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ブッダプールニマ本番
今日はブッダプールニマの本番でした。

出演者にはおそろいのキラキラのサリーが配られたので女性はそれを着て、
5時からヴェーダチャンティングで、ルッドラムとか唱えてました。

そのあと、タイの子供たちのダンスがあって、つくり笑顔をして踊らなくちゃいけないんだけど、作り笑顔がとってもかわいかった。笑


その後、クワイヤーの本番でしたが、今までで一番よかったような気がします。
音もよく響いていた。

初回の、今だから言えるけど、私が言うのも不適切かもしれないけど、みんなそう思ってたみたいだから言いますが、あの弱弱しく惨憺たる状態からしたら、奇跡のようです。



ホール全体からの拍手も心からのものに感じられました。


なんか、聞いててもよかったみたいで、後でいろんな人によかったよといわれました。



歌い終わったら私も声がかれていた。(がなり散らしすぎという話も)


キーが高いのが多かったので結構大変だったかも。




その後バジャンがあって、プラサードも配られ、あと、プラサード?としてのえんじ色のサリーも配られました。


マハーサマディーの前で写真撮影をし、お参りして、
みんながお参りし終わったあとにあかちゃん仏陀の像にひとりひとりアビシェーカムもしました。



ふと思ったのは、
昔は年に1週間とかだけプッタパルティに来て、それでぴかぴかに浄化されて日本に帰っていたものだったけど、
今はずっといれる、というのが不思議。


少し前にサイババ関係の知人に「ババに会って、なにがよかったですか?」と聞かれ、

「アシュラムがよかったです」と答えたんですが、

その気持ちは今も変わりません。笑



私はババがと言うより、アシュラムに、住みたかったのかも。



ババに会ってなにがよかったかと言われたら、質問の求める答えを返すことがちょっと抵抗があって。
ババは、まちがいなく、超スーパーでしたが、
だからそれが?という気持ちはいつもあって、ババに会ったけど、個人として生きてるババの神性個性を認識するのは
ずっとあとで、


ババと個人的に会ったという感覚には、何度ダルシャンを受けてもなれなくて。
だから、会ってない気がします。
だから、なにがよかったときかれても難しい。

やっぱり、私が一体化しててしようとしてるのはここの「場」なんだろうと思います。


アシュラムは素晴らしかったです。
設備とかじゃなくて、やっぱりその場が保っている頭も心もオープンにさせるような空気感が。



明日は午後に日本人男子たちが劇をするそうです。

今日のプログラムはすでに生中継されてたそうで、
「SAWAKOさん見ましたよ」と、日本の知人に言われました。




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テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2012/05/08 02:27】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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