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チェンナイからプッタへ③
なんだっけ、チェンナイの続きでした。

スンダラム(チェンナイにあるサイババアシュラム、と言っていいのかな?)の祭壇の中央に飾られてるサイババの写真は、むかし、実家に飾りたいと思ってたほぼ等身大のサイババの写真のでっかい版でした。

あれはコダイカナルでの写真なのかな?

なんか、自然の中で静かにたたずんでるようなババの写真が気に入って、実家に買って帰ったんだけど、残念ながら飾るの拒否られたので、
知り合いの整体の先生にあげました。

家まで取りに来てくれて喜んでくれてたのでよかったです。

その思い出の写真のでっかい版が、スンダラムに飾られていて、
私はチェンナイってなんか疲れるし、合わないと思ったのですが、意外にシンクロしてるなと思いました。

ちなみに横浜の家も家中でっかいサイババの写真だらけにしてたんですが、
(赤ちゃん連れで大荷物の上に木のパネル張りの写真を何枚もインドから持ち帰ったのでスーツケース50~60キロくらいだった。手荷物は冗談抜きで20キロくらい。1歳未満の赤子とベビーカーもあるので一人では動けないので、そのつど、そこらへんにいる見知らぬ人に助けてもらった。バンガロールの空港の職員優しくて、荷物重量オーバーだったけど「心配しないで、マム」とかいって、そのまま通してくれました。)

6年前にインドに来て、11ヶ月目で一時帰国したら全部処分されてて残念でした。
きっと欲しい人いただろうになと思って。

そうだ、今日も一枚大きいサイババの写真壁に取り付けたんでした。笑

P6193088.jpg


こんなかんじで。スンダラムではこの写真と同じ写真からもビブーティーがでてました。

P6193087.jpg


一応、場のエネルギー調整の感覚でやってるんですが。



スンダラムの本屋に戻ると、買った写真を頑丈にパッキングしてくれました。

プッタでは売ってない、マニアックなヴェーダばかりが収録されたチェンナイ限定CDを発見したので、かなり嬉しくて、在リシケシ10数年のヴェーダマニアの知人(石垣島とかでアシュラム開こうかなとかいってるけど、宿屋になりそうな気がする。笑)が来たら1枚あげようと思って、うきうきしながら2枚買いました。

その中に、おばあちゃん先生が私がチェンナイに来るたびに、「あんたはこれをやれ」「これをやらないかん」と言ってたのもありました。
ようやく名前を覚えられた。
チャトゥルヴェーダパーラーヤナ。
なんかよくわかんないけど、あ、これだ~!と思い出せました。

P6173083_convert_20120620042845.jpg


スンダラムの前で。門の上部にぶらさがってるのは吉祥のマンゴーの葉っぱです。マンゴーの木はホーマムでもよく好んで使われてると思う。

P6173081_convert_20120620042734.jpg


こないだのプログラムでもらったサリーが活躍。実はこの日睡眠時間3時間で少し疲れぎみ。
向うの2階のバルコニーに姿を見せたサイババの姿の記憶があるような気がするんだけど、じっさい見たんだっけ?夢か現実かわかりません。


で、タクシーに乗って、資産家といううわさのRさんちに戻りました。
ご飯食べてってと言われてたので。

お坊さんたちのレクチャーのとこに戻ったら、部屋の外のテラスでホームホーマムの実演を、説明しながらやってました

そのしぐさの意味とか、説明しながらだったのですごい面白かったです。
内容は忘れちゃったけど。

たとえば、最後のアルティの火を、私たちを守ってください、みたいな願いをこめて自分のほうにもってくるしぐさをするとか、そういうのをいちいち説明してくれてました。

基本タミル語なんだけど、ここらへんの人って英語と現地語が半々くらいに入れ替わったりするので、聞いててもなんとなくわかる。

そんで、時々ヴェーダもホーマムとともにみんなで唱えたりしてて、私も一緒に唱えさせてもらって楽しかったです。

で、最後のアルティになって、みんな地面に礼拝して、私もしたんですが、
その後?だったか、聖水がみんなにぶっ掛けられたり、クムクムとかくばられたり、黒いインクが配られたり、甘いプラサードが配られたり、飲むために聖水が配られたりと、
シメに入ったんですが、メインの坊さんに前に来いとか呼ばれて、
きらきらの布を肩にかけられてマンゴーとバナナと葉っぱのプラサードをもらいました。

