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世界の始まりの前と世界が終わった後にあり続けるもの。
食中毒症状は治まったものの、今朝は顔がむくんでパンパンで、しかもどす黒かったので、
そうとう肝臓疲れてるな~と思って、

お昼に町に昼食を食べに行ったついでに必殺Liv52DSを薬局で買って食後に飲みました。

おととし、急性肝炎になったときに、1週間くらい動けず食べれずで、回復の兆しがなく途方にくれてたときに、
これを飲んで寝たら翌日の朝から火の通ったものでも食べれるようになってて驚嘆しました。
(それまでフルーツしか食べれなかった)

そういう私にとっての必殺(殺すわけじゃないけど)のアイテム。

気分的に最近はいつも疲れてるということもあり、心身ともエネルギー不足でいつもくたびれてるのですが、
明日はチェンナイの移動予定なのでこれでなんとか完全回復の域に達せるか?

しかしこの疲れはいい加減自分でも疲れてることに疲れてきました。


いったん部屋に戻ってから神像屋さんに行きました。

また修正依頼がはいったので作る人に電話したら修正了解したんだけど、その後連絡がつかなくなったので、
インド人の定例パターンの逃亡か?と思ったんですが、

とにかく店に行って座って待っていたらそのうち来ました。


私としても回を追うごとに言いにくくはなるんだけど、
まあでも言って修正してもらって、
全部、文句付け役の私の判断にゆだねられるので、
ここのラインをもうちょっと広くとかそういうすごく細かいことをいちいち言って、
やっぱ彫ってあるのを修正となると、
そこを一段全部削らないといけなくて、
そうすると全体の形のバランスがまた微妙に変わって来たり。

で、修正箇所の両サイドとかも合わせて修正していくわけですが、

お店の人たちも、もうあきらめの境地に入ったのか、(毎回、それは無理だと一応言われるんだけど)
気力を散らすことなく修正に取り組む姿には今までに感じなかった立派さを感じました。
(今まではとにかくお店の人みんなの声がやたら恫喝してるかのように耳障りにうるさかったので嫌だった)

で、今回のことで学習したとみえて、ほんとうに細かくいちいち私に聞いてきて(時に暴走するけど)
たぶんもう2度と修正しなくていいようにだと思うけど。笑

いわれたと~~~~りに修正しようと心がけていました。

最初のころの大音量の猛反発の時期からしたらずいぶん関係性も変わったなと思います。
やっぱなんだかんだいって人間関係なので、
プージャにおけるお坊さんたちとの関係もそうだけど、
何度も足を運んで直接関わりあって、なじみあうことでお互いへの「知ってる感じ」と許容量が広がっていくんだなと思います。

人は分れているようで常に交じり合っているから、
一緒にいる人と常に交じり合っているから、友人とかは選ぶようにといわれるんでしょうね。


インド人とそんなに混じっていいものかと思わないでもないですが、
インド人と日本人はお互いないものを持ってて、与え合える関係にもなりやすいんじゃないかと思います。

だいたいがインド人強烈なので、日本人はコントロール下に置かれやすいような気もしますが。。。笑
それにしてもそういう強烈さから学ぶところも少なくないです。

一応今日もねちこく何度も手を加えてもらった修正も終わってほっとしたかんじになって、

作る人が「どこからきたの?」とわたしに聞いたので、
今までずっと一緒にいて今それを聞くか、みたいな感じでみんな笑ってました。

子供の話やだんなの話になって、バラティさんが何を思ったか勝手に彼女のだんなは弁護士だとか言うので、
みんな感心してました。
。。。。2パーセントくらいはほんとかもしれないけど。。。

社会的地位って、人間関係を円滑にするために大事なんだなと思います。
とりあえずそれで気分的に安心する人がいるから。

仮面をかぶるのは自分のためでもあり、周りのためでもあると、わたしは引きこもり生活からでて画家を名乗りだしたときに思いました。
みんながそれで腑に落ちて安心したら私も安心するから。

そういう、方便というか、理解するための取っ掛かりを提供する何かを身につけておくというのは今の時代まだ有効なんだなと。

で、とりあえず安心してもらったらそこから交流が始まれるから。

なんてめんどくさい社会なんだと思うけど、
やっぱり人がそれぞれに分離的な意識を持つようになってからは何ものでもない部分でつながれることって哀しいかなまれになってしまった。

たとえばサイババ関係者どおしだったらそれだけで通じるものがあったりとか共通項を通じてつながれるというのもあるけど、
なんだかそういうのも考えさせられるものがいっぱいあります。

でも、どの切り口でつながっているかというのはやはりその人間関係の質を左右するなとは思います。


わたしはかつて、なにものでもない所でであった人も2~3人、いや、4~5人?くらいいたように思います。
それは夢の中であったり、意識の最奥の場所であったり、そして同時にこの現実世界でも彼らと出会った。

そういうのはこの世界では関係性としては、そのいくつかははなから言葉を交わさないでテレパシー的なだけの交流であったり、
個人として密接に関わっている時期があったとしても、当人の意思をしのぐ何かによっていつか突然暴力的に離れます。
わたしにとって世界はなにものでもないものどおしが出会うことを容認し続けるほどまだ甘くはなかった。


2回そのようなことがありましたが何か少し悲劇的な暴力的な連れ去る力が働いた。

あの彼女は今どうしているのだろうとか思うけど、誰もその行方を知りません。


この世界はまだそのような場所ではないんだな、彼女が安らげるような確立された場所ではないんだなとうら哀しく思ったことを覚えています。

ある種の人にとってはこの世界はとても生きにくかった。
生きにくい気持ちと、生きやすい状況とかが混在してて何がどうとはいえないんだけど、
世界の平均値はたとえばそういう彼女を容易にはぐくみ安らがしてはくれていなかったのは確か。

でもどこにでも私たちの多様な切り口のどこかに共鳴していつも何かがつながっている。

ほんとうはそういうややこしいのもうんざりだと思う気持ちがあります。

あらゆる種類の切り口で様々につながるんじゃなくて、
なにものでもないものとしてあらゆるものと出会い、
全体としての全存在に共通する自分を共有していることで通じ合っていたい、そんな気持ちがあります。

来ては去っていった、なにものでもなかった自分たち、
いつかすべての関係性が消滅して、
ただ存在を喜ぶ瞬間が来るんでしょう。


それまでは世界の分離の波に連れ去られた自分自身を悼み、まだこれからも出会うことになっている自分自身を愛し、
大海に溶けゆくまでを味わっていこうと思います。



P3250890[1]

世界が始まる前から存在し、世界が終了した後にもあり続ける、シヴァ。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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