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久々の実家
昨日、横須賀から実家に戻りました。

昨日の朝も、朝7時くらいに中目黒の駅について、東京センターのチャンティングに行ったんですが、あ、そうだ、もうヴェーダクラスないし、7時45分?50分?からのチャンティングだったかなと思って、

じゃーなんか飲んで時間調整して行こうと思ってドトールに入って、抹茶ラテとか飲んで書き物したりして、その後7時半前くらいに店を出て、そこから徒歩15分くらいのセンターに行ってる途中に、

あ、今日は水曜だった?じゃあチャンティング7時半からだ!せっかく間に合う時間に駅についてたのにまぬけ!
と思って、
とにかく東京センターに行ったら
ほかのメンバーの人がゴミだししてたので、
あれ?今日は火曜だった。じゃーやっぱ7時45分?50分?からかー、と、2重に間抜けでした。

でもおかげでチャンティングには間にあいました。

その後川沿いのベンチで座って作った封筒を2つ郵便局で出して、そんで兵庫に帰るべく中目黒の駅から電車に乗りました。

そしたら電車が動き出してすぐに、電車の窓からきれいに富士山が見えました。
多摩川にもつかないうちに。

こんな都内からきれいに富士山が見えたことは初めてだったので、ほんとに驚きました。

今回関東に来るときもきれいな富士山を見て、関西に帰ろうとするときにも思いがけずすぐに富士山を目にすることができて、
何か富士山にまっすぐ語りかけられて、見送られているかのような気持ちになりました。


今回思いがけず長く関東に滞在しましたが、
温泉には3回行き。笑
というのは長いインド滞在で、日本食とかそういうのに対する渇望はさほどでもなかったのですが、
温泉はずっとずっと入りたかったので。
インドはずっとシャワーのみなので、ゆったりした湯船につかりたいなーと、日本人はみな思うと思います。

最初は町田に部屋を貸してくれてた知人の案内で妙園寺という寺?神社?に行き、
そこって銭洗い弁天で有名らしいんですが、敷地内に洞窟があって、その中にもいろんな神様が祀ってあって、その濃厚さはインドのそれを思い起こさせてくれました。

一番奥には大日如来もあって、ああこの大日如来ためにここに来たのかなとも思いました。


そんでその知人が鶴巻の温泉に連れて行ってくれて、
市営?の温泉でしたがきれいで広い施設で、露天風呂もあり、なかなかよかったです。
駅のすぐ近くだし、おすすめ。弘法の湯だったっけ。あやふやです。

2つ目は町田の次に横須賀の知人宅にお世話になってたのですが、
金沢文庫から歩いて10分くらいの住宅地の中にある銭湯風の赤井の湯、だったかな~~~?

450円でシャンプーなどは備え付けてないのでカウンターで購入。

なんかほうじ茶を煮出したような黒っぽいお湯でしたー。
渋いムードのマニアックな温泉。というか作りは銭湯そのもの。


3つめは馬堀海岸駅から歩いて12分という湯楽の里。
うろおぼえで適当に歩いていったのでけっこう行ったりきたり、もしかしたらたどり着くのに1時間くらいかかったかも。。。

こっちはオーシャンビューの露天風呂があるということで期待していったんですが、
宣伝の写真とは違って海との間に半透明の?目隠しがしてあったので、
立ち上がったら海が見えるが、海沿いの通りからも私が見えるというしくみ。笑
あかんや~ん。

でもきもちよかったです。レジャー施設って感じ。

岩盤浴とかいうのもあったのでそれも別料金をはらって入ってみましたが、なんかおっさん率が高かったような。。。おっさんでも誰でもおそろいの専用の服を着て入るんですが。
でも連日寝不足だったのでそこで横になってちょっと寝ました。
これは一回で充分だな。。。

岩盤浴の休憩室に漫画や本があったので、よくわからん仕組みだなと思いつつも、
日本の聖地とかいう写真集みたいなのと、ニューハーフの自伝を読んだりしてすごしました。
膣形成手術がそんなに命がけのものだったとは。。。

