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今朝もキャンティーンセバは6~7人の西洋人が野菜のカットのとこに来てて、人員がだぶつき気味でした。
ロシア人、多いなーやっぱり。

私は今日はゆっくり目、朝から髪の毛洗ったりしてたので6時半くらいにキャンティーンに行きましたが、
朝やる仕事はすぐに終わって、昼以降のおかずになる野菜をきざんだりする仕事をみんなやりました。

そのうち、インド人の男性が遊びに来たのかな?
その人歌うまいらしく、誰かがリクエストして、彼は5~6曲スタンダードナンバーのバジャンをリードして歌い、
みんなは野菜を刻みながらそれに続いて歌いました。

楽しかった。

毎日こんなんだといいなと思いました。
歌いながらやるとなぜか手がするすると早く動く。

歌った彼はうたい終わった後、
「このような美しい機会をぼくに与えてくれて、みなさんありがとう。」
と、輝いた顔で言って、帰って行きました。

また来て~。


毎日フルーツや野菜のカットをしてると知らないうちに手に細かい傷がいっぱい出来てたらしく、
今日の最後はビートルーツの、ヘタとか固いところを取り除く作業をしてたのですが、
ビートルーツって赤いかぶらですが、強烈な赤紫で、
手の細かい傷に全部その赤紫の色素がしみこんで、なんかたくさん内出血してるみたいな手になりました。


単に色が染み付いただけなんだけど。

前、ずっとキャンティーンの野菜のカットのセバしてた日本人女性の手がこんなで、
その手を見て、ひそかに彼女の体調を心配してたのですが、こういうことだったんですね!納得。

7時半を過ぎたので、サウスに朝ごはんを食べに行こうと思って前に座ってる、同じ作業をしてたちょっと気難しそうなドイツ人ぽい女性に「行きますね」と言ったら、
「あなたの声はとても美しかった。私はすごく楽しみました」
と言われて素直に嬉しかった。

西洋人はほめるときにすごくほめてくれるので嬉しいです。



サウスでは今日はポンガルとイドリーをチャツネで食べました。

ミルクティーを注いでくれたセバダルの女性はにっこりしてお茶の入ったカップを両手で差し出して渡してくれました。
にこやかで丁寧だったので驚いて、嬉しくなりました。(インドではまれ)


VIPゲートのほうからサイクルワントホールに入り、
最前列の席がまだ空いてたので座りました。


ヴェーダはいつもの、ガナパティプラールタナ、ルッドラム、プルシャスークタムの後は今日はガナパティアタルヴァシールシャムやヴィシュヌスークタム、あと、サルバダルマの短縮形やイーシャーワサルバビッデャーナム、てやつと、ナカルマナも唱えてました。

ナカルマナはなんか久しぶりな気が。

今日は全部唱えられたのでよかったけど、サルバダルマの完全版だったら唱えられなかった。

今覚えたいのは、サルバダルマのんと、ドゥルワースークタムと、ガネーシャスークタムと、
アーナンダヴァリも。イーシャーワーショパニシャッドも忘れてしまったのでやり直しです。


ちょっとずつでいいから進んでいきたいものです。




その後部屋に帰りました。

最近またアガスティアの葉を見ました。
状況を動かしたかったり、好転させたいときやなんかやばい感じがするときには見て、これまで何度もカルマの解消をしてきました。

今まで何回この手のを見ただろう。8回くらいはみてるような。

今回は今までのとはちょっと違って独特な印象でした。

カルマの解消もなんか独特な印象です。


今回、カルマの解消を始める前にグルに1時間祈りをささげるように言われました。
それをしてからカルマの解消を始めるようにと。

なので、オイルランプをともして線香もつけて、1時間ババの写真の前でマントラを唱えました。

でも、唱え始める前に異常な不安感に教われました。

この前アシュラムに泊まり始めたときに異常な孤独感と悲しみに襲われたのと似たような感じなんだろうか?
と思いつつ、唱えてました。

1時間終わってもあんまりその不安感は弱まらなかったので、
あ、そうだ、と思い、

以前夢でババがくれたマントラを108回唱えたらすぐに少しましになりました。

その後、やはり夢で教えてもらった印と呼吸法をしてみたけど、その後はあまり変わらなかった。


ものすごく根深い不安感があるなと思いました。


その後、グルへの祈りの一環として、(今日は木曜なので木曜にするように言われてたのです。)
9人の人にご飯をあげるというのも、
近所の食堂から9人分のバターマサラドーサを買ってきて配りました。

自分の昼ごはんが間に合わなくなったのでチベッタンレストランに入りました。

結構混んでて、注文の品がなかなか来なかったので、実家に電話して、
前、わたしの声が怖かったらしく、泣かしてしまったのでもうしゃべりたくなかったんだけど、主名としゃべったらやっぱり自然とヴェーダを唱えさせはじめて。笑

