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まさか今年死ぬとは思わなかった。
夕方、ハヌマーンテンプルでのガネーシャアビシェーカムに行ったんですけど、まだ始まらなさそうだったのでアシュラムに戻ってアルティをみました。

アルティを見ながら、なんというか、まさか、サイババ死ぬとは思わなかったなーと思いました。

今さらですけど、まさか今年亡くなるとは思わなかったですよー。

だって90何歳かまで生きてチトラバティ側の中に最後は自ら入っていくというババ本人の言葉がありましたから。

チトラバティ川は水が干上がってる時多いし、汚いし、
あと10年でババが入水できるようになるのかな?できるようにしなけりゃいけないんだろうな?とか思ってましたもの。

それがまさか病院で亡くなるとはね~。

ババの遺体を見ることになるとはホント夢にも思いませんでした。


皆、ババにしてやられたというとこでしょうか。。。?
うっかり死んじゃったにしては、太陰暦での数え方が亡くなる年齢にぴったり過ぎますもんね。

ババは死ぬタイミングを誰も把握できないようにみんなをかく乱しつつ亡くなったというとこでしょうか。


最後のほうのダルシャンの、ババが合掌した姿、
あれを見てもみんなたいして何にも思わなかったですもんね。

「なんだあれ?」
と一瞬思ったくらいで。


後から思えば明確なサインと取れますけど、
その瞬間、状況を把握してるのはやはりババひとりだけだったのでしょう。


新しいサマーディーになってお参りしたら、生前のババよりも遺体のババにおまいりした感覚がよみがえってきます。
あの時も同じように列になって一人ひとりお参りしてたので。

その先にあったものが日に日に黒ずんでいくババの遺体だったのが、今は真っ白なサマーディーに変わってますけど。


いやでも、ババの遺体におまいり、というのはちょっと、強烈でしたよね。
良くも悪くも一生忘れられないでしょうね。

しかも今しかないと思って目に焼き付けようと、がんばって凝視しつつ10回くらいお参りしたもんですから。


目に焼きついてますよ。笑

いや~、強烈だな、、、

と、今になって思います。



その後またハヌマーンテンプルに行ってプージャに参加し、
ウエスタンで夕食を食べ、(今日のラザニアはとろとろしておいしかった)

ネットカフェに来てます。


主名には毎日漢字ドリルをやらせてて、今日はたくさんやらせたので途中で泣きが入ったり、
現実逃避してしばらく横たわったりしてましたが、
今は主名は出した課題を全部終えて、ユーチューブでウルトラマンナイスとかいうよくわからんのを見ています。

いまはアンパンマンの「ばいきんまんとアマモグラ」
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テーマ:「生きている」ということ - ジャンル:心と身体

【2011/07/19 01:15】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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