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広がる空と雲、そして雲の向こうにあるもの。
昨日、バジャンが終わってからまた芝生の向こうの更地みたいなとこで景色とか眺めてました。
いろんな鳥が西から東へと次々に飛んでいっていました。
ねぐらがその方向なのか。

サギだけが東のほうに留まっているようでした。

座ってるのも飽きたのでねころがって上を見てたら、背中に大地が、前面には薄く広がる雲があって、その2つの間でサンドイッチになってるような感じでした。

大地が背中に来て足元は開いているので空中に浮かんでとまってるような変な気持ちになりました。


そこは広~く開けてて、周りも木の高さの木?しかないので空がすごく広く広がってるのです。


寝転がってると、薄く広がる雲が大地に沿って膜のように地球を覆ってる様子がよくわかりました。

大地とそれをぴったり覆う雲の間の、本当に薄っぺらい隙間にすべてが存在してるんだなと思いました。

ゆで卵と薄皮の間みたいな。



薄い雲が広がっていたのですが、寝転がって真正面、つまりまっすぐ上の雲の向こうからカラスが鳴く声が何度もきこえました。


最初、雲の向こうにカラスがいるのか、と思いましたが、そんなことは無いだろうと考え直しました。
それはありえないことだと気がついたのですが、

なぜなら飛びながら鳴いてる声じゃなくて、とまって鳴いてる声が雲の向こう側からしていたので。



何らかの作用でそのように聞こえたんだと思いますが、




ふと、横浜にいたときのことを思い出しました。



まだ子供も生まれる前、



体外離脱仲間の知人から、宇宙人からメッセージを伝えてくれといわれたとか言われたことがあって、

それは何かというと、

「何月何日の何時に山下公園で待ってます」。。。って。爆



で、その時間に山下公園に行く私も私なんだけど、



なんか、山下公園の端っこにはインドっぽいよくわからない屋根つきのものがあるので、
そこを9回とか回ってみて、

そんで、しばらくそこらへんをぶらぶら歩いてみたんだけど、


そしたら3~5メートルくらいの大きさの小さな白い雲が地面すれすれまで降りてきました。

公園に生えてる木と同じくらいの高さまで。



?と思ったけど、だから何ってわけでもなくて、

見渡してみても、公園にまばらにいる人たちも、誰一人その小さな白い雲のことを気にしている人も無く。



そのうちベンチに寝転がってそのまま気持ちよく寝込みました。

時間は夕方か夜。





ふと目を覚ますと、目の前に広がる空。


空一面を薄く覆っていたうろこ雲のような雲が、自分の上だけ丸くぽっかりなくなっていました。



そこだけ丸くきれいに開いた空。そこを中心に、ある見えない境界から渦を巻くように薄く広がる雲。


その丸くあいた夜空の空間の優しい闇を通して、沈黙の向こう側から、すごく純粋に何か祈りのようなものが伝わってくるものを感じました。

確かにそこでは何かの出会いがあったのかもしれません。




漫画のような衝撃的な未知との遭遇は無く、その日はそれで家に帰りました。





それを、昨日寝転がって空を見てたらふと思い出しました。





ちなみに近くに道があって結構人が通るんですけど。笑

気にはならないです。わたしのほうは。



夕暮れになったので倉庫のほうを通って歩いていったらやっぱり 前日と同じところにちっさいふくろうがいました。

いつもここにたのか~。




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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/08/13 21:09】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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