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ひとそれぞれ
あさって日本に帰る知人としゃべってたら

「さわちゃん、つかれてる?笑 顔が疲れてる」

といわれました。

「ずっと疲れてます(苦笑)」

と、答えておきました。



彼女とははじめてインドにわたしが来た17年前、一緒のツアーで一緒の大部屋で、滞在中も何かとずっと一緒に行動してました。

ものすごく昔、たとえば何千年何万年?笑 前からの知り合いなんだろうということは体感しました。



数年前にプッタパルティで再会して、お互い年取ったなと私は思ったんですが。笑


17年前のプッタパルティ滞在時には、プールナチャンドラホールの中でそのときプッタで開催された世界音楽祭の主催国の人たちへの特別ダルシャンがあって、

日本も主催国のひとつだったので、(湯川れい子さんとか独立する前の東儀秀樹?さんとかも来ていました
私たちもその特別ダルシャンに預かりました。

だれかが歩いてるババに折鶴を手渡して、それをババが飛行機のように飛ばしていたような記憶が。

私はその時はすでに高熱と下痢で断食状態だったんだと思いますが、まあ、活動する分には平気だったんですが、
ババが私の前に立ってるときに誰かが写真を撮ってたらしく、
あとで別々の2人からそのときのババと一緒に写ってる貴重な写真をもらいました。
(当時はデジカメじゃなかったから撮られてる写真の数がいまより全然少なくて、ホント貴重だった)

その写真では、わたしはぼけ~っ、と、口も半開きの間抜け面でババを眺めていたのですが、
近くに座ってたその知人の彼女はきちーっと座って、ぴしーっと合掌して、ちょー美しい姿で写っていました。


それを見て、ああ、レベルの違いって、こういうとこにきっちり出るんだなと思ったんですが。笑



彼女は電磁波がダメらしいので、ネットもほとんど見ないそうであまり情報を入れてないそうなんですが、
体感でいつも動くタイプで、

やはり去年の311以降放射能の影響は感じてて、
庭だかバルコニーだかの植物の様子や形状もおかしくなってると思えて、植物に
「ごめんねこんなにしちゃって」
と謝罪してたそうです。

本人は自動的にずっとガヤトリーマントラとかのマントラを唱え続けていたそうです。

わりと影響がありそうなとこに住んでる彼女だけど、
マントラとか唱えてたら免疫力も高くなるし、放射能の影響も受けにくくなると思います。

それに本人だけじゃなくて、周りの人や環境の浄化にもなってたと思います。


ある種の人があえてそういう影響の比較的きついところに住まわされるのは、その場所の環境改善のために使われてる場合もあるんだろうなと思います。

しかし少し前から引越しの時期が来たと思って山のほうに引っ越したという話でした。


彼女は2006年のプッタパルティでのアティルッドラマハヤグニャの時には家族と一緒に来てたんですが、
その1週間前にプッタパルティから日本に帰ったばかりで、

でもすごく今行かなくちゃという気がして、
家族を説得して家族を連れてインドにとんぼ返りしたそうです。


そんで来てみたらアティルッドラマハヤグニャだったそうです。



その時期は彼女にとって占星術的に見ても大きな転換のときだったらしく、
私は具体的な感覚はわからないんですが、なんでもそのとき(アティルッドラマハヤグニャ参加)を境にまるで存在形態が変わったような感じだったといってたような。。(あやふや)

ヤグニャに参加して日本に帰ってすぐに3日間高熱を出し、
最後には吐いたら体の中から猛スピードで石ころが飛び出てきたらしく、
それを境に、たぶん十年以上続いていた体の状態が一変したそうです。


なので、アティルッドラマハヤグニャなどのプージャがものすごいということは彼女は体感していて、
今日本でそういうプージャが行われたらものすごい効果があるということも全面同意で、疑う様子もありませんでした。

