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手相
翌日の朝、ホテルは朝食付きだったんですが、7時出発で、7時半から朝食だったのですが、前もって言っていたらパンとかフルーツとかを早めに用意してくれたので、それらを軽く食べて出発しました。

8時から9時に来なさいと手相の人には言われていたのですが、8時10分前にその人の自宅に到着し、
ウォッチマンの子供かなんかに案内されて鑑定室に入りました。

服が無かったというのもあったんですが、一応礼儀正しくしようと思って、
正装のサリーを着ておでこにもクムクムとビブーティーをつけて行きました。
ちゃんと朝に沐浴もして。

そしたら手相の人は私がサリーで現れたことにちょっとウケて印象よかったみたいでした。
思ったより体のでっかい人でした。

奥さんがコーヒーを持ってきてくれて、それを飲んだりして、
いろいろ雑談をしてました。

話してるうちにわかったのですが、
私を彼に紹介してくれた人は、私のことを占星術師だといって紹介したらしく、
それでどうやらこの手相を見る人は警戒して私に対して厳しめの対応をしたようでした。

そんな、ウェブサイトをすみずみまで読んでからじゃないと鑑定予約を受け付けないとかって、変だもの。

なのでわたしは占星術の鑑定を受けたい人の通訳をしたりはしてるけど、
そのまま訳すだけなので私自身は占星術の知識はまったくないし何も知らないことを言いました。


そしたら「自分は知識を伝える相手を探している」とかいう話になり、
学びたいかとか言われたので、
「。。。。まぁ~~~~、こういうのを何かやらないといけないなとは思ってます」
とか適当に答えたら
自分のところに半年間住み込んで毎日勉強しなさいとかいう話になりました。

それは~~~。。。。あの~~~~~、、、、、まずは鑑定を。。。。。。。


とか思ったんですが、
「今日帰るんじゃなかったら少なくとも2~3日泊まって行ったら今から企業の鑑定に回るからそれにも連れて行ったのに」
などとなにやらそんな話ばかりになって、

わたしはこの人が素晴らしいとか聞いたので
そりゃー、私の人生の難問をびしびし解決してもらおうじゃないですか、
みたいに結構期待してきたのに、鑑定しないの?。。。。。。泣

てかんじでした。

あとは雑談みたいなのばかりで。
自分は2時に起きて研究してるとか、インドで、いや、世界で唯一政府に認められた手相鑑定者だ、みたいなのとか、
サイババの親族の手相もみんな見た。みんな私の顧客だ、みたいなこととか。

じゃあサイババの手相も見たんですか?と聞いたら、ババの手の写真を見せて、
「スワミの許しの元でのみ私は鑑定をしている」
とのことで、つまりは見てないってことか、と思ったんですが。

ずっとそういう話を聞いたり、私が自分のことを雑談風にしゃべったりしてました。


で、ようやく私の手をとって、虫眼鏡で見たり分度器で角度を測ったりして、
言われたのが、
皮膚病があるか、と。

「特にはないと思いますが。」
と答えたんですが、引き下がらず、何度も聞いてきて、
そのうち皮膚病の本を出してきて症状のカラー写真を見せて
「君は将来このようになる」
とかいうので、勘弁してくださいよ~。とか思いましたが、

「どこかに皮膚のトラブルはないのか」と執拗に聞かれたので、
そんなの人生の方向性にあんまり関係ないような、、、、と思いつつ、

「そういえば、かゆくて掻くときはあります」
と答えたら
「それだ!!!」「それを言いたかったんだ」
みたいに言われました。
(それでいいの!?)


その手のことがいくつか続きました。
左足にあざがあるかとか。
奥さんと一緒になって夢中で聞いてくるので、あざがあればいいなと思って自分の左足を見たけど残念ながら見当たらなかった。

なのでその場はうやむやになりました。

なんだろう、鑑定の「つかみ」なのかな?と思いながら返事してたんですが。

私にとってはあまりにもどうでもいいことだったけど、鑑定士にとってはすごく重要みたいでした。


自明の事を当てられても発展しないですやんね?(なぜかいまいち当たってなかったんだけど)


あとは、ひとつの事を続けずにいつも変えるとか。
それは問題なんですか?と聞いたら問題だといわれました。
でも興味なくなったら続けられないんじゃあ?とか思いましたが。

たしかに自分で言うのもなんだけど色々うまくできることも多かったわりに今まで何もモノにはなってないですが、
そういうのって器用貧乏って言うのかな?

