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アパートの部屋。
夕方から夜にかけて雨が降る日も多くって、

3ヶ月近く水風呂で平気だったんですが、さすがにちょっと寒く感じてきたので今日は湯沸かし器を古い部屋からはずして、新しい部屋のバスルームにつけてもらいました。

今まで住んでた古い部屋もまだ掃除が完了してなかったので、今日は何時間か掃除してました。

そしたらウォッチマンも隣のおばちゃんも見に来て家具を譲り受ける約束をとりつけようといろいろ話してくるので、

わたしはなんかやってるときに話しかけられても答えられないので「あとであとで」とか適当に答えてました。


いやしかしインド人のおばちゃんの押し出しの強さよ。

「ロッカーを売るなら買うよ」
というので、

「ああいいですよ」
と気前のいい感じで言ったんだけど、

扉を開けてみたら中に仕切りがないのががっかりだったみたいで、

ま~、文句たらたら。

あのー、こっちから買ってて頼んだわけじゃないんですけどー、、、と思いつつ、

「いるんだったらもってたらいいし、いらなかったら持っていかなかったらいいんだから」

と、話を終わらせようとしても話が終わらない~。



結局、おばちゃんの部屋の中のロッカーの中身まで2回も3回も見せられて、しきりがあるとどう使いやすいか説明されて、

しらんっちゅーねん、と思いましたが

話を聞き、
結局、不満はあるんだけど買いたいということが言いたいみたいで。よくわからんー。


でもまあ、うるさく口出ししてくるものの、よい隣人でした。
その存在感にいろいろ助けてもらいました。
彼女自身もいろいろあって、よく話も聞きました。

おばちゃん(すでに70代だからおばあちゃんだけど)の同居してるお母さんはテルグ語しかしゃべれなくて私は分からんのですが、いつもものすごい話しかけてきて、
私たちが部屋を移ることについてなんでだーとか激しい感じで言って涙ぐんでいました。

おばちゃんも何べんも「なんでだー」とか言うのですが、
まあ、直接の理由はヴェーダの練習をしたら苦情が来るようになったのがその理由で、

状況的には10人が10人とも私らは部屋を出る必要ないと言ったんだけど、

今までどんなに大声で練習しても苦情はなくて、むしろ聞いた同じアパートの人が尋ねてきて教えてくれと言ってきたり、
CDに録音したいと言ってきたり、しなかったけども地元のTV番組で唱えてくれと言われたり、
隣のおばちゃんも私や主名が練習したあとは自分も練習しだしたり、なにかいい感じで話題提供&興奮材料になってるみたいでした。

下の階の無表情なインド人のおばあさんも、練習した後はよく興奮して笑顔で話しかけてきたものでした

そういうかんじで、私の前に見える光景としては周囲に肯定的に受け入れられてたのですが、

それが苦情を言いに来られる状況になったので、
そんな状態では私も気持ちよく唱えられないし、無理だなと思って出ました。


実は私はこの古い部屋に相当はまってて執着があって、何もかもがパーフェクトと思っていました。

この部屋で一生をこのまま終えてもかまわないくらいな感じだったんで、部屋を替わるのはつらくて、
今もうっかりするとまた戻れるかなとか迷ってるんですけど、

今は前にすすむべき変化のときなのかもと思います。


4年半くらい住んで、その間にこの部屋でたくさんヴェーダもバジャンも練習しました。
一人でしたり、ほかの人と一緒にしたり、

おばあちゃん先生たちと一緒にルッドラムを録音してCDにしてババの誕生日に贈ったのもこの小さな部屋で、
「祝福された部屋」「バイブレーションがいい」とよく言われました。

インターナショナルバジャングループのデモCDもこの部屋で中心メンバーで録音したりして、それを何十枚も焼き増ししたのもこの部屋でした。

毎年の半分くらいはヴェーダを練習したいと言う人たちが集まったので定期的に一緒に練習もしました。

いいことばかりでなく、
主名もわたしも病気をして寝込んだり、主名がこけて後頭部を切って大出血したり、

楽しい気分のときもイライラしたり怒ったりした気分のときもあり、
この部屋から早朝から晩から行事によっては夜中にもアシュラムに通い続け、降誕祭なんかでアシュラムにすら入れないようなときはこの部屋でいました。

赤ん坊をつれて長期でインドに住みだして、最初に住んだアパートなのですが、
洞窟の中にいるような、何重にも守られているような安心感がありました。

私にこの部屋を貸してくれた西洋人は数年前に亡くなりました。

彼女が自分の友人のために内装もやり直してすべてをすみずみまでパーフェクトに用意した部屋を何の因果か私が借りることになったのでした。

入ったのはガネーシャチャトゥルティの日でした。

部屋のテーブルにはテーブルクロスがかけられ、お香やマッチやお香立てはもちろんのこと、
小皿にキャンディまで用意されていました。

そのように隅々まで用意された部屋に入ったのでした。


オーナーも最高で、ウォッチマンもよく働き、よい隣人たちに囲まれ、立地もよく、家賃も他にないくらい安くて誰もがよいバイブレーションだと感じる小さな部屋、

ババが与えてくれたなら、ババが次に行けというなら潔く行くしかないか、もともと自分のものではなかったんだから、、、と、かなり未練を残しつつその頃に話が来た部屋を借りたのですが、


そしたらババが亡くなって、

次の部屋には正直不安で行きたくなかったのですが、
(親子二人暮らしなので安定してない場には怖いから行きたくない。バランスが取れなくなるから。)

とりあえずババのお葬式前後にはできるだけ平安でいられるようにアシュラムの部屋に泊まり、
そのアシュラムの平安のバイブレーションの状態になったままだったら、
あの、新しい部屋にいけるような気がしてきたので、

5月6日の吉祥のイーシュワランマデーにアシュラムから出たときに新しい部屋に直接入りました。
もう、古い部屋へは戻らなかった。

そうしてしばらく放置してたら古い部屋はものが残ったまま廃墟になりました。笑



母が来たときにお手伝いさんと一緒にだいぶ片付けて行ってくれたのですが、
今日、またわたしも荷物を運び出したり掃除したりしたら部屋がまた生き返ってきました。


でも、何も残さないようにしようと思うので、
ものをあげたり、

もっときれいに掃除したりして、

そしたら部屋が私が入る前の状態になるでしょう。




私が入ったときはものすごく隅々までセッティングされた状態だったので、
それらもない状態の部屋を見るのはとても不思議な感じです。

何か、部屋が夢から覚めたみたい。






夕方のバジャンでは四角いさくさくのお菓子が配られてました。

アニールクマールさんが静かにして、瞑想の邪魔をしないようにしましょう、みたいな事をアナウンスで言ってたけど、サマディー参りの待ち時間にみんなぺちゃくちゃしゃべるようになったのかな?

よくわからないです。


今日の夕食のパスタと上にかかったチーズはみょうに滋味深かったです。

私たちはエネルギーを食べているんだ、と、改めて思いました。

食べると木が根から水を吸い上げるように自分の中がしっかりと満たされてゆくのを感じ、

「ああ、、、」

と、思いました。
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【2011/07/29 05:33】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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