このときは東京センターでのチャンティングの後そのまま午前から行って、日が沈むまでいました。笑

夕食はそこのレストランで夕日が沈むのを眺めながら食べました。
昔はかなり厳格なべジにしてたので、外食はほとんどしませんでしたが、
最近は自分のリラックスのためにちょっとゆるめて、メニューにべジものがなくてやむをえない場合はかつおだしのスープと卵がまじってるくらいはOKにしています。

なのでこのときはてんぷらうどんセットを頼んで、
海老のてんぷらの代わりに野菜でしてとお願いしたら春菊とまいたけのてんぷらが代わりについてきました。
言ってみるもんだなと思った。

遠回りになるけどまた海沿いを歩いて帰って、
夜の海がうねるのを眺めながら駅に向かっていたら、横の一段高いところの手すりにもたれて海を見ていたおばさんが
「今月が昇りますよ」
というので振り返って見たら、
おそろしげな真っ赤な大きな月が海から半分顔を出していました。

あんな赤い月はじめてみた。

しかもえらくでかくて。


あんまりでかくて赤くて、見てるうちにどんどん昇っていっていたので、立ち止まってしばらく見ていました。

おばさんも先に帰りました。

月は昇るにつれてその赤い光の線を水面に伸ばしました。


変な月を見すぎたからかなんとなく悲しくなってめそめそしながら帰りました。

どんどん歩いて駅に向かったのですが、ついた駅はなぜか来た時より2つとなりの駅でした。

でもそしたら乗り換えの手間がなくなったのでよかったです。


他にも結構いろんなとこにいきました。

田園調布の知人の働いてるギャラリー、

なんだっけ、田園調布の一個横の駅だっけ?の近くの浅間神社(眺めのよいテラスがあった)、

明治神宮、1回目に行ったときは明治天皇に日本と世界を守ってくださいとお願いしました。
天皇が詠んだ句があって、国民を思う気持ちに感動しました。
ここでは天皇が神なんだなーと思ったので、
あなたが神であるように、みんなも神であることを実現できるように助けてくださいともお願いしました。
不遜だったらごめん。

そこを立ち去るとき、やさしいかぜがふわっと吹いてきました。

2回目に行ったときは昔ながらのおもちゃをごっそり購入しました。笑
自分とこの子とインドの知人の子達のぶん。けん玉とかこまとか。

ちょっと前にブームになったらしい清正の井戸?は、このときは私の前に2人組のおばさんがいただけで、1分くらいでどっかいって、私一人だけになりました。

別に井戸の写真を撮って携帯の待ち受けにするあれもないので(というか日本の携帯持ってない)
しゃがんで湧き出続ける井戸水に触ったり眺めたりしました。
寒かったのかな?
水の表面を白い蒸気のようなものが常に流れていました。

見ると自分の手からもすごく白い蒸気のようなものがザンザン流れ出ていました。

しばらくしたら誰か来たので帰りました。


単に通っただけだったけど、横浜に住んでるときにはなぜか通ったことなかった元町?だっけ?
こういうおしゃれーな通りがあるとは知らなかった。

氷川台の知人のとこに行ったときは先にトイザラスに行くというので、でも歩くにはちょっと遠いし、、、というんで、9歳の女の子のチャリに私が乗って、女の子はお母さんが自転車の後ろに乗せて。
自転車に乗ったのも久しぶりだったけど、こんなちいさい自転車に乗ったのも久しぶりでした。
知人の娘は付け爪とかメイクのセットを買ってました。女の子やな~~~。

自分とこの子には鉱石発掘キットみたいなのを購入。
インドでほんとの石を掘り起こしてたからむしろ子供だましかな?

