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プッタパルティにかえってきました。
今朝、チェンナイからプッタパルティに戻ってきました。

いろいろあったけど、プッタパルティでヴェーダを教えてもらってたおばあちゃん先生にチェンナイで会いに行きました。

連絡先とか住所とか控えてなかったので、プッタの知り合いのインド人のおばちゃんに電話して聞いて、
気軽にオートリキシャで行ってみました。

おばちゃんいわく、たぶんおばあちゃん先生はもうその住所にはいなくて、シンガポールに引っ越したと思う、でもとにかく行ってみたらどこにいるかは近所の人にでも聞いたらわかるだろうということで。

なので、いないだろうし、その住所も見つけきれないだろうと思っていくだけ行ってみました。


そしたらまったく迷うことなくあっさり見つけました。
ここら辺の住所だけど、どこ?と、オートがとりあえず停まった場所がその家の前でした。

でももう違う人が住んでるだろうと思って覗いてみたら、おばあちゃん先生愛用の椅子があったので、
わ、いるのかも、と思って、

手土産も何も持ってなかったので別のオートに乗って花や果物を買ってからひき返してきました。

呼んでも誰も出てこなかったので、どうしようかと思ったらお手伝いさんらしき人が来たので、
おばあちゃん先生はいるかと聞いたら中にいると答えて呼び鈴を鳴らして大声で呼んだら奥から出てきました。


実に2年ぶり?くらいだったのですが、プッタを去ったときよりもおばあちゃん先生は元気そうに見えて、それがうれしい誤算でした。

弱ってると聞いてたので。


おばあちゃん先生がプッタを去ってから、おばあちゃん先生はいろんなのを中途半端にしたままいきなり去ったのでわたしの中で恨めしい気持ちもあり、反面、開放されて自由になったという気持ちもありました。


奥から出てきたおばあちゃん先生は
「たったいま、パードゥカのプージャを終えたところだ。スワミの恩寵だ!」
と、喜んでいました。

なかなか、こみあげてくるものがありましたがなんとかこらえました。

コーヒーとラスクみたいなのを出してくれたので座ってしゃべりながら飲み食いしました。


家の中をこっちに来いとかいってあちこち連れて行って全部の部屋も見せてくれました。
お祈りの小さな部屋にも「ここに座りなさい」とかいって座らされたのでしばらく座ってました。

小さな部屋なんですが、いろんな神様の写真とか貼ってたり置いてたりしてて、
プッタを去った後、ここでひとり、毎日お祈りしてたのかと思うと感慨深いものがありました。

わたしがチェンナイのアティルッドラマハヤグニャでもらったシヴァリンガムの写真を御土産にあげたものも壁に貼られていました。

孫娘のためにババが黒板にオームのサンスクリットのアルファベットを書いた直筆もかざってありました。
これは貴重だと思ってみてたんですが、
別の部屋にも孫息子のためにババが書いたオームもありました。


おばあちゃん先生の世話を任されてた孫娘は最近結婚して、数日後に夫の住んでるアメリカに引っ越すとか。
長女もやはり2日後にシンガポールに戻るとか。

なのでその後はお手伝いさんは手伝いに来るものの、一人暮らしになるようでした。
気楽に来てみたけど、なんというタイミングで来たことかと思いました。


なんでもプッタからチェンナイに引っ越してからはなんでこっちに来たんだと思って毎日泣き暮らしてて、体の具合も良くなかったらしいです。
おばあちゃん先生本人はプッタに居たかったんだけど、親族が心配して、彼らに逆らえなくて、親族の居るチェンナイに引っ越していったのでした。

わたしはまだまだいろいろ習うものがたくさんあると思ってたので、わたしはほんとうに悔しくて、おばあちゃん先生に対して怒ってました。

チェンナイまで習いに行こうかと思ったけど、
親族はプッタパルティの人たちがおばあちゃん先生に負担をかけてると思ってて、歓迎ムードではなかったので
そんなとこに行くのも違うだろうと思って行きませんでした。

ときどきおばあちゃん先生がプッタに来てて、たしか1回だけプッタで会ったんですが、そのとき、別の美しくて若い愛弟子が自殺して、たぶんその関係で来てたんじゃなかったかと思うのですが、
手をとって「わたしを忘れないでね」と言われました。

それっきりでした。
その後も何回か来てたみたいですが、わたしはプッタに居なかったり、居てもタイミングが合わなかったりで会ってませんでした。

おばあちゃん先生も年だし、もう会うことはないのかもなと思ったりもしてましたが、
なにか今回、会っておいたほうがいいような気がして、
どうせ会えないだろうと思いつつ気楽に訪問したのでした。


チェンナイでは楽器やヴェーダを教えようとしたけど、誰も興味がなくて習う人も居なかったらしく、
ここら辺の人はみんな発展しようとしないと愚痴ってました。

孫娘もヴェーダやヴィーナをチェンナイでおばあちゃん先生から習い始めたけどそのうち忙しくなってやめたらしい。


で、2年間失意の日々を送っていたらしいのですが、

あるとき、ババが、自分で練習して自分で勉強しなさいとおばあちゃん先生の脳裏に語りかけたらしく、
それからおばあちゃん先生は自分でスケジュールを決めて毎日3~4時間ヴェーダのチャンティングを一人でしていたそうです。

そうしたら体も元気になったらしいです。


たしかに、すごく元気そうで、動きも機敏で驚きました。

この日訪問した時間は既に薄暗くなってて、しかも果物とか買いに引き返したりもしたので
訪問するには遅くなっちゃったなと思ったのですが、
その時間からちょうどあいてたらしく
(昼間は自主練してて、そのときは電話にも出ないらしいので)
ちょうどいいときに来たんだなと思いました。


