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小旅行&音楽会
ここ数日関東方面に出没していました。

横浜サイセンターの定例バジャンにも5年半ぶりくらいに行ってきました。
実は前日にもレディースバジャンに行ってみたんですが、こっちは自分が思っていたのと日程が違っててありませんでした。

その日は八王子でヴェーダセミナーがあって、そっちにも行こうかなと思わないこともなかったのですが、結局その日は横浜の夜の定例バジャンだけに行きました。

八王子のほうに人が流れて、その日の横浜の人数は少ないかもときいていたので、そのつもりで期待せずに行ったのですが、思ったより人がたくさん来てて、思った以上によかったです。


久しぶりの横浜センターは改装されてて祭壇のあたりがちょっと変わっていました。

うわさには聞いていた「ジュレラールサイ」とかいう神様の像も鎮座していました。
主に北インドのシンディーの人たちに礼拝される、海の神様らしいです。


私も一つバジャンのリードをさせてもらいましたが、この日のバジャンはすべてヒンディーバジャンでした。
木曜日は横浜はとくにインドの人がたくさん来るのかな。

アルティもヒンディーでしたが、
ずっとプッタパルティでヒンディーのアルティだったのでむしろ歌いやすかったです。


翌日は知人の瞑想の先生のとこに遊びに行ってみました。

その人もインドに長期でいたあとに日本に戻って、適応が多少大変だったみたいで、
わたしにも「きついでしょ」とか、そんなようなことを言ってきたので「まあもう馴れました」みたいに言ったら
慣れたら慣れたで問題だからね、みたいなかんじでした。笑

わたしは今後もずっとインドでしょ、日本は無理でしょ、とかいわれて、えーーーってかんじでした。笑


思いがけずネットを通じてしか知らなかったいろんな人たち(以前占星術鑑定やプージャの代行依頼をうけた人とか)にも会えて楽しかったです。


昨日新幹線&最終電車&タクシーで夜中の1時過ぎに兵庫の実家に戻り、
今朝は早くから主名の体験入学先の小学校の音楽会に行きました。

みんなはずっと練習してきてて、主名はほんの数日で本番を迎えたのですが、
歌も多少歌ってて、
合奏のときはタンバリンをたたかせてもらっていました。

全員鍵盤ハーモニカの中で一人タンバリンは逆に目立っていました。
少しはタブラーをやらせていた甲斐があったんでしょうか。


しかし子供たちの友達がどうのとかいう歌は心にしみて、思わずほろりとしました。

単に先生に歌わされてることを歌ってるとはいえ、その無垢な様子に、やっぱ子供はみんなの宝だなと思えました。
演奏もそのてらいやあこぎなところのない素朴な音色に、心あらわれるというか。
久しく見てないこういう素朴さ。
ああ、私達がすでに失ってしまったものだなとしみじみ思います。笑

人生って不思議なもんですね。


自分の人生にも子供がやって来て、
その子供とつながっていることで、こういう素朴な世界にまた呼んでもらうことができたという感じで、
わざわざ高いチケット買って見るミュージカルとかよりもよっぽど深くて素朴な感動を与えてもらって
よかったなと思いました。


音楽会の前半の終わりごろに教員による水戸黄門をテーマにした寸劇と演奏があったんですけど、
いやーーー、体張ってるなーというかんじでした。
先生ら、すごいよね。芸達者。

10秒に1回くらい笑いを織り込んで。
というか、笑いの合間に劇をする?

会場からアンコールが出て、アンコールでは演奏しながら歌を歌っていました。


いやしかし、日本の子供たちは大事に扱われてるなあと思いました。
日本人の、ぽやーとした基本的な育ちの良さみたいなものの源泉にふれた気がしました。

主名も、ものすごくきめ細かくいろいろしてもらっています。



逆に、先生って大変だなーとも思いますが、
まさに聖職だなとも思いました。

音楽会を見てると、1学年ごとの子供たちがそれぞれ成長段階が違うのが良くわかります。

そういう、どんどん変化していく旬の子供たちの今しかないこの瞬間が職場なので、
教師という仕事が祈りや悟りの状態にも似た行為になっていくんだろうなと思います。


こんな田舎の学校の音楽会でほろりとしてしまうのは涙腺弱すぎでちょっと恥ずかしい気もしましたが、
学校が終わるときの集会で校長先生も涙が出そうになったとか言ってたので、
あ、やっぱそうかと思いました。

先生と私じゃその涙の意味も違うと思いますが、
校長先生は素晴らしい演奏に感動したと同時に、この音楽会も終わってしまうと思うと、さびしいような気持ちがしたらしいです。

子供たちへの愛を持ってこの行事に力を注いできたんだなあと感じられて、
このときのこの愛に満ちた場が出現していることの素晴らしさ、愛に満ちた場の奇跡を感じました。

愛されるべき子供たちと、仕事や役割を通して子供たちにエネルギーをそそぐ先生方や保護者の人たちや近所のひとたち?

そのような素敵な場がこんなに近くに誰の世間の注目を引くこともなく自立してすでにあったんだなあ、と。

そして素朴なりに真剣に生真面目に歌ったり演奏したりしてる子供らを見てると、
この子供たちが大きくなった先の将来の地球みたいなものをきちっと確保しておかないといけないと自然に思います。


音楽会のあと、お昼をみんなで食べに行って、
そのあと実家に帰ったら眠くなって6時間も昼寝したので、起きたら夜9時でした。
驚いた。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/11/06 03:49】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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