トイザラスからの帰りは小さい自転車に乗るのが疲れてきて閉口しながらこいでました。笑

知人の家に行って焼きおにぎりを食べたらこの日も睡眠不足だったので眠くなってこたつで横になってぐーぐー寝ました。
その日は起きた後夜の東京センターのチャンティング&バジャンにも行きました。

あと、高尾山。紅葉がピークではなかったのかもしれないけどきれいで夜景も思いがけずきれいでした。
上の方の寺で護摩焚いてるなーと思ってガラス越しに炎を見てたら、そのうち終わって、
いろんな色の袈裟を着た坊さんたちが鳴り物入りで寺から出てきて退場していったので
いいもん見ちゃったなと思いました。

しかしこれはわたしはおばあなので筋肉の張りが翌日以降時間差で別の部位に順番に来ました。

あと、どこにいったっけ。
単にぶらぶら歩いたりもよくした。
街の本屋で数冊立ち読みで読破したり。笑

いろんな川も眺めた。

夜に人気のない道に迷って1時間以上街灯のないくらがりをさまよったり。

バスにもタクシーにも電車にもたくさん乗りまくりました。
船は乗らなかったな。
モノレールは乗ったっけ?
八景島の方に行く。
あれは前回かな?
八景島には行かなかったけどその手前の人口ビーチのあたりまで散歩したりしました。

移動するのって楽しいです。

今回子供は実家においていったので、久しぶりにずっと一人で行動できて、
好きなときに好きなところへ行って好きなだけ働いたりしながら滞在していたころを思い出しました。

生きてるといろいろうんと楽しいこともうんと悲しいこともあるけど、
知らない街に行って、そこを歩き回って体験していくことは、自分の性にあってるなあと思いました。

そういえば、滝、は見てないなあ。
滝、好きなので、またどこかで見れるかな。泳げるかな。

子供はわたしのこと、
「もうインドにかえったんちゃう?」とか朗らかにいってたらしいです。
あんまり実家に連絡しないんで、横須賀の知人がおかあさん、心配してるんじゃない?連絡したら?というので電話したら
案の定誰も私のことを心配していませんでした。
あまりに放置してたのでちょっとドキドキしながら子供としゃべったら
「インドに帰ったらアパートのおもちゃ送ってね!」との指示だけもらった。

心配されないことにかけては天下一の自負があります。

いや、ちょっとは誰か心配してくれても。。。と思わないこともないのですが。

インドにいるときも以前「疲れて帰りたいから旅費出して~」と親に泣きついたときも
「今回だけやで!」と約束させられたし。

親が心配して自由に動けない人たちからしたら恵まれてるとよく言われます。
結婚も結果的にわたしをインドに送り込んだ。

束縛されるような状況にははまれるはずもなく。
しかしなぜかプッタパルティにとどめ置かれるわたし。
きっと一般の場所ではそぐわなくて、調和を乱して迷惑だから、そういう人はプッタパルティに縛りつけれれて、
あんまりよそで迷惑をかけないようにされてるんだろうと思いますし、
私もその一人だろうと思います。

なんせ、帰る場所があってよかったです。
プッタパルティはいつしか実家以上に実家のようなものになりました。

兵庫の実家に帰ってしゃべってたらなんか自分のイントネーションが平坦でおかしかったので、
「なんかわたし東京弁になってへん!?」
と(「なってへん?」といってる時点で関西弁やんと思いつつ)言ったら
母は
「ちょっとね」
と答えました。

できるだけ毎日1時間くらいヴェーダを唱えるのを続けよう、と思ったので、
今日実家でも夜に1時間くらい一人で唱えました。

主名が寄って来たので主名にも唱えさせましたが、
あれだけいろいろ教えて暗誦していたにもかかわらず、ガナパティプラールタナとドゥルガースークタムくらいしかもう覚えてませんでした。
子供は覚えるのも早いけど忘れるのも早い。

でも一緒に唱えるととても気持ちよかったです。
子供の雰囲気ってやっぱ清冽でいいですね。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2011/12/14 22:25】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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【2011/12/15 08:34】 | #[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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