これって、たぶん、出資者のRさん用だったんじゃ。。。と思ったのですが、
なんか、わたしがプッタパルティから来たというんで、みんなよい刺激になったらしく、シャクティ(女神)がサイババから我々の元に送り込まれてきた、神は我々とともにいる!みたいな話になってました。

これを読んで異論を唱えたい人もいるかもしれませんがこらえてください。笑
とにかく、私が紛れ込んだことが吉兆とされたならよかったと思いました。

こういう、勉強会って、もしかしたら男性のブラーミンだけのもので、女性は普通は紛れ込まないものなんじゃ、、、と、うすうす思ってたのですが、
暖かく歓迎してもらえてよかったです。

その後また同じ屋上のクーラーの効いた部屋にみんな入って、講義は続けられて、
質疑応答みたいな感じになってて、

入っていいものかどうか躊躇して外から覗いてたら、講義してるメインの坊さんが「入れ入れ」というので入って、一番後ろに座らせてもらいました。

前日と前々日に丁度おばあちゃん先生に習ったばかりのナヴァグラハスークタムも話題に上がってたのでドキドキしました。笑

ナバグラハスークタムのかっこいい箇所をお坊さんが唱えてみせてたりもしたので、

さらにドキドキ胸が高鳴った。笑

そういえば、前日、おばあちゃん先生のとこに行ったとき、毎日のサイババ番組が夕方に30分かあるらしいんですけど、この日は2007年のチェンナイでのアティルッドラマハヤグニャについてやってたと言ってました。

この、ホーマム講義の参加者のうち何人かはロシアのヤグニャに行くことになってると聞きました。


というわけで、少しの時間参加しただけだったけど、異常に楽しめたホーマム講座でした。
ちょっと大学の講義みたいなアカデミックなムードでもあったので、こういう大学があったりしたら入って勉強したらめちゃくちゃ楽しいだろうなと思いました。

インドにはあるんですよね、もちろん。
クムバコーナムにもあった。なんだっけ、シャーストリユニバーシティーだったっけ。違ったかも。
たぶん入学できるの男だけだろうけど。

このとき勉強してた人たちはやっぱ、ほとんどチェンナイの人たちだと思うんですけど、
クムバコーナムあたりのお坊さんとかとはやっぱだいぶムードが違いますよね。
一応みんな正装のドーティーを着てたけど、上はワイシャツとかポロシャツの人が多く、
全身坊さんスタイルは30数人中、レクチャーしてた坊さんを含めて8人くらいでした。

なので、みんなどことなくちょっと都会っぽくて、そのまま背広上下に着替えてサラリーマン用のかばんを持って出勤してもあまり違和感がないような感じでした。

いい風にいえば洗練されてて、でもたぶんどちらかというと都会っこ(大阪と神戸の間育ちなので都会のカテゴリーかと。。。)のわたしとしてはもうちょっとこう、暗黒大陸インドの未分化の混沌を携えた、マジカルなものへの希求があり、
クムバコーナムの坊さんたちのボリューム(みんな腹がガネーシャ)と土臭さのほうに、より圧倒されて魅了されてしまうのでした。

しかしそれにしても幸せなひと時でした。

神に感謝です。


その後、敷地内のなんというのか、屋根つきの広々した地面のスペースで食事が振舞われ、私はほとんど最初に配ってもらったんですけど食べるのが遅いから最後まで食べてました。

みんな食べるの早いですよね。。。

食事は南インド式のいろんな種類のご飯とおかずと、デザートでした。

資産家のRさんが率先して給仕していました。
なるほど彼は来世があったとしても間違いなく資産家なことだろうよと思いました。
彼らは完全にわかってやってるんですよね。

