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バジャン参加
今日はまた横浜センターの夜7時からのバジャンに出没しました。

ここ数日咳が出るのでバジャンもフォローだけということで。


なのでガナパティプラールタナとドゥルガースークタムのヴェーダチャンティングの後に始まったバジャンを気楽にフォロー(コーラス)してましたが、

インド人のおじさんの歌うバジャンでうっと涙がこみ上げてきてしまった。

「ありが~とう~スワミ~、、、、心のな~かにおわす神~~~、私を守り導く神~~~」
みたいな日本語バジャンだったと思いますが、
インド人のおじさんが歌うとやけに素朴で伝わってきて、私の心の琴線に触れてしまいました。

。。。。。まさか〇〇さんのバジャンに泣かされるとは。。。と思いましたが、
もうそうなるとだめで、

後半はダダ泣きでした。

若いインド人の女性が歌うバジャンはそれはそれでのびのびしてて、
おお、ええの~~~、、、

みたいな感動が。
これはそんな泣くようなバジャンじゃないと思うんだけど。
サルバダルマプリヤデ~~ヴァ~~~ってやつでした。ノリのいいやつ。


小学生が単に運動会のダンスの練習をしてるそばを通りがかっただけで感動してしまうことがあるので、もうだめです。


プッタパルティでババのご遺体ダルシャンを受けて、お葬式とか、その後のプラシャンティニラヤムとか、を
経てきて、そりゃ、たまにはまたダルシャン受けたいなーと思うことはあっても、なんだか自分はそんなに変わらないなーと思っていたのですが、

自分ではわからないところで結構こたえていたのでしょうか。

それとも日本に来て、以前と変わらず真摯な礼拝を続ける人たちの姿に触れて、逆にババの肉体の不在を強く感じたのでしょうか。


帰りに前からほしかった本や、また読んでみたいサイババの本を何冊か買って、
サイセンターの機関紙?のサイラムニュースがあったので、
それは販売用ではないのか聞いたら、古いのだったら持っていってもいいですよと言われたので
(たくさん買ったし?もし言ったらいけなかったらごめんなさい)

適当にもらって帰ってさっき読んだら
ババの最後のときとその後の葬儀の様子などの、追悼特集号みたいな号でした。

そのババへの親愛と感謝に満ちた特集号に
ううう、またこれは。。。と、こみあげまくるものが。
また、使われてる写真もよかったり。

おかしなものですよね。
その場では興奮してて麻痺してたのでしょうか。




しかしサイババの存在感の美しさはもう直接見れなくなって、少し距離を置いてみれるようになると逆によくわかる気がします。


こないだの浜松でのアカンダバジャンのときに、ふいに、それぞれの人に一番近いのは別の誰かではなく神なんだなあという気がして、

人と神の近さと言うか、
意識してなくてもひとりひとりに影のようにオーダーメイドな感じでいつも寄り添っている神の様子が周りで歌ってる人たちを通して軽快に明らかにされたような気がしました。


一人ひとりが一人であるとき、神はいつもなによりも近く密着して寄り添っているという感じがしました。

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テーマ:今日の出来事 - ジャンル:心と身体

【2011/11/18 01:03】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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