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”お子さん”の歯と学校事情。
吟遊詩人から贈られた歌の最後が

お子(KO)さんをこれからも大切になさってください。

だったので、実家に電話してみました。(←素直)

子供はどっかいってるのか、出なかったけど、おかーはんがでたのでしゃべってたら、

歯医者に行って子供の歯のレントゲンとったら下の歯の5番目の?永久歯がもともとなかったらしい。

(私なんか4本とも親知らずあったのに)

それ見ておかーはんはがっくりきたらしい。なんで?


なので、乳歯で持つだけ持たせて、それが抜けたらインプラントとかいう話が出たそうな。

しかも、永久歯の前歯が生えてきたんだけど下の前歯の内側に重なるようにおさまって猪木状態らしい。

で、なんかしらんけど、歯医者が言うにはそのようにこれからどんどん下あごが発達していって、このままではさらに猪木度があがるとかなんとか。

なので矯正とかなんかそういう話も出てるとか。



丸々半年以上顔も見てないけど、
みーひんうちにえらいことになっとんや~~~。とか思いました。

最初のうち、私は定期的なスカイプ提案してたんですが、一度も実現せず、おかーはんの、日本に来てからすご~~く大きくなったという得意げな話を聞くのみ。


もしかしたら、インドで矯正したほうが、安くてきれいにできるんちゃう?
と電話で言ってみたら、(バンガロールの歯医者の技術は高かった)

おかーはんは、「あの子は今インドに行ってもなじめへんと思う」と拒否感を表明。

いや~、なじめへんわけはないとは思うが~。。。。
人生8年中5年インドやし。

と思ったけど、おかーはん的にはいろいろインドだめポイントが次々浮かぶらしく。

まあ、教育のことで言えばプッタでは誰もが納得できる教育が受けれるとはとても言えない。


今朝もホテルに泊まってたほかの人たちと教育の話してたんですが、
アマチ似のインド人女性は生まれた国のアイデンティティをしっかりさせるのは大事という意見。
彼女は17でアメリカに行ったけど、アメリカのアイデンティティには決してなじまなかった!と誇り高い感じで言っていました。

インド人て、どこにいっても強烈インド人ですよねだいたい。
あ、でも幼少期によその国で育ったらその限りでもないのか。


在インド30年日本人女性は、でも、やっぱり、広いものの見方を身につけるのはいいことだと思う、と、インドでの教育に賛成な感じでした。

バンガロールだったら、すごくいい学校がたっくさんあるみたいですよね。

バンガロールだったら教育は問題ないですよね、と言ってみたら、アマチ似の彼女も日本人女性も「それはもう全然問題ない!」と、即同意。


彼女は娘はアメリカ暮らしなので、年に数ヶ月いつもアメリカで過ごしてるらしく。
なるほどそれでこの流暢な英語なのかなと思いました。

で、日本と、インドと、アメリカなどそれぞれ体験して、インドでの教育はやっぱりいいと思ったようでした。

インド人とか、他の国の人たちは日本に対してすごくいい印象を持ってるし、逆に日本での教育を子供に受けさせたいと思うくらいのものがありますが、

ある種の日本人は日本の閉鎖性には耐えられない気持ちになるんだと思います。

日本はまだそれほどいろんなのを受け入れる土壌ができてないから、日本で学校に行かせるのはちょっと。。。という、
実体験からの感想。

それはよくわかります。

そかしその点、私の子供が行ってる学校は例外的に非常によかったみたいで、
地域的にもど田舎なんだけど逆にそういうとこを好んで住んでる外国人の子供が結構いて、
子供のクラスは20人くらいなんだけど(各学年1クラス)、見た目も西洋人的なフランス人のハーフ?の男の子もクラスメイトにいるみたいで。
各クラス一人くらいはそういう外国人の子供とかハーフの子がいるみたいで。

なので、主名も半分インドアイデンティティでもそんなに問題なく楽しく通ってるみたいです。

私もちょっと教室にいさせてもらったこともあったけど、
子供が質問に答えて自分は、日本語と、英語と、ヒンズー語と、テルグ語ができる、とかいったら(ちょっと誇大。笑)
みんな「お~~~~~!」とかいってどよめいて盛り上がってました。

ヒンズー語とテルグ語がどの程度できるかなんて誰もチェックできないし。笑

給食も菜食で通させてもらってるみたいだし。

非常に恵まれた状況。



なので私も迷うとこで。



ただ、英語の授業はなまじっか少し英会話できるもんだから、みんなの楽しそうなのりに合わせられないのか、ゆいいつ?面白くないみたいで、
英語の授業のある日はぶすっとして帰ってくるといってました。


日本の学校は、面白いだろうな~、と思います。

もうじきプールも始まるし。

日本の学校は物質的にはものすごく恵まれてて夢の世界のようだと、
インドの学校を見たあとでは思います。

特にプッタパルティの学校はひどいの多いから。


最後に通わせてた、名前だけインターナショナルスクールはそれでもプッタの中ではダントツに清潔で洗練されてたんですが、

それでもおかーはんには監獄並みにしか思えないようで。
「あの荒野の中にぽつ~んと建って、、、あれは、、、、」
と、思い出したくもないという口調でした。
(去年インドに来た時に見に行ったことがあった)

まあ、子供はそれでも毎日楽しみにしてそこに通ってはいたんですけど。


あ~~~、オーロビルの素敵な学校(たぶんシュタイナー系)みたいなのがプッタにもあったら最高なのになあ~~~!!!!!

プッタの子供を持つ親(特に外国人)みんなの願い。
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【2012/06/17 02:03】 | 主名日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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