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ラーメーシュワラムでのプージャがどんなだったか。
先日、ラーメーシュワラムでのサイユース主催の?プージャ(ルッドラホーマム)に参加してきたのですが、中途半端に記事かいて終わってたので補足的に記事書きます。

結論から言うと、あまり楽しめなかったです。
というのは、去年から今年にかけて個人的にプージャをしまくっていたので、その濃密度からしたらスカスカのゆるゆるに思えて、腑抜けに感じました。

これはそう感じてしまったのだからどうしようもない。
でも、たぶん、わたしが一般インド人以上にプージャ経験地を異常に上げすぎてしまったからだと思います。

なんか、ホーマムというより、公民館の中で会議をしてるかのような印象でした。
う~ん。。。

困った。。。おもしろくない。。。。。


と、多少苦痛に思いながら参加していました。

部屋の端のほうでホーマムをしてて、その近くにお坊さんや男性人が取り囲んでいて、女性人は離れた壁際にみんな座ってて、なんか遠くのほうでやってるな~~~という感じでした。

場所もどこかの会館でしてて、
お寺の中ではなかった。
たぶん許可が下りなかったか、お坊さん以外の参加人数が多すぎるので最初からお寺でする気はなかったのか。

ホーマムと、あと、白いシヴァリンガムも会場に設置されていて、
全員が順番にその白いシヴァリンガムに水をかけてアビシェーカムをするというのを延々時間をかけてやっていました。

私も参加させてもらいました。

しかし、ホーマムって、そもそもこういうのだったんだっけ???と、
ちょっとわからなくなりました。

なんか腑に落ちず、楽しめず、違和感をかんじる苦痛の中でいたのですが、
比較するのがそもそも間違ってるんだと思いますが。



で、最後のほうにチダムバラムからきてた今回のメインプリーストが白いシヴァリンガムにサンダルペーストとかで顔のパーツをつけて、
それを見てさらに奇妙な気分になりました。


。。。。。。。



と思ったんですけど、なんか私、否定的な態度になってるかも。。。でもどうしようもない。。。。
と思って、でもとにかく参加しました。


先の記事にも書いたんですが、このメインプリースト、今までプージャで回ってて、顔見知りが自動的に増えてくるんですが、その中でも一番苦手な人で、いつも怒る準備ができてる印象で、
そのこともさらにこのプージャから私の心を引かす理由になりました。

冷え冷えした気持ちでプージャが終わった後、食事の場所に行きました。

そしたらそのメインプリーストと近くに歩いていく羽目になり、
わたしは頭ごなしに鬼の形相で怒られたりして傷つくのいやなので心を常に閉じてたんですが、

そしたら意外にもそのメインプリーストがニコニコと話しかけてきました。
なんだろう?たくさん写真撮ってたのが逆に気に入ったのか???とか思ったんですが、

私もこわごわ応じてたのですが、そのメインプリーストは別人のように愛想がよくなっていました。
なので私も徐々に心の扉を開いてしゃべりました。

どういう変化が起こったのかわかんないですが、なんかが変化したのは確かみたいでした。



単に別の場所で顔見知りに会って親近感湧いたとか??笑



彼はプッタパルティに何度も行ったことがあって、お兄さんかなんかもスタジアムのヤグニャのときに何か務めたと言ってたような。
ババにも何度も、坊さんとしての務めをしてるときにパダナマスカールしたといってたような。はっきり覚えてないですが。


で、29日と30日に彼がプッタパルティに行くとかいう話になってて、
私のアパートの場所とか、なんていうビルだとか聞かれたので、まさか訪問してはこないと思うけど、、、と、
軽くびびりながら答えました。

