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もう昨日になったけど。
少し前に子供が夢に出て来てたので、電話しようしようと思いつつ、今日(というかすでに昨日だけど)電話してしゃべりました。

前回電話したときに、今、も、これからも、主名の友達や知り合いが続々とプッタパルティに来てたので、そういうことをいったら

「ふ~ん。。。。。」と、詰まらなさそうな、不満そうな反応だったんですがいつも。

やっぱり日本では全国にいろんなとこに住んでるので、こっちでしか会えないような友達というか、ここでだけ会ってる友達とかたくさんいるので。

そういう日本人の子供とか、大人でも知り合いが来たらいつも大喜びだったので。



夏休みに来れたらよかったな、とわたしがいうと、

「でも、お金が足りない。。。」とか、「夏休みの宿題がある。。。」
とか返事するので、

うわ~、なんか日本にはまってるなーってかんじがして。この、何やかんや理由をつける心理ブロック?

お金がどうのとかいうのは私の母が「あんたも、そんなしょっちゅう日本に帰ってくるとか考えずに(そんなんにお金使うぐらいなら子供の歯の矯正に使えということらしい)」とかいろいろ私に対して言うのを聞いてたり、
そういうので得た認識というか洗脳。。。なんだと思うんですが、


まあ、日本的な?価値観というか。

私とは優先順位が違うというか。



「もし来たかったら来たらいいんやで。お金は出したげるし、宿題もこっちの学校にいくんやったら別にせんでもいいやん」

とかいってみて、

でも、さすがに一人じゃこれないので、

「一人じゃ無理やな~」ってかんじで。



今日も、「もうちょっと飛行機代安かったらいいのになぁ」とか分別くさいこというので、

だ~か~ら~、

「お金は問題じゃないから、来たかったら来たらいいんやで。出したげるから。どうする?」

とかいってて、

子供は「え~、どうしよ~かな~~~」
とかいってて、本気でちょっと来たそうだったんですが。
声の感じで。こっちにはこっちの友達の子供たちもいるので。


まあでも私もそういったものの、実際今は今となってはタイミング的にちょっと無理っぽくて、夏休みにこっちに来てたら子供も楽しかっただろうにとは思うのですが。


「でも、日本のほうがまだ面白いんやろ?新しいことばっかりやし」
とかいってみると、

「う~ん。。。」
とかいってて、まあ、ヒマはヒマみたいです。

電話してもいつも大体ドラえもんのマンガ読んでる。



今日、「なんか言いたいことある?」と聞いたら、何やかんや話すんですが、
今私がどこにいるか聞いてきたので「プッタパルティやで」といったら
「え~~~!」
とかいって、(前はラーメーシュワラムから電話したからか?)


同じアパート?引っ越してない?とかいうので「同じとこやで。○○の上」と言ったら
「知ってる」と答えるんですが、ほかにも何やかんやインドの近所のことを話して、
そしたらビジュアル化して思い浮かんだらしい。

なんか、夢を見たらしいです。
アパートに行こうとするんだけど、道がわからなくて、いくら歩き回ってもたどり着けなかったらしい。

日本のムードになってるしなー、こっちの雰囲気も忘れてきてるんだろうと思いましたが、

自分のおもちゃはまだあるかと聞いてきて、(いつも聞いてくる)
ちゃんと置いてあるというと安心するんですが、


で、今日は、さらに、歯医者に中学生くらいまで通わないかん、という理由まで出てきました。

これも母がそう子供に説明してるんだろうと思いますが。
子供はとにかく信じやすいので。
それが事実と思うんですよね。

子供が、受け売りだと思いますが
「日本の歯医者さんのほうがいいから」
とかいうので、

「そうでもないで。インドの歯医者さんのほうがいいで。みんなアメリカで勉強して帰ってきてるから」
と私が言うと「え~~~!?」とかいうので、

「もしほんまにインドに来たいんやったら、日本の歯医者さんに、インドの歯医者さんに手紙を書いてもらったらインドの歯医者さんで続きしてもらえるから。問題ないで。」
と、説明しました。

