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ウエスタンキャンティーンの祭壇掃除
今朝はいつもやってる人のピンチヒッターとして、ほぼ1人でウエスタンキャンティーンの祭壇の掃除のセバを早朝にしました。

2日間?前もって一緒に掃除の様子を見せてもらっていたので、とくに困惑するようなことはなかったですがやはり手際が悪くて、(来たのもちょっと遅かったけど)
朝7時少し過ぎにやっと終わりました。

とくに難しいことはしないんだけど、いろいろこまごましたことが多くて。

それぞれの写真とかに供えてた花を取り替えたり、軽く床を掃いて、大小7~8つくらいのオイルランプを器を洗ってオイルや芯を入れなおしてセットしなおしたり、そんなことをします。


で、丸一日祭壇に供えていた銀のコップに入ったお水は、掃除が終わったあとに聖水として祭壇に振り掛けたり、キャンティーンスタッフに少しずつ配ったりするんですが、
今日は遅かったので、インド人のおばちゃんたちはほとんど朝ごはんに行ってしまっていたという。

なので、普通のコップに取り分けて、残ってたおばちゃんに、みんなが帰ってきたら分けてもらうように託しました。


掃除とセッティングが終わってぼぅっとしてたら、
キャンティーンのボスがアルティをしたいか?と聞いてきたので、

「え、、、、、ええ、、、、、、」

と、反応悪く肯定したらすることになって、

7時半くらいにキャンティーンがオープンして食べに来る人とかが入ってきて、
ブラムマールパナムをみんなで唱えてから、
アルティが勝手に始まるかと思ったら私がアルティのための樟脳に火をつけるのをみんな待ってたので、
うゎとか思いつつ火をつけたらみんなアルティの歌を歌いだしたので
祭壇に向かってくるくると火を回しました。


祭壇のセッティングをしても別にそんなにすごく神聖な気分ではなかったんですが、
人が祭壇に向かって手を合わせたり、みつめたり、
祭壇を囲んでアルティを歌ったりしてる様子に、はじめて、自分が祭壇のセバをしてたことにあれ?これってそういうものだったんだ!と気がついたというか。

その、見え方の変化、視点の変化は鮮やかでした。



みんなの歌声に包まれながらアルティの火を祭壇に向かってささげていると正直感動してしまった。




サウスで軽く朝食を食べてからサイクルワントホールに入りました。

ヴェーダは低い声で唱えてたらどんどん低くなって大変だったので途中でオクターブ上げて唱えました。

女性の声の高さに合う音程ではないのでいつも高いか低いかで唱えてるのでのどがすぐ痛くなります。



サマディー参りのときに、いつものようにサマスタローカーとか唱えて、みんな幸せになりますように、そんでその「みんな」には私も含めてくださいと祈っときました。笑

で、もっとなんかないかなと思ったら「あなたに溶け込ませてください」という祈りの言葉が自分の中から出てきたので、
それはちょっとまずいよ~と思いました。



祭壇セバのあとに、サイクルワントホールに向かって歩いてるときにも無性に物悲しい気分になって、

なんか、動く歩道みたいなのでどんどん自動的に神聖な状態に追い立てられてるような。だから。
そんな、私だけ運んでいかないで、という気分。


世俗を捨てたくない、みたいな。笑


世俗というか、
世俗を退けて神聖な状態にはなりたくない気持ちがあります。

もともとみんな本質は神なんだから、何もここ(この世界)に来てまで、そっち方向に行き急いでも仕方がないし。意味ないし。



それよりも、世俗的な要素のあらゆるすべてが神聖なものとして昇華された世界に存在したいという、悲願があることに最近改めて気がつきました。


それが、私がこの世界にいる目的なんじゃないのかなあ?




すでに失敗気味ですが!?




そのあとガネーシャテンプルの周りをお供え物を持って21回まわりました。

ついでにムルガンもまわりました。




こんなことしてるから、異常にすっきりしちゃってだめなんだけど。笑

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【2012/05/08 20:06】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(4) |
<<ブッダプールニマのプログラム2日目。劇。 | ホーム | ブッダプールニマ本番>>
コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2012/05/08 23:23】 | #[ 編集]
コメントありがとうございます。



うつってましたか?

同じような髪型とめがねの女子がいっぱいいるから私かどうかはなぞ~。と思いますが、
ホント便利な世の中になりましたよね!

昨日、ほかの人に「見ましたよ」といわれて、ネットで生中継してるって知らなかったもんだから、ぎゃ~と思いました。笑

なんかすごい気持ちよく歌ったりしちゃったりしてたような気がするので。笑


劇もなんか感慨深いものがありましたよね。

劇が始まってすぐにすでに周りの日本人の人たち涙をぬぐっていました。


あれに使われてた津波の映像が厳選されたやつだったのか、すごい迫力があってすごすぎでした。
(私あんまり津波映像見てなかったので)

SSOJ,すごいがんばってたんですね。
話には少し聞いてたけど。


ムルットゥンジャヤマントラを鎮魂のためにみんなで唱えたんだ~~~と思いました。

インドでもお葬式のときによく唱えられるみたいですね。


魂の不滅。



劇、日本語字幕つけて、きちんと編集されたDVDを見てみたいな。
【2012/05/09 01:20】 URL | 古野SAWAKO #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2012/05/09 12:04】 | #[ 編集]
> 東京センターの人でこの年代の女性なら、眼鏡をかけている人はほぼ見分けがつくので、
> あれはやっぱりSAWAKOさんです。
> (真ん中辺にいました。エンジのサリーだったかなぁ、顔に集中してたから覚えていないのですが)
>
> 放送中、SAWAKOさんは2、3回ほど瞬間的には映っていたのですが、その他大勢という感じの映像でした。
>
> ところが、サマスタローカーを唱える場面になったら、
> ほんとーに狙ったようにカメラがSAWAKOさんを映し出したのです。 (゚Д゚;)ぅぁ。
> 瞬間とか流しではなくて、じっくり構えて。(゚Д゚;)ぅぁぁぁぁ。
>
> 私は、たまたま直前にブログ記事でサマスタローカーの話を読んでいたので、
> これってスワミがSAWAKOさんの祈りを・・・と思い、
> 報告させていただきました(`・ω・´)ゞ



そう、口先だけかもしれないけど毎日唱えてますから!笑


>
>
> そちらは暑かったのでしょうか、団扇をぱたぱたあおいでいるかたが散見されました。
> でも、映像としては、あおがずにじっとしている人のほうが、断然かっこよく見えました。
> これからは、画面映りも考えないといけない、気の抜けない時代にもなりましたですw



ほんとですよね~、私もまさかネットで同時放映されてるとは知りませんでした。
まあ、がんばってもたいしたことないのでいつ写されても平気ですが。
>
>
> 地震の場面は、私もやはり悲しくなってしまいまして(当時の怖さも思い出し)。
> うちにテレビがなかったのが幸いして、恐ろしい映像を見る機会がほとんどなかったのに、
> 確かにあの映像は津波の恐ろしさを十分に伝えるものを選んだのでしょう。
>

音楽とあいまって、こわかったです。。。



>
> いまはアティルッドラマハヤグニャの開催をとても楽しみにしています。
> 自分もなにか貢献できることがあれば、と思って、ルッドラム(ナマカム)をこの機に覚えることにしました。
> どうぞよろしくお願いいたします。


おおっ!ルッドラムを唱えられるようになることは自分で自分にイニシエーションを与えるようなものだと思ってます~。

私も暗唱できるように何回も唱えよう。


サイラム
【2012/05/19 21:18】 URL | 古野SAWAKO #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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