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明晰でいられる場
少し前から自分にしてはあまり食欲がなくて、食べれない感じなんですが、

今朝はサウスでウプマは少なめに入れてもらって、食べきれました。

昼はやっぱり食べる気がしなくて、昨日の午後のプログラムでもらったプラサードの練乳を固めたみたいなお菓子と、ブドウジュースと、デーツ(ナツメヤシの実)を食べました。

暑いわけでもないし、、胃腸とか、肝臓とかが疲れてるのかな?と思って、
久しぶりにLiv52DS(肝臓の特効薬)とか、他のサプリをいくつか飲んでみたりしました。


まあでも、食べないと体は軽いし、精神もいつもよりかは(笑)明晰になるし、いいんですよね。



なにか、すごく緊張感を感じるんですけど、私の空気なのか世界の空気なのか。同じことか。



わたしはわりかしスッキリして葛藤みたいなものはあまりない感じ。




あまり出歩かずに家にいる時間がここ数日増えたので、それだけでも何かいい感じです。




前のアパートの部屋は風水がすごくよかったので執着してたのですが、(今もその部屋キープしてますが)
すごく守られてる感じの部屋で。
そこにいれば死ぬまで大丈夫とか思えました。

小さな部屋だけど、死ぬまでここにいてもいいと思ったりもした。

そういう守られ方の部屋でした。

まあ、老朽化とかはもちろんあるんですが。




それが去年ババがなくなって、世界中から群衆が押し寄せることが予想されたので、
アシュラムに入れなくなりそうだったので、
アシュラムの中に部屋を取って、アシュラムの中に泊まりました。

おかげでババの遺体のとこにも9回も行って、座ってバジャンまで歌えて、(インターナショナルバジャングループとかキャンティーングループで)ほんと、精一杯やって思い残すことないって感じで、

そうそう、葬式も出れたし。。。


それは本当によかったと思います。




で、騒ぎも落ち着いた頃に、アシュラムの部屋を引き払って、
そのままもとの部屋には戻らずに、新しいアパートの新しい部屋に行ったんですよね。

そういう強烈なきっかけでもないと出れないくらい愛着が深い部屋だったので。



今の部屋は広いし、明るくて、周りに人がいなくてさびしい代わりにプライバシーも守られるからいいです。

前の部屋は強固に完璧に守られた部屋という感じがしてましたが、まるで洞窟のような。
今のとこはあけっぴろげで、天に向けて開かれているような印象があります。



何を書こうと思ったのかな?




ああ、そうか、この部屋にいるとオープンで明晰な感じがあるのでそれはいいなと思います。

場所の影響って、すごく大きいなと思います。




同じ出来事でも、どこにいるかで感じ方って変わってくるし、自然、その意味合いも変わってくるんだろうなと。




より明晰に物事を見れるように、なるべく自分をよい場においておこうと思います。




あ、そうだ、今朝は5時前に起きてウエスタンキャンティーンの祭壇掃除に行きました。
明日の掃除とセッティングを一人でするのを頼まれたので、
手順を思い出すために今朝も行って参加しておいた。

今朝は1時間睡眠でおきて行ったので、午後も用事があったし、朝バジャンはパスして部屋に寝に戻ったのですが、
結局ほとんど寝れないまま夕方になりました。


明日寝坊したらまずいので、今日は早く寝ようと思います。



アシュラムで何かプログラムやってる音楽の音が聞こえるので、行ってきます。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/08/11 21:10】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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