で、私も、愛想よく、じゃ、今度はプッタパルティで会えますね!と、ニコニコしてみせたのでした。


わたしはアティルッドラマハヤグニャが今年の夏に日本で行われるといいと思ってて、
アティルッドラマハヤグニャって、それ専門の坊さんグループがすでにあるのかと思ってたらそうじゃなくて、
それをするときのメインプリースト(チーフプリースト)だけが決まってて、その下の140人ほどの坊さんは主催者が組織しないといけないらしいです。

だから、主催者が誰かによって集団の質もやはり変わってくるというわけ。
いくらメインプリーストは誰を通してやっても同じ人だといえども。


でもその時は私はまだそのことを知らなかったんで、誰を通してそのメインプリーストにアプローチしても同じだとはいえ、どういう形でアプローチするのが一番いいのかなと軽く模索中でした。

そういうときに、サイユースがすでにマレーシアとタイでアティルッドラマハヤグニャを行って、今度はロシアでもするそうなんですが、そういう話を聞いたので、
じゃあどんなもんかととりあえず見に来たわけです。
あ、その時は彼らがやったのかどうか定かでなかったんですが、
インド中や外国もルッドラホーマムして回ってる人たちがいるということで、それだけの認識でした。

なんか、世界平和トラスト、みたいなの作ってプージャして回ってるらしいよ!?みたいな。

それがアティルッドラマハヤグニャを含むと聞いたのは本人たちに直接確認したときでした。


まあ、ラーメーシュワラムは一度は行きたいと思ってたし、単に観光でくるより、プージャ参加というイベントがあったほうが面白いだろう、くらいのノリで参加しました。


それがまあ、来てみたら連絡がうまくつかなかったり意思疎通がうまくできなかったりでわたしは結構イライラして、なんか、だめだな、この人らなんか無理。。。と思ったんですが、


このメインプリーストの変貌振りは自分にとって印象深かったので、
この人らを通してアティルッドラマハヤグニャ、という案は自分の中で消えずに残りました。

一応自分でも努力したんです。
あまりにもイラつきすぎてただけに、相手の中の神の部分とだけつながろうとか思って。

向こうも努力、したのかどうかはわからないですが、
話の流れでアティルッドラマハヤグニャが日本で行われることを望んでるというと、
向こうもいろいろ話をしようという感じになって、
プージャのあとに
そのサイユース関係者が(実際には彼自身はサイユースではなくて、サイユースにアドバイスをしている、という人でした)私のホテルに話しをしにくるということで、

私もプージャの後、着替えて、いつ来てもいいように身支度を整えて待ってたんですが、
そのうち疲れて寝てて、起きたら結構時間がたってたのでどうなってるのかと電話したら
もう帰路についてるとのこと。

もうこのパターンには慣れたので、
はあ、そうですか、みたいな。

みんなを送っていかないといけなくて時間がなくて、、、、と、移動の車の中から言い訳してましたが
はあ、そうですか、と寒い心で答えました。


まあ、その後数日私はご存知の通り一人残ってラーメーシュワラムを満喫したのですが、

ここ数日はチェンナイにいました。


なぜかというと、そのサイユース関係者がすでにアティルッドラマハヤグニャのメインプリーストに私のことを話して、彼(アティルッドラマハヤグニャのメインプリースト)がバンガロールで会いたいといってるのでいつがいいかとか言ってきたので、

えらく先走ったな、、、と思って、

でも本気を出したのか?とも思って、

でも、ラーメーシュワラムで、まだ誰を通して頼んだらいいのか考えてるとは彼(サイユース関係者)に言ってあって、
というのは、去年から今年にかけて占星術師と一緒にずっとプージャをしてきたので、
もし個人的にするんだったらわたしは占星術師を通してしたほうがいいと思うと言ってあったので。

ただ、もし、日本のサイセンターとかがするんだったら彼らのようなサイユース関係を通してメインプリーストにアプローチするほうが心情的にスムーズと思うとか言って、そうなるんだったら私は引っ込んでたい、みたいなことも言ったような。