実際、少し前に通ってたバンガロールの歯医者とかは平均的な日本の歯医者よりよっぽど腕も技術もいいと思います。
日本で今まで10件以上歯医者に通った私が言いますけど。


なので、母から子供の歯の矯正を歯医者で「今やるのがいちばんいい」とすすめられてると聞いたときも、
もしかしたら10月くらいにインドにまた連れて行くかもしれんから、ということで保留にしてたんですが、
インドの歯医者のほうが上手で安いかもしれんし、と、私が言って。

母は、でもどうにもこらえられんかったようで、矯正のための検査に続いて何か作りはじめたようです。
支払いは分割で、だって。
その入れ歯みたいなのが出来上がるのは2ヵ月後らしい。

で、作るといったら歯医者がすごい嬉しそうだったとよい知らせのように晴れやかな感じでいっていた。


うちの母は子供を中学卒業くらいまでは日本にいさせると最初っから心に決めてるみたいで、
まだ、どうなるかわからないと私はずっと言っていたんですが、

子供にはそう言い聞かせてるようで、子供も誰かに聞かれたら「中学生までは日本にいる」と答えるようになってたみたいで。

ほんとは去年子供を置いて私だけインドに戻ったときに、3月にはまた来るからと子供には言ってて、
子供も、それやったらいい、ってかんじで日本に残ったんですが、

私は3月には日本にいけなくて、

6月にも行くといってたんですけどやっぱり予定が変わって行けなくて、
子供は8月の夏休みにはインドに行くといってたんですがそれも来れなくて。


結局丸々8ヶ月お互いの顔も見てない状態。
私は時々スカイプ提案してるんですけど実現せず。


母としては子供に日本の生活に集中させて、適応させたい気持ちもあるんだと思いますが。

最初のうちは私としゃべるとインドへの里心がつくから?よくわからないけど、なんか電話もろくにしてませんでした。

まあそんなこんなで8ヶ月ですっかり日本にがんじがらめになった子供。

インドに来ない理由に「まだ日本語ももうちょっと。。。」とかも言っていたので、
「ああ、もうちょっと日本語しっかりやりたいんやな?」
と私が言ったら子供は「う~ん。。。」とまた煮え切らない返事だったので、
これも母の「日本にいなければいけない」という洗脳の受け売りかな。。。よーわからんけど。


私が去年日本を離れたときに比べると見事に実体の無いさまざまな心理的ブロックが主名の中にできてたので、

「お金は出したげるから問題ないし、学校はこっちのに通ったらいいし、歯医者はこっちの歯医者で続きができるし、来ることには何にも問題はないんやで。でもあんたが日本がいいんやったら日本におったらいいし、
インドに来たかったら来たらいいし、あんたがどうしたいかや。どうする?」

と聞いたら
「じゃあ。。。あと1年ぐらい日本にいようかな。新しいウルトラマンも始まるし。」

との返事。


まあ、分別のある、賢明な選択でしょうね。


それを聞いて私は正直肩の荷が下りたような気がしました。


去年わたしが子供をとりあえず3ヶ月のつもりでなすすべもなく日本においてインドに戻ったすぐあとに母と電話したらなぜか
「あんたも早めに子離れしたと思わないかんで」
とか言われて、まあ、母は日本に前から子供を居させたかったようなので、と言うのは学校とか日本語とかの心配で。

子供がインドに戻れなくなったときには母は内心、望み通りになったという感じもあったかと思うんですが、

で、インドに戻ってももう子供はインドには合わないと思うとかそんなことも言い出して。


私としては子供はすでにインド暮らしのほうが長いし、(8年中ほぼ6年インド)

合わないことも無いだろうし、日本の感覚からしたらインドでは教育が受けられないと思うみたいだけど、
そんなこともないので、まあ、日本の小学校よりそうとうシリアスな雰囲気ではあるけど。授業とか。

