってもババの肉体は地下深くに埋められたんですよね。
知らなかったら石棺の中にあるような気がしますよね。
でもそれでいいのかな?いいんでしょうね。

工事して、ガラッとイメージが変わるのかと思ったら全体的なイメージはそんなに変わらない感じでした。

しかしなんか妙にむなしさを感じつつその場を去りました。

ババは肉体ではないと入っても、やっぱり肉体も通して関わっていたので、というのは見たり、声を聞いたり、
サイババの通る道を先回りして走っていって待ち伏せしたり。笑

やっぱりババの肉体がなくなってからは何らかの切り替えが自分で必要なんだなあといまさらながら思います。


夕食時のウエスタンキャンティーンでは小さな金の額入りのババの写真が配られていました。

ババの肉体を失った今、
この小さな品物がすごく嬉しくて感動しました。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2011/07/16 18:10】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<知人のブログ「まいにちVegi」のご紹介 | ホーム | グルプールニマの日の早朝に。>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/1764-479b1910
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。