店の中が騒がしかったので店の外に出て、店の前で電話で主名にレッスンしてました。

前回はガナパティプラールタナも忘れてたので愕然としたのですが、
その後言いつけどおり毎朝唱えてるらしく、
今回は唱えれてました。

なので今日はドゥルガースークタムを唱えさせました。
これも忘れていた。。。


わたしはスパルタだったので、主名が2歳のときからガヤトリーマントラを唱えさせて、
5歳の時にはルッドラムのナマカムは主名は見ないでも全部唱えてて、チャマカムは練習中で、
マントラプシュパムもナラヤナウパニシャッドもナカルマナも、メーダスークタムも、プルシャスークタムも、ほかの細かいヴェーダもいろいろ主名は見ないで唱えていたのに(というか、ずっとテキストなしで覚えさせていたので)

ガナパティプラールタナもこんなにすぐに忘れてしまうとは。

わたしもだんだん主名にかまっていられなくなってきて、
(前もあんまりかまってなかったかもしれないけど)
しょうがないとはいえ、残念な気持ちもあり、でもむしろこれでいいのかなと思ったり。

人生に正解とか不正解はないんでしょうけど、
自分のいいと思うようにやるしかないですね。

とくに母親は周りの言うことをある程度ブロックしてでも自分のいいと思うようにやったほうがいいと思います。

一般的にいいと言われていることを不安いっぱいにやるよりも、
一般受けしないかもしれないけど母親が自信を持ってものごとにあたっているほうが子供は安心するような気がします。
その内容がどうとかよりも、母親の姿勢で。


今日は、主名がガナパティプラールタナを思い出して一人でまた唱えられるようになっていたので私も少し気持ちが和んで、
泣かさずに、ドゥルガースークタムを電話で練習できました。

主名は日本の生活にはまりきっていたので、もう、私とも話したがらないくらいだったのですが、
ちょっと私と子供との間のエネルギーが再循環しだした感じがしました。


わたしの母はいわば小さなグルみたいな感じで結構強烈なので、
主名をものすごく一生懸命世話してくれるのですが、
主名がいかに日本で素晴らしくなってるかといつも自慢をする感じで、
それはインドでの主名の生活への対抗意識に基づいてる感じで。
競争心強いんですよね、負けず嫌いで。笑

私は一応3月に迎えに行く予定を言っていたのですが、
知らない間に母は周囲にも主名は中学卒業まで日本にいると言っていて、主名にもそう洗脳してて、

まあ、それもいいかなと私も思うのですが、

でも主名が日本にいることがどんなにいいかと必要以上に主張しすぎなのが気になって。
プチグルは、自分の世界に取り込んで、依存させるのが何だかんだいって大好きなのですたぶん。囲い込む。

主名も私の母が好きというか、やっぱよく世話してくれるし赤ちゃんのようにいたれりつくせりで甘やかしてくれるのでべったりで。

そういう、甘やかしてくれる存在というのも人間には必要とは思います。


でも反動で、心なしか母の私に対する攻撃姿勢が垣間見えるような。。。笑
まあ、いつもいやみはよく言われるけど、

前回電話で怖がって主名泣いたし。

わたし→主名びびって泣く、かわいそう。
おかーはんの世界→主名は満ち足りて幸福な子供

という図式を私に自覚させようとしてる感じ?
主名は私といるよりもおかーはんといるほうが幸せよ、みたいな。
たしかに、主名は日本にいるのはむちゃくちゃ楽しいみたいです。笑


おかーはんは主名がおかーはんの世界に完全に満足するのを見たいんだろうな?

でも、おおいばりでさらなる必要経費を請求してくるという。
私が日本を発つ時にすでに渡してあるから、あれはもうないのか聞いたらまだあった。なんだかよくわからん。

まあ、子供の世話で大変だろうけど、自己重要感で元気いっぱいなのかも。

プチグルかーさん。。。
家庭の主婦って大体こんな感じですよね。

家族のために尽くして、居心地のよい家庭を維持する。
しかしその完全性が身の丈に合わなくなってくると子供は新天地を求めて独立するんですけど。

でも子供の世話してもらってるので私は自由に出来てありがたいです。


もとだんなが易をするので、主名の状態をみてみたら、
やっぱり日本にいるとエネルギー不足になってるらしいです。
これはよく言われることで、私もそう感じた。


しかし主名自身は超ハッピーですごく喜んでるらしい。
おかーはんも元気いっぱいで動き回ってるらしいが、実は主名を損なうエネルギーになっている。
でも日本にいると主名は勉強面はやたらいいらしいです。

思案のしどころです。

こういうことを言ったらだいたいいつもおかーはんは怒るんだけど。恩知らず、みたいな感じで。
いや、大変ありがたく思ってるんですが、
なにが子供にとって一番いいのかを私は私の視点で見極める必要があるので。


基本、子供とかどうでもいいと思っているのが私の素敵なとこでもあり(笑)
子供を好きにさせるのが、おおらかな対応なのか、単に楽に流れてるのか、
自分で見極めが必要なとこでもあるという。

子供、どうでもいい、という自分の性質がわかってたので、執着じゃない部分でしっかりつながる必要があると思って、必要以上に他人の分離的なバイブレーションを入れないように自宅出産したという面もあります。