インドというかプッタパルティに居るときの方が子供は存在感があって輝いてる感じなので、
まずはそういう感じが私は何より大事だと思うので、

そのほかのことは自分の中で優先順位があとなので、

何はともかく、子供のためにはプッタパルティに居させるのが一番いいことだと思ってきました。



なので出来るだけのことをしてきたのですが、
そしてそのことについては迷いは無かった。


でも、その人の魂にとってどこにいて何をしてる、どういう状態で居ることが一番その人の光が透明に輝いているかというような私の見るところの優先順位の迷いのなさと、

その人の顕在意識が何に興味があってどのようなものを選んでどのような状況に自分を置きたがるか、
ということがここ何年、特に身近なとこでは一致しないことが続きました。

そうなると、いちおう止めたりとか勧めたりとかしてみるんですが、
最終的にその人がそう決めて選んだんだったら「そうですか」と言うしかないという。


悩ましいのは、たぶん私がそういう迷いのなさを持っているから、
周囲の身近な人たちというのは私と関わってるという時点でいわば私に巻き込まれたような形になっていて、

したがって彼らの決断もすっきり独立して、というのではなく、私以外のいろんな要素に巻き込まれつつ、そのようにほかに巻き込まれた結果として私から離れるという形なので、
身近な人たちの輝きと透明度がさらに上がることを望んでいた私としてはそれが残念ではありました。


でもみんな、他に自分を巻き込ませて輝きを落としてでも離れる必要があって、それぞれの犠牲をはらって離れてくれたと言えないこともないのかもしれないです。

その結果私は自由になり、

サポートし続けられなかった残念さや、充分役割を果たせなかったなどの自責の念などが解けて消えてしまうと後には
重荷のない自分が居ます。
(充分輝きが定着して、それを見届けるような役割を果たせたらどちらにしろ、やはり重荷ではなくなったと思います。私としてはこちらの重荷のはずし方を望んでいた)

そして彼らが、たとえいろんなものに自分を巻き込ませた結果だとしても、やはり彼ら自ら決断をした時点で私はそれ以上は深入り出来ない領域へと分かたれたんだと思います。


でもそのような選択をした子供や、縁のあったほかの人たちは別の現実に引き込まれたけど、
私に対しても本当はもっと巧妙に、エゴに直面しないでいられる方法で、エゴを刺激しない眠らされたままの状態で私のほうにうまく引き込んで欲しいと思う気持ちがどこかであったのかもしれません。

でもその点に関しては私は無力で、
たくさんの長さの違うロープに地上につなぎとめられた気球のように、

ほかのロープがどれほど長くても、一番長さの短いロープが気球の上がる高さを決めてしまう。


そしてプッタパルティに来るということは一時的にしろいったんすべてのロープをはずす必要があるということは、
ここにきたことがある人ならなんとなく感じるのではないかと思うのですが、


そして飛べることを知った気球は自分がその目的のために作られたことを体感して知ることができるのですが、


再びいつしかまた地上に降りたときにはまた長さの違ういくつものロープが取り付けられ、



気球は自分が作られた目的に意識を置くのではなく、
むしろ飛んでいかないようにロープを大事して依存する。


時には短すぎるロープは窮屈だとしてはずしてより長いロープにつながれていることに満足したりすることもあるけれど、

そうしてどのようにつながってバランスをとるかにすべての興味を注ぐ。




大空で風に吹かれて広がりとひとつになり、作られた目的、、、そのようにあることそれそのものを楽しむことを体現するときはいつ?



