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同じメロディーが延々流れ続けている夢
このまえ、夢をおぼえてな~い、夢をおぼえてな~い、と書いたら、

その後、明け方の夢のエッセンスはほんの少しだけおぼえていられるようになりました。

相変わらず詳細はばっさり切捨てで忘れてますが。


今朝は久しぶりにサイババに夢で会ってたように思います。
なんとなくしかおぼえてないけど、
なにか話をしたか、なにかをくれてたか、そんな。

それを見て目が覚めてまもなくアシュラムからの
「お~~~む」
というオームカーラの声が聞こえてきたので朝5時少し前です。


その後また長い夢を見たけど忘れてしまって、

おぼえてるのは、何かどこかの立体的な建物の中にたくさんのいろんな女性たちがいて、何か映画のキャンペーンかなにはのいいことを教えてもらえるか見せてもらえるみたいな雰囲気で、

楽しみに順番を待っていた一人ひとりが呼ばれて別室でその何かを体験するわけなのですが、

出てきた人はだれともしゃべらずにみんな静かにしくしく泣きつづけていて、

しゃべらないのでなにが起こったのか、
なにを聞いたのかなにを見たのか誰にもわからないのですが、

その建物のあちこちでそういう、座り込んで静かに涙を流し続ける人が増えてきて、

その様子に、
まだ別室に行ってない女性たちも「だって泣いてるから」と、つられて泣く人が増えてきて、

そこらじゅうあちこちで女性たちがしくしく泣いている状況になっていました。


その間中空中には一つのメロディーが流れ続けていて、
近い音としては、


ラ ソ ファ ソ ラ ラシャープ 上のド ラシャープ ラ ソ


この楽しいんだか悲しいんだかよくわからないメロディーが3~4秒を一回りとして延々とバックミュージック的に繰り返されていました。


私は5歳くらいの年齢の息子と一緒に変な構造のその建物の中の高いところから
下の床の上に降りなくてはいけなくて、

高い場所の狭い段差にいったん息子を立たせて、近くのパイプをつかませて、
私もその段差の上に降りました。

下を見るとそこにも床に座って静かに虚空を見つめて泣いている女性がいて、
降りにくいなと思ったんですが、

人の背の高さくらいあるその床までの段差を、先に私が下に降りて、
下で子供を受け止めようと思いました。


たくさんの人が泣いていたので、
きっとみんな本当のこと(世界の近い姿)を知ってしまったんだなと思いました。


すると空中にナレーションが現れて、


自分が世界から切り離されるからといって、ただ単に切り離されていてはいけない。

世界の人々は病気で病んでいるから力になりに行かなければいけない、


みたいな年配の男性の声が空中に響きました。


そんな夢でした。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/04/16 10:43】 | サイババの夢 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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