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足毒治療
足毒(と勝手に名づけました)の状態が改善するかに見えてまた広がったので、とうとう昨日の晩に西洋医学のクリニックに行きました。

診察スペースに入ったら、主名の通ってたインターナショナルスクールの先生がいました。


お医者さんに、傷を見せたら「Oh!」と言ってました。笑


最初1週間ぐらい消毒とアーユルベーダの塗り薬塗ってたんですが効かなくて、
なのでホメオの飲み薬と塗り薬に変えたんですがやっぱりダメでしたと言ったら、

最後に西洋医学か、、、と、その場に居合わせたインターナショナルスクールの先生ともども苦笑してました。



で、飲み薬、抗生物質とほか一種類を出してくれて、(痛み止めは痛みはそれほどでもないので辞退)塗り薬もくれて、
明日の朝、傷口の洗浄に来なさいといわれました。


なので、「痛いのはいやです。」と5~6回言って、「自分でします」とかがんばって言い張ったんですが、
どうやるか、やり方を教えるから来なさい。その後自分でしなさいと言われました。

こういう傷の洗浄、むちゃくちゃ痛いと何人かから聞いてて、
「自分でやると言ったら自分でさせてくれる」と聞いてたので。


前、子供が風呂場の前の床で転んで後頭部を角にぶつけてざっくり開いたとき、
ジェネラルホスピタルの看護婦さんの消毒の仕方が強烈だったので、
(痛み止めの注射してからだったけど、鼻歌でバジャンを歌いながら傷の中をごしごしこすってた。子供悲鳴)

あんな目に合うのは恐ろしいと思って、
ものすごい嫌がってみた。笑


で、昨日の晩に抗生物質飲んで塗り薬塗って寝ておきたらすでになんとなく傷が落ち着いてる気がしたので、
もう洗浄も行かないでおこうかと思ったけど、

昨日お医者さんにそういえば診察料払ってなかったような、と思って、
行くことにしました。

プッタのお医者さんとか歯医者さんは診察料自分から言わない人も時々いるので、こっちがうっかりしてると払い忘れるんです。


で、朝にサマディー参りしてからクリニックに行きました。
ちなみに、ゴープラムロードのハヌマーンテンプルに向かって右サイドのPULSE POLY CLINIC です。
SBIの手前だったかな。
ババホームニーズの向かいくらい。

知人の評判もいいし、前少し貧しい子の無料の学校に関わってたときもそこの校長先生は子供たちに何かあったらいつもこのクリニックに連れて行ってて、ドクターへの信望が厚かったから。


で、行ってみると、今日は診察室にはババの家の前にいつもいた、あっさりアジア系の顔の背の高い側近が座ってたので会釈しました。


そして奥の部屋に行かされて、傷口を洗浄をクリニックの女性にしてもらいました。

奥には小部屋がいくつかあって、点滴を受けてる人とかもいました。


思ったよりやさしく丁寧にしてくれたけど、
傷口の上をピンセットでつまんだり、両側から指ではさんで傷を押して、なかの汁を全部出そうとしたりもしたので、
「だーーー!」とかいって逃げました。

かさぶたみたいなのも充分やわらかくなってない乾いた状態で脱脂綿でゴシゴシこそげおとそうとしたので、
消毒液をもっとたくさんかけたら自然にはがれるから。と、思わず指示してしまった。

私が「あー!」とかいって逃げるので、処置してくれた女性は
「どうしたの?痛い?」と、動きを止めて、なんか興味深そうに私を見てました。

結局、私がうるさいし逃げるので、適当なところで妥協して消毒終わりって感じでした。笑

お医者さんの前を通るとき、
お医者さんは「痛かった!?」と、痛そうな表情で心配そうに聞いてくれました。

そんなに痛そうな顔してくれると思ってなかったので
「いえ、OKです」と答えました。

OKもなにも、私がわーとかぎゃーとか言ってたからお医者さんも心配になったんだと思うんですが。


われながら意気地なし。



で、明日からの消毒&洗浄を自分でできるように一式購入して帰りました。

なんか、思ったよりもずっとやさしかったです。そこのクリニックのお医者さんと看護婦さん?
わたしお医者さんや看護婦さん、権威をかさに来た恐ろしい人はホントに恐ろしい殺人鬼のように思えるので、
できるだけ西洋医学の病院には関わらないようにしてるんですが、

ここの人たちは殺人鬼じゃなくて助けてくれる人たちでした。



昨日、何も払わなかったんですが、、、と、お医者さんに言ったら、(薬代は払った)
あっちで(薬局のとこで)払ってるからいいよいいよみたいなかんじでした。

薬局でもおつりの4ルピーがなかったらしく、薬局側が10ルピー札を出してきたので、
薬局にとっといてくださいと言ったら、逆に、いいよもらっといて、みたいな感じで言われたので
もらっときました。


クリニックを出ると見知らぬ上品なインド人の女性がなぜか合唱して笑顔で丁寧に挨拶してきました。

たぶんその人の子供の学校の先生とか、誰かと間違えたんだろうと思ったんですが、

なんか世界が妙な感じでした。


P6062997.jpg

つまりは、大きい口内炎がつぶれたやつみたいなのがすねに6つくらいできてました。
こういうのを、潰瘍というみたいですね。

足に穴があいててふさがらない、と思ってましたが。潰瘍、ね。なるほど。



P6032924.jpg

これはブーゲンビリアかな?アパートの部屋の前に最初からあったやつ。
前の住人(アーユルベーダに興味のあったドイツ人だったらしいです)が、いろんな植物を育ててたみたいで、
それをそのまま引き継ぎました。
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【2012/06/07 17:46】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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