でもきっといつかそれぞれがそれぞれのタイミングで自らを解き放つのだろうと思います。



気球が気球であるためには空にあるときと地上にあるときのどちらも必要なんだけれども、

いったん大空へ浮かび上がってそれを体感したならば、大空にあるときも地上にいるときもどっちにあるときもその作られた目的は「このためだったのか!」と体感として忘れられないものになるはずだと思います。




なにが優先なのかということはそういうことだと思います。

大空とひとつであることが気球の根本的なアイデンティティであるということ。




ここは、それを体感させてくれる場所のひとつなのでした。



そしてここでの体験は決して非現実的なものではなく、ここでの意識状態も幼稚で未熟なものでもない。

地上の複雑さこそが不思議なもので、それがあることは必然だけれども、大地の上の気球が大空の中に浮かぶ気球を幼稚で低能な状態としてあざ笑い、地上との調和がなくて唐突過ぎると否定するのはおかしなこと。

何のために作られているのか、
それはもともと大空を楽しむために作られている。


それさえ覚えているならば、地上にいるときの意義や楽しみもあるというもの。



地上にいるときも私たちは大空の体感を分かち合える。


そのとき地上も空の一部となる。



わたしは、わたしたちはそのように大空をまとって地上を歩くものでありたい。



地上のすべてに空はしみこんでいて、地上のすべては大空の中にいだかれて存在しているから。





まあでも、いろんな母からの意識ブロックを一つ一つ私が無効にした後に、そういうふうに、インドに来るのなら何も問題ないのだけど、子ども自身がどうしたいのか聞いたら、子供はそういう風に、あと1年くらいは日本にいようかなと言って、

それには現時点での子供の本心を聞いた気がしたので、
了承して、

もしもっと大きくなってインドとかほかの国に行きたくなったら来たらいいやん、とかいう話をして、


子供もなんとなくホッとしたような感じがしました。



そして私も何か責務から開放されたような気がしたのでした。



私は子供に対する執着がもてないことはわかっていたので、自分でもそれが心配で、

それは自分の性質としては仕方なく、子供が赤ちゃんのときにもよく、子供が次の瞬間死ぬとかそういうシュミレーションをしてました。執着してないかチェックするために。

で、子供といてもいつもいない状態の自分を思っていました。

子供にとっては、知らないとはいえ迷惑な話だと思いますが。笑

ということは執着してたんだと思いますが。

だから執着ではない部分での本質的なとこの共鳴度を上げることをいつも心がけていて、それで、あまり他からの干渉やバイブレーションは自分と子供の間に入れないようにしていました。


子供を中心にして愛情をかける執着の形ではなく、義務や責務の形で私は子供からの縛りを感じていました。
しかしそれは私の個人性を強化するのには都合がよく、
苦しいながらもその縛りに支えられて安楽でした。


去年子供とはなれてからはその責務への私の執着が自分を苦しめていた面もあったかもしれません。

本当にその責任感を手放していいものかどうか、なかなか見極められなかった。



私は人間関係においてそういうものを自分で勝手に背負ってることがあるいは多かったのかもしれません。



元だんにしろ、ほかの人にしろ。



それは自分にとっては時には何らかの責任やサポートを依頼されて受け入れた形であったかもしれないけど、
それは変化していっていつしかとどこおりなく開放される種類のもので。



タイミングを見きわめないと、奉仕の状態であったはずのものが力関係によって執着とコントロールへと変質してしまうことは容易なので。



奉仕は相手に与えることで自分が満たされるタントラ修行ですから、いつかその関係は終わるときが来る。


そしてその後は他人の姿をした自分自身に奉仕する軽やかな、純粋な喜びのみの世界がもたらされる。




あとで母に電話が戻って、
母はなんだかんだいって、私の手から離れた孫の世話を一手に引き受けてることで、ものすごい張り切ってて生きがいというか、張り合いになってると思うのですが、