プッタの人たちの近況とかを一通り、しゃべったり、(そしてまたもう一度一通り確認したり)
一緒にいくつかヴェーダを唱えました。

途中で声が聞こえなくなったので「?」と思って見たら目をつぶって聞いてました。

わたしははっきり言って練習不足なので、一緒に唱えてくださいとお願いしたんですが、
ドゥルガースークタムは結局全部一人で唱えさせられた。

なぜか長女は携帯に録音してました。
シンガポールで音楽学校やってるらしいので、その生徒にでも聞かせるんでしょう。


いつも、旅行のときはヴェーダのテキストを持参してて、でもいつも使わないのですが、
今回に限って持参してなくて、そういうときに限ってあったらよかったなと思うという。


しかしとにかく、久しぶりに会えて、しかも数日後から一人暮らしになるというタイミングで、
「アイムベリーベリーハッピーー!!」と、100パーセント喜んでくれてたので、
行って良かったなと100パーセント思えました。


プッタのほかの生徒たちも、やっぱりおばあちゃん先生の親族に遠慮して、訪問してなかったし、電話も控えてたようでした。

わたしもそれを思ったんですが、
プッタではいつも気のせいか、否定的な雰囲気やにらまれてるの感じてたので。
でも今回は数日後からおばあちゃん先生が独りになるというのでさすがに親族も心配だったのか、
今度来るときはここに泊まってご飯もおばあちゃん先生が作ったのを食べろ、あなたのお母さんだからと勧めてきました。

わたしも、今後月に一回くらい、中途半端で終わっていたヴェーダをチェンナイまで習いに来てもいいかなという気分になりました。


おばあちゃん先生はその場で新しいのを教えたがってたのですが、テキストもなかったし、
わたしも晩御飯食べに行きたかったし、長居しすぎるのも気兼ねだったので、
そしたら明日の3時に来なさいといわれました。

でも翌日はやっぱり、孫娘とかほかの親族との会う予定があるようで、娘がそういったので、
それはもちろんだと思って、今回はこの日で帰りました。


おばあちゃん先生はみんなが覚醒してる人だといって、パダナマスカールをしに来てたりしてて、
プッタパルティでみんなにすごく尊敬されていました。

霊感アーユルヴェーダドクターも、おばあちゃん先生がプッタを去ってから写真を見せたら、
ベリベリべりグッドティーチャーだ、彼女に習えてあなたはすごく幸運だったと言ってました。

今でも彼女に習ってた人たちは「いい先生だった」と懐かしみ、
「あんな先生はほかにはいない」と、いなくなったことを残念がっています。

わたしもすばらしい先生だと思います。
しかし途中でパダナマスカールをしはじめてからバランスが崩れて関係がおかしくなりました。

なので、わたしは途中でパダナマスカールをするのをやめました。
それは周囲に大きな衝撃を引き起こし、親族からのわたしへの否定的な思いも増大したように思いました。

でもおばあちゃん先生のすごいとこは、それはわたしがババへの帰依心からだと、周囲に言っていたとこでした。
おばあちゃん先生が、パダナマスカールをやめられたことで本人自身も、また、周囲への立場もあるし、痛みを感じてるのも知ってましたが、
そのときおばあちゃん先生を信用できると思いました。

おばあちゃん先生もやさしくて情の深い人なので、周囲の人たちを傷つけたくないと思って
自分を曲げたり変質させたり、また、そういう変質させられるのを時にはむしろ喜んでるときもあって、
そういうのがわたしはキツイとこがあるので、そういう筋の通らなさみたいなものを感じると怒りになって許せない気分になったりもして、

おばあちゃん先生がプッタパルティを去ったのもそういうやさしさであり弱さである性質がそうさせたんだと思っていて、何かそういうものに流されてだめになる、そういうのが残念でショックでした。

でもそれがおばあちゃん先生の幸せのためだったんだろうと思って
ひとつの時代が終わった。。。みたいに思って、わたしのプッタパルティ暮らしは失意を含みつつ続いていったんでした。


占星術師はそのとき、私の時期がよりよいものになってパワーアップしたから古いのが離れていったみたいな感じで説明してて、
それもそうかもしれないけど、いろんなことに対してものすごく残念に思ったものでした。


そんなわけで、ずっと気にはしてて、でも縁が深かっただけに、もう会わないほうがきれいな感じなのかもと思っていたりもしたので、
思いがけずチェンナイで再開できて、喜んでもらえて、とてもよかったです。
チェンナイに来た意味があったと思いました。

おばあちゃん先生も2年間泣き暮らしてたというのを聞いてすべてが許せた気がしました。


おばあちゃん先生の家を出るとき、娘が門を閉めようとする向こうから覗き込んで見送っていた姿が焼きついています。


やはり覚醒者?といううわさのおばあちゃん先生の祝福は強烈なのか、
その日までわたしは落ち込んでて、わたしってチェンナイだめかも。会わない気がする、みんななんとなく意地悪だ。
私の味方は誰も周りにいないし気にしてくれる人も誰もいない
という超孤独な気持ちだったのですが、

その後は関係ない人でもみんなが無意味に微笑みかけてくるようなかんじでした。

何かみんなが優しくなったような気がして孤独感が癒されました。


夕食は適当な中華料理やに入ったのですが、

学生向けみたいな感じでインド食堂並みにすごく安かったです。

周りのインド人たち、なに言ってるのかわからないけど、しゃべり方とか、早さとかで、
「若いな~~~」と思いました。

その後コーヒーショップに入って和んでから帰りました。

変えたホテルは目立たなくてわかりづらいとこになるので、オートのドライバーは見つけるのに多少苦労してましたが
電話でホテルからの指示を直接受けながら何とかたどり着きました。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/03/30 21:10】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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