なので、すでにメインプリーストに話したから日にちを決めて詳細を話し合おうとか言われても、
ラーメーシュワラムでそれだけ意思疎通がうまくいってなかったのに、
だめだろう、と思って、

それで、プリーストを交える前にまず、とにかく自分たちで話をするのが先決だと思い、チェンナイに飛びました。

予算もまだ全然未定だし。(それは言ってあったけど)


で、チェンナイの到着駅に迎えをよこすといわれたんだけど、自分で動けるし、ほかの人のサポートもあるからとそれは断って、ホテルについたらじゃあ電話してくれといわれてたので電話したら
今日は疲れてるだろうから休んでください、明日行きますといわれたのでそうしたんですが、
翌日なんの連絡もなく

私ももう自分から連絡するのも疲れて、

こういうことの連続だったんで「またこれか。。。」とか思い、

紹介してもらったホテルはサイババ関係者の経営の、カパレーシュワラテンプルのすぐ近くのホテルで、
安くてきれいだったんですが、

何か自分でもわからない居心地の悪さを感じ、
でも安いし大きな問題もないしと思って、自分のエゴかもと思って違和感を気にしないようにしてたんですが、

なんかどうにもこうにももうだめだ!という瞬間が来て、
翌日は別のホテルを探して移動するのに費やしました。


いくつかホテルをみて回って、最初のホテルを紹介してくれた人が、別のホテルがいいならあそこもいいよと教えてくれたホテルも見て、そこは1つだけ残ってた一番いい部屋をシングルの値段で貸してくれようとしてて、
部屋はすごくよかったんですが、ホテル自体が何かすごく人通りが多くて忙しい雰囲気で、
部屋を見に行ったときも「危険」という字があちこちにあってそれがなんか自分の中にすごく入ってきたので、
普通考えたらここのホテルのこの部屋を取るのが賢明だよなと思いつつも、
そこはやめにして、

自分でネットで見て探した3つ目に見たホテルにしました。
そこは場所がとにかくわかりにくくて、ホテルにも近くにもレストランがなくて、不便な感じはあったのですが、
ちょっと瞑想的な繊細な空気に満たされてて、
行く前から自分の心が「ここだ」と、開いていました。


なので、そこにしました。
従業員の感じも余裕がある感じで、よかったです。ホテルとしては決して便利とはいえないホテルだったんですが。

で、最初に泊まったホテルに戻って移動のために荷造りをしました。

移動すると決めてからやっと、あ、近くにお寺があったんだった、と思い出して、
もうチェックアウトしてしまったあとだったので不本意ながらシャワーも浴びずにあせだくのままでお寺に行きました。

お寺はホントに歩いてすぐでした。
チェックアウトを決めるまでは本当に意識も視界も狭くなってる感じで、知識としては入ってても、お寺に行く発想が出てこなかったです。


お寺の横には巨大な沐浴場があったのですが、扉には鍵がかかってて、
今までクムバコーナムとかで行ったお寺の場合だと沐浴場は常に開放されてて、人々が好きに沐浴したりできてたので、
こんな立派な沐浴場、使えないんだ、、、と思いつつ、
もしかしたら朝は開いてるのかな?と思って、
近くの花売りにここは朝には開いてるの?と聞いたら、
「オンリーアンマーワーサイ」
と、答えました。

「オンリーアンマーワーサイかあ~~~~。。。」
と思いました。

アンマーワーサイは新月のことです。

つまり、月に一度だけ開くらしい。



お寺に、プージャ用の花とか買って入りました。

最初、このお寺はどんなかなと思って一通り歩いて回りました。

たぶん、10数年前の個人的なアガスティアの葉のカルマの解消で来たことあるような気もするのですが、もちろん全然覚えてません。


チェンナイに来たときから何か自分の中でなじめず、だめなかんじというか、違和感がぬぐえなくて、
それはお寺に入ってからも同じでした。

チェンナイは、私は合わないんだわ、と思いました。
なにかみんな意地悪に見えたり。

そんなことは実際はなくて、歴史ある都会の部類に入るのでチェンナイは。だから、
都会の人特有のうかがうような人との距離のとり方が、オープンハートな田舎の距離のとり方になれたわたしには痛く感じたんだろうと思います。