いつも主名の世話についてや彼の状態や状況について誇るのですが、
たとえばインドにいたときは栄養失調だったけど日本に来てからすご~く大きくなったとか。笑

今まではそのように私に対する負けん気みたいなものがあったように思うのですが、

子供と話して子供が当分日本にいようかなと言って、私がそれを了承して元気付ける会話をした後、

母の様子も少し変わって、



弟たち(私の)が主名の相手をしてくれたりしてるのでよかった、自分だけでは無理、とか、

主名がおじいさん(私の父)をおちょくるので笑えるとか、

シュナがガナパティプラールタナのヴェーダチャンティングを私(私の母)に教えてやるとかいうので逃げ回ってることとか、

シュナは面白いわ、ということを素直に気負いなく(私への虚勢や負けん気でなく)話していたように感じました。



私が場合によっては子供をまたインドにつれて行く気がある(というか最初からずっとそうだったのですが)ことに対する警戒心が解けたような感じでした。


そういう警戒心や反発心は母はわたしに対してずっと持っていて、

子供のころから
「あんたは私の母親や」
と、わけのわからないことを言われてたのですが、

何かしら悔しい気持ちが深いところに、おそらく過去生から連綿と続いていたんだろうと思います。



だからほかの人に対しては私はある種の誇れる看板としての子供だったのでしょうけど、
母は愛情が自分から私に一方通行だと感じていてしかも否定されないにしろ母が心の底で尊重して欲しいと思っていた人格というかありのままのすがたを私から尊重されない思いで恨みもあったかと思います。


とはいってもありのままの姿ではなく母は献身的な母親としての姿に完全に没入してたので
子供の私には提示されたそのような母親像を受け入れるしかなく。


それは私の存在に対してある意味全面的に依存して自分を失っていた母と、そのように持ち上げられ、ある種のワンダーチャイルドとしてまるでSAWAKO教の教祖のように世話されていた私のカルマであり、ひとつの2元的な執着により維持されていた関係性だったのだと思います。

(今、日本でも霊的な子供たちに依存する献身的な母親も多く、それ自体良いとか悪いとかではなくて、私の場合もそういう家庭レベルのカルトを経てきたということです。よくあることだと思う。)


母は母として私は子供として完全にその役割を演じていたかもしれないけれど、


約17年前にともにインドに来たときに、サイババというより包括する場の中ではその役割によるくびきがゆるんではずされ、

そのとき役割としての母は母としての2元に基づく奉仕修行を終え、私も子供としての私として母を守るという責務を終えました。
(多くの子供たちは世話されることで親や関係者をその意識の中で守っている)



その後は魂に刻まれたいびつさや滞りがそれぞれのペースで修正され続けてきたんだろうと思います。


母が主名の世話に執着して、主名もそれを心地いいと感じているならばそれはそこにやはりやり残されたものがあるんだろうと思います。


主名は私とずっと一緒にいることでやけに独立した子供になりましたが、
というのは何もかも自分でやらせていたので。
時にはお使いとかはもちろん、足を踏んでもらったり、私の用事もたくさんやらせていた。
その代わりといえるかどうかわからないけど、いつも一緒にいて勉強やヴェーダを仕込んだりしていた。

母は逆にすごく世話を焼く人なので、そういう風に、いかにも子供として何もかも世話を焼かれることも時には魂の安楽やバランスのためには必要なのかなと思います。

母は母で、主名のような独立した子供の世話はしたことがないはずなので、
5人の子供を育てたといえ、同じようにはいかず、

私を含め弟4人をたたいたりしたことはなかったですが、
思い通りにならない主名にはそっこーキレて手とか叩いてました。笑



ということで、主名と母の間にも解消されるのを待っていた魂の縁というか滞り、遣り残されたことがあり、今彼らはそのチャンスを得たのだろうと思います。




縁やカルマは無数にあるので、何もすべてをたどっていく必要もないとは思いますが、
カルマも人生を彩る持ち駒のようなものなので、

そのカルマは苦しみやわずらわしいことに味つけされて甘さを増した地上の楽しみなのだろうと思います。



この強い中毒性の味の現実を味わってるときには天界の軽やかな味は現実味がもてないので、
ひたすら「待ち」ですね。



そうしてわたしもどこかで待たれているのかな?

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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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