そうだ、Rさんの自宅のプージャルームにも入らせてもらいましたが、
さすがに調度品とかいちいち豪華で、
神像も、いろんなパターンのガネーシャが1ダースくらいと、ハスタラクシュミー(8種類のラクシュミー)と、ダサアバターといってたっけ?ダス?ダサ?
つまり、ヴィシュヌの10の化身の像があったりしました。

下品になるかと思って聞かなかったんだけど、たぶん全部パンチャローハ。笑

ヴィシュヌの10の化身の像は、ヴィシュヌが亀として来たときのとか、パンチャ神像でそんなの見たことなかったから珍しいと思って面白く拝見しました。

カーマデ-ヌ(願望成就の聖牛)と、カルパヴィリクシャ(願望成就の樹)までありました!
この2つはセットとして祭ってありました。

さすが資産家。笑

でもそういう面白みはともかく、プージャルームに入ったら明らかにバイブレーションが違って、さすがの私でも、うお?と、感じたという。

で、ババの写真は横のほうに飾ってあったんですが、
この写真を飾りだしてから、このプージャルームにペンダントヘッドがどこからともなく物質化されて現れたらしいです。祭壇のとこに。

2つ。

黄色いお米入りの器の中にそれは大事におかれてました。
見せてもらったらシルバーのペンダントヘッドで、サイババの肖像が掘り込まれてありました。

触りたかったけど、こらえました。


そんな感じで、すごく面白い訪問になりました。



待たせてあったタクシー(6時間900ルピー、、約1350円くらい?でキープしてあった)に乗り込んで、空港に行きました。

空港へは飛行機が飛ぶ2時間前くらいについて、国内線なので別にそんなにすることもなく、
待合ロビーでいったん座ったのですが、
マッサージを発見!

そういうのを見たら、あ、自分すごく疲れてる、という感じがしてきたので
2人がかりで30分コースをやってもらいました。

なんかモンゴロイド系の男女がしてくれて、ネパール?わかんないですけど。
繊細で、よく訓練されてる感じでよかったです。

上半身とフットマッサージ同時進行で30分1500ルピーくらい。
プッタの相場の3倍くらいですが、
自分にとっては新しい、さまざまな技が繰り広げられて面白かったです。

ストレッチみたいに腕を背中に回されたときは、
普段全然運動してないしどこの筋も伸ばしてなくて実年齢38だけど肉体年齢42なので、
「いて、いててててててっ!」
と、思わず日本語で言ったらマッサージのお姉さん笑ってました。

外に出たらすでにファイナルコールで私の名前が放送されててまたもや最後の3人のうちの一人になったという。

マッサージの効果なのかなんなのか、離陸とともに熟睡して、次に起きたら着陸態勢でした。

スーツケース出てくるターンテーブルのとこで、またもやアマチ似の4人家族の人たちに会いました。(SAWAKOさ~ん!)

同じ便だったのかも。


ものすごく清潔できれいになった夢のようなバンガロール空港でレモンティーを飲んで一息ついて、予約してたタクシーに乗って、プッタに戻りました。

バンガロール空港を出ても道の両側は植物がすごくきれいでかわいく植えられてて、植物園の中を走ってるようだというといいすぎでしょうか?


でも、こういうとこにこれだけ気持ちとお金を使って、バンガロールは素敵なとこだなと思えました。


タクシーの後部座席で横になって一眠りして起きたらもうプッタ手前でした。

P6193085_convert_20120620042944.jpg


今日の昼ごはん。ラギボール?(おにぎりみたいな)に、サンバル(辛い味噌汁みたいな)をかけたやつ。10ルピー(15円くらい)なり。

実は10ルピーでこのラギボールおにぎりもう一個(合計3つ)と、チャツネ(ココナツのおかずたれみたいなの)もついてたんですが、
いっぺんに2個食べたらもうおなかいっぱいなので、もう一個はチャツネと一緒におやつの時間に食べました。笑

これはアシュラムの芝生のとこの場店で売ってるんですが、最近の新メニューで、結構ヒット商品。
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テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2012/06/20 05:13】 | チェンナイ | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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