お寺のいよいよ核心部分に入っていったのですが、シヴァリンガムに行く前に、人の流れに乗ってたら先にパールバティのほうに流されていきました。
なので、パールバティ先でいいのかな?と思いつつ先にそっちにおまいりしました。

ちょうどアルティしてて、タイミングいいかんじでしたが、一日中やってるのかもしれないし、よくわかりません。
でも、花を女神の足元にラリタサハッスラナーマか何かを唱えながら捧げてもいたので、
やっぱりいいタイミングだったんだろうと思います。
私の持参したはすの花も持っていってもらいました。

お参りして振り返ると扉が閉められて見えないようになっていました。

その後シヴァリンガムにもおまいりして、持参のもの、ココナツとか、花とか、フルーツとか、を捧げてもらいました。

捧げられたあとのものをプラサードとしてもらい、ビブーティーとかももらい、
満足して出てきました。

パールバティのとこから何か箱をいくつかシヴァリンガムのほうに運ぶのに楽団が演奏で花を添えていました。

満足したんだけど、何かとてつもない悲しさにも襲われました。


なにかものすごく哀しくて、
シヴァリンガムと対峙したときは確かにそこに濃厚な「在る」感じを受け取って、とてもよかったんですが、
少し引いてそこに一生懸命おまいりする人たちを見てると何か虚しいというか、シヴァリンガムと人々のあり方とのギャップを感じて、ものすごい虚しさに教われました。

人々があまりにも実がなくて空虚に思えて。

そういう空虚さのほうを強く感じてしまった。
まあ、勝手な話というか、失礼な話ではあるんですが。


異邦人としてその場に降り立った私が感じたのはそういうことでした。


お寺を出て、お寺の周りをわざわざ遠回りしてぐるっとまわってホテルに戻り、
荷物をオートに乗せて、変更先のホテルに行きました。

別のホテルに行く道すがら、閉塞感やだめな気持ちが、楽しい気持ちに置き換わってることに気がつきました。
いつの間にか楽しめていた。
ホテル変えて気分が変わっていた。

最初のホテルの手配をしてくれた人が、ホテルを変更するなら変更先を教えるようにといってたので、
電話したら途中でオートと落ち合って、変更先のホテルに送ってくれました。

やっぱりホテルの変更が腑に落ちなかったみたいでまあ実際、紹介してくれてたとこはきれいで安いとこだったし、便利な場所にあったので。
だから、何でとかいろいろぶつぶつ言われましたが、
適当な当たり障りのない理由を言いました。

紹介してくれた人は「あのホテルは君にとってセンター(サイセンター)のようなものなのに」といったのを聞いて、
「ああ、だからだめだったんだ」
と、思いました。

私はサイセンターはババの直接の手足となる機関としてその存在がありがたいし、敬意をはらっているのですが、
その中にどっぷり入ってしまうことは、自分が望んでてもどうしても無理だったので。


変更先のホテルは場所はわかりにくいにしてもきれいでわりといい感じで、一言で言うと神経にさわらない。

私にはこういう繊細なムードが今どうしても必要だったんだなあ、と、部屋に入って思いました。
知らず知らずのうちに、神経の磨耗が相当すすんでいたらしい。

ちなみにそのホテルのサイト
http://www.smarthaven.in/formats.php

ブティックホテル?とかいう分類になるらしく、建設会社の半分モデルルーム的な機能も備えてるのかも。
スタッフも気のせいかなんか建築関係の学生上がりっぽかった。

数部屋にひとつ、共用キッチンとくつろげる場所がありました。



長~!  つづく。。。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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