こういうのもなんだけど、世俗のことには根本的に興味が続かないんです。深く興味が持てない。
何か熱中してるときでも、心の奥では「これもどうでもいいことなんだけれども」と思いつつ、
今はこれをやるタイミングになってるからみたいなかんじでやっている。

でも21歳でインドに来てなかったらきっとすごく集中してひとつのことを修業的に追求してたと思います。
そういう馬鹿になれるところはあるから。

でもインドに来たら世界の何もかもがひっくり返ったので世界の何の要素にも集中できなくなってしまったという。

逆に言うと、そういう何にもはまりきらない状態を続けてるといえるのでは?などと思いましたが。


後は、今住んでるとこは4つめの場所かと聞かれたので、
5つ目です。短期を入れたらもっとになるけど、と答えました。
生まれて18までいた西宮、学生時代の京都、卒業後の沖縄、苦行?時代の岐阜、インド。
あ?岐阜のあとに実家の兵庫の山奥も入れたら6つか。

(それと結婚してから横浜にいたんだった。忘れてた。7つか。)


細かく見たらもっと細かくなるけど。
卒業後はあちこち住み込みしながら転々としてたので。

で、今後は死ぬまでインド暮らしだとか言われました。
また言われてしまった、、、というかんじですが。
日本にいたらプロブレムだ、とも言われた。

まあ、それは自分でも思うけど。


で、テンションのきつさがあって、怒りや混乱もあって、繊細(過敏?)だとかいうことも。

テンションはここ数年、実際きついです。

その前の異常事態から比べたら格段に楽にはなってたりもするんだけど。


あとは下腹が痛くなるとか。

これは昔デリーで手相見てくれた聖者?チシティババも言ってたな。
おなかが痛くなる、というのは手相に刻まれてるのかも。
これは子宮の痛みらしい。

出産までは生理痛はむちゃくちゃきつくて毎回倒れて寝込んでたけど、
出産後はありがたいことに生理痛はほとんどなくなりました。

それは主名さまさま。


手相見によると、腸も問題があるらしく、軽い潰瘍?があって大きくなるかもしれないので、
食事は一度にたくさん食べずに少量に分けるようにとか言うアドバイスをもらいました。


結婚が壊れたり別離とかいうのはすごくはっきり出てるとか言われ、それは鑑定前の雑談ですでに与えてる情報なんですが、



鑑定で言われたのはその程度でした。

不満~~~~~!!!!


情報これだけかあ~~~~~~。


なんかこうもっと、人生にズバッと切り込んでこられて衝撃を与えられたかった自分がいるんだけど、
時間切れということで鑑定終了。


鑑定時間のほとんどを占めたのは、自分(鑑定士)から手相を勉強しなさいということばかりでした。



あ、でも、私の手相を見て、
「スタディマインドではないな。ちっ!」
と言っていました。

つまり学ぶ気がないという。

お、よくわかりましたね、さすが。と、それはちょっと感心したのですが、
その後もずっと自分の下で勉強しろと言われ続けたので、
手相に表れてる情報を実際に適用するのとはまた別なのか?と思いました。


プッタのインド占星術師も、私のチャートを見て独立していたがる性質を把握してるはずなのに、
依存させようとして私とぶつかったりよくしました。
そんなときは「チャートを見て知ってるでしょう?」と私は言うんだけど、

それとこれとは別で、人の性質や行動パターンや衝動みたいなのは理性ではわかってても抗えないものがあるんだろうなという感じです。


手相の人も、鑑定がもっと衝撃的に素敵だったら弟子入りも考えないこともないけど、
今回の鑑定は鑑定の域にも達してなかったと言うか。
自分のところで勉強しろばっかりだったので、鑑定してもらいにいった私としては方向違いだったので不満でした。


ざんね~ん。
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【2012/04/01 07:05】 | 小旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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