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自分てなんなんだろうとか考えてみた。
日本にいたら文字通りファンタスティックな世界なので、ここで落ち着けたらいいだろうなーと思うのですが、
何でここで落ち着けないのかなーと思うのですが、

うーん、なんか生育状況とかも関係あるのだろうか。

何か埋もれると居心地が悪いような。


インドでだったら落ち着いて、それこそ埋もれて暮らせたらいいなと思うのですが、
根本的に異邦人なんだけど埋もれる、というところに何か面白みを感じられるのかもしれません。

日本で埋もれると自分を見失ってしまうんだろうと思います。


日本においてなにか自分自身で感じられる面白みみたいなものを以前はいろいろ持っていたように思うのですが、
そしてそういう自分に満足してもいたのですが、

いつしかそこにアイデンティティを感じられなくなってしまったんだろうと思います。



では自分のアイデンティティとか、居心地のいいあり方ってなんなんだろうなと自分で思うと、
なんでしょう。軽やかでいることでしょうか。


子供つれてあちこち移動して、軽やかかどうか怪しいですが、

たぶん、何か興味を持ったものがあったときに自分の形をなくしてそちらに溶け込むような自由さがいつもあればいいなと思います。


日本では溶け込みたくなるような対象が見当たらないのかもしれない。


わたしは負荷とか負担を負うのは好きじゃなくて、
まあ誰でもそうでしょうけど、

落ち着いた平安な暮らしをしたいと思うことも多いですが、
根本的にはいつも変化していることで自分自身も新鮮でいられるんだろうとおもいます。

逆説的だけど、それ以外に自分が落ち着く方法があまり考えられない。


じっとしてるのも好きなんですけど、
それをするとほんとに動かないから、それにどこも行かなくてもぜんぜん平気なので、
あんまり生きてる意味がないかも。笑




自分が生きてる意味って何かなとかふと思いますけど、
やっぱ楽しむことかなと思います。

自分がどういうときに楽しいのかを見失いがちなので、
柔軟でいないといけないなと思います。


プッタパルティにいると、なんか「終わった」感があって、
それはそれで最高で、このままここで年をとって死んでもぜんぜんOKと思います。

いうか、めんどくさいしもう終わりでもいいんだけどと思わないこともない。


プッタパルティでも溶け込む対象がない。

自分はきっと何かに溶け込みたいんだと思うんだけど。



サイババは強烈な存在で、
やっぱ存在そのものが超絶的です。

それはそれはある意味異常な体験。
あれは比べるものがないという意味で絶対的なものでした。

今思えばほんとうに特別だったと思う。暴力的なくらい。



それは特殊な体験だったんだけど、
今もそれは続いていて、
呼べばそばに来てくれているような気もします。

そしてたぶんいつもいてくれているんだと思います。


その特殊な異常な絶対的なものの中で、日常を送るとき、
ふとうっかりすると、
何か他のものの価値観で自分が分けられているのに気がつくときがあります。


ああ、いけないいけないと、
自分をまとめて、
その絶対の中で小さな完全性として生きなおす。


いつもその絶対性と響きあいながら。
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【2011/11/09 16:36】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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