じゃないと、ホントどうでもいいと思ってしまうから。
私が子供に執着できにくい分、本質的な部分で子供にしっかり私にくっついていて欲しかった。



母には「子供が離れる時期が早く来たとおもわないかん(思わないといけない)」とかいわれましたが、
つまり、子離れしろと。子供の自由にさせろと。
それならそれで楽でいいんですけど、ホントにそうかといえばどうも違うみたい。

まだ今しばらくはきちんとつながって、交流してる必要があるっぽいです。


とりあえず、電話に出させて、会話させて、ヴェーダを唱えさせようか。
おかーはんの世界は強力に居心地よく、物質的にも満たされてて、みんなからの関心も与えてもらえるし、
主名は冗談抜きで私やインドは必要ない状態になって、こちらに意識が合わず、しばらくずっと隔絶してました。

電話にも出ない。

それくらいプチグルおかーはんは強力で。

わたしは昔、おかーはんのことをインドラ神の化身と内心呼んでいました。
物質世界の王。笑

運命を観たりする人たちの話を総合すると、主名は神様ごとから離れると将来の運がよくなくなるので、
(今は日本の物質世界に満たされてウハウハでほぼ離れてる状態)
神様とのつながりは切れないようにしてたほうがいいらしい。

おかーはんも主名を山に連れて行って一緒にガヤトリーマントラとなえたりしてるらしいんだけど、
とにかく、おかーはんは「おかーはん」なので、物質的に豊かなものを与えたい!!!という、
母親的な気持ちがきっとかなりあるんだと思います。

私との交流が神様とのつながりと等しいのかというと、どうなん?てかんじですが、
たぶん私自身というより、「プッタパルティにいるわたし」というのはそういう機能を果たしているのかも。

おかーはんと娘は永遠の命題。


ある人に言わせるとおかーはんと私はすごくよく似てるらしいんだけど、
生まれた時代が違うので、おかーはんに出来なくて私が出来ることがあるらしい。

逆に、わたしはおかーはんのようにしっかりと家庭をキープしてというのは出来てないよね。

家事も全部人任せ。

でも、キープしようとしなくてもそこにあるもので暮らせたら自然なような気がするんだけど、
根本的に何か間違ってるんだろうかわたし。笑


ちなみにおかーはんは嫁姑ばりばりでしたけど、
わたしの場合は私の態度が悪かったのでお姑さんは私に近づくのをやめました。


おかーはんはおとーはんの世話をこまごま見てますが、
わたしは私は家事を一切しない条件で結婚した。
(したいときはする)

もとだんなは私と子供から解放されてしばらく人生を謳歌して、やっぱし人生に行き詰って今こっちに来ましたけど、
またそのうち、というか、体勢を立て直したら今すぐにでもどこかに行きたいらしい。笑


話は戻って、主名との電話を終えてチベッタンレストランに戻ったら、奥のテーブルに座ってた5人のうちのボスみたいなおばちゃんが「今アシュラムは人が少なくなったのか」とか話しかけてきたので、

「あーでもクリスマスなんかはすごい人でした。今は少ないけど。」
「でも私はこういうの好きです。人が少ないとシャンティだから」

とか答えてたら、

なんか中国正月かな?の、プログラムをやるから練習に来ないかといわれ、
なんでかといえば私はあなたのことよく見て知ってるからとかいわれ、
プログラムではチベットのマントラとなえるらしかったので、
わ、嬉しい、とおもって、行きますと言いました。



で、夜に行ってきました。
もとだんなを無理やり誘って行った。
一回くらいこういうのに参加してみれば?と思って。

最初、カンファレンスホールで待ってたけど、ほかの人たちも。
場所が変わったみたいでN6の部屋に行きました。

そしたら声をかけてきたおばちゃんが司会進行しはじめました。

「初めての人」と、みんなに呼びかけたので手を上げたら
「え?あなたはじめて!?」
と、驚かれた。

どうやら経験者で、役に立つと思われてたのかも?
あてがはずれてごめんー。


いくつかマントラの練習して、楽しかった。

グルマントラ1時間唱えてご飯配った効果かな?

世界平和のための祈りのマントラで、ババはこれらを自分のためや子供のためじゃなくて、
ほかの人のために祈りなさい、と言ったらしいです。

5大元素が乱れていて天災が起こっているので、もうこれ以上津波などが起こらないようにするためにはどうするか、
それには祈りをして5大元素のバランスをとることです、
今、この祈りをすることが必要なんです、みたいなことを責任者のおばちゃんは言っていました。

なんか、私が別ブログ(→プレマサイジョ~ティ~ブログ)でやろうとしてることと完全にシンクロする話だなとか思いました。

後は、おばちゃんの家族に起こった奇跡の話とか、ババとの会話の様子とかをしゃべってました。

最後は壁に映写機で映したダルシャンのアルティの様子を見ながらわたしらもアルティを歌って終わりました。
おだやかな恩寵のときだなあと思いました。



ちなみに23日が本番らしい。チベット僧が36人来るらしいです。うはー。
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【2012/01/20 02:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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