ちなみにプッタの占星術師には「あんたはいるだけでいい」「音楽とか興味ある?」とかいわれたらしく、
この人いんちきじゃ、、、と、怪しんだらしいです。笑



聞いた話によると彼女は以前プッタから日本に帰るとき、ダライラマと同じ飛行機で、
飛行機を降りてからダライラマに「インドではどこに行ってきたの?」とか話しかけられて、
チベットのお坊さんだ、と思いつつイミグレまで談笑しながら一緒に歩いていったそうですが、
ダライラマと別れたあとに周りの人からそれが誰だったか知らされたとかいうこともあったらしいです。


彼女も体感として地球が怒ってると感じて、毎日ほかにやりようがなくて、必死に祈るしかできなかったと言ってましたが、
だれかに私たちが日本のカルマ解消とか世界のカルマ解消とかのプージャを実行してると聞いて、
知ってる人だ、さわちゃんだ、と思って、感動して
家族と一緒に感謝の祈りを捧げてくれてたそうです。

今回プッタパルティに来るためにも1月から飛行機を予約していたのですが、
家族にはもしかしたら(日本の状態が)インドにいける状態じゃないかもしれない、と言ってたそうなんですが、
でもなぜか?来れた。と言っていました。
2月3月には日本はもうインドに行ける状態じゃなくなってるかもしれないと思ってたそうです。

なので?ありがとう、といわれました。


去年の大晦日、
私は猛烈に心配な気持ちになって、
それって、アパートの部屋の前においてあったシルディババの重たい像が胸のところで真っ二つに割れていたり、
日本にお守りなどの荷物を送ろうとしても私の順番が来たら
郵便局のプリンターが壊れて印刷できなくなって日本への発送を受け付けてもらえなかったりということもあって、

なにか日本を変なのが覆ってて、すごくやばい雰囲気。と思って、猛烈に不安になりました。


結局、元旦早々に大きな地震があって、
それによって原発も多少影響があって、ヤバイはやばかったんだけどなんとか決定打には至らず終了手前でこらえて回避されたかんじではあったんですが、

そのことを知人の彼女に言ったら、彼女も大晦日は異常に不安定になって、気分が激しくなって大晦日には年越しそばも食べられなくて、元旦に食べた。あれはなんだったんだろうと笑っていました。

あとでわたしも、元旦ヤバイ説があったのを知ったのですが、


そんなかんじで、彼女だけでなく、私の周辺の女性たちは直接体感してる人が多いし、それを抵抗なく話して分かち合えるかんじ。

男性はダメ。爆


もとだんには「なにもこのタイミングで行かなくても。数年はインドにいたほうがいい」と何度も引き止めたけど「死んでもいいよ!」と東京に少なくとも数ヶ月の予定で遊びにいきました。

すでに音信不通。

超越しすぎやろ。。。

ちょっと頼みたい用事あるんですけど。。。


くたばるなら用事済ましてからにしてくれ。



もしもとだんの周囲にいる人でこのブログ見た人がいたらもとだんにわたしに連絡取るように伝えてください。




。。。業務連絡でした。





知人女性に「プージャ(アティルッドラマハヤグニャ)するの?」と聞かれ、

「そのつもりで動いてますけど、私は何もできないんで。」

「資金調達と、日本の人に情報流すだけ」

と、答えました。


実際なぜか常に一文無しといって差し支えない状態だし、
(必要なときにはお金は充分来るんだけど)

実際のプージャの準備はインド人がするし。(まあ、日本でする場合は日本人も?)



具体的に何もする力がないというのはある意味気楽。笑



彼女に「じゃあ、またね。もう会えないかもしれないから」と言われて、

彼女はもう明後日帰るから、という意味で言ったみたいですが、
わたしはなぜか「もう今生では会えないかもしれないから」といわれたような気分で受け取ったのでした。


彼女はほんとは4月いっぱいプッタにいるつもりだったらしいのですが、
早く日本に戻って準備をしないといけないと感じて、日本帰国を早めたみたいです。

エネルギー供給が止まった状態でも、避難してきた人とかに自宅を提供できるような準備をする必要があると感じたらしいです。


「また、疲れたら来るね」

と言っていました。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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