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たぶん絶食終了
丸3日間、液体食でしたが、今朝もココナツをのみにアシュラムに行きました。

2個はちょっと多いかもと思ったんですが、1個ずつ飲んで
2個目にもらったのが小さかったので思わずそういったらおまけでもう一個くれてしまったので3個飲みました。

人間はココナツウォーターだけで生きられそう、と、思いました。



普段そういうサービスはしてないのですが、今日は人からの頼まれごと的にアシュラムに寄付しに行ったので、ついでに自分もいくらかしておきました。



今日はたぶんインドでは満月。

たぶんそういうことするにもいい日だろうと思って。



ココナツ飲んだあと、とても気分が良かったので、静かなところにいきたくて、
池のある小さな庭のような裏手のとこに行きました。


何人か先客がいて、ベンチに横になって寝てる人もいたので、

私もベンチに横になって寝るの好きなので、そのようにしました。


ここならセバダルも「サイラムマダム」と近寄ってこないと思って。


好きなだけ横になってぼうっとして木とか眺めていました。



絶食状態はとても気持ちよくて、それに少し執着し始めている自分もいた。


このまま1ヶ月でも飲み物だけで過ごしたらいいだろうなあとか思い始めていました。

時間もできるし、体も楽だし。

思考もクリアーになるし。


食べないということは、世俗から離れるのとほとんど同じみたいな気がしました。


バイブレーションが違ってくるようで。確実に。




これ、このまま続けたらどうなるのかなあとか思ってました。


きっかけは下痢ですが、すでに下痢で食べてないわけではない自覚はあって、


元の重たい世界に戻りたくなくなっていた。



横になって頭上にやさしく揺れる木の緑を見て、鳥の声を聞きながらいろんなことを考えるともなく考えていて、


自分の思考の外からいくつもの新鮮な情報が唐突にフラッシュのようにもたらされたりしていた。




それらを気持ちの良い風とともに楽しんでいて、どれくらい時間がたったのだろう。


その瞬間何を考えていたのか、いなかったのかもわからないけれど、


ふと、思い出したように、もどろう、という思いがごく自然にもたらされた。



それはあまりにも自然だったので何も抵抗したいものはなく、

とりあえず食べ始めよう、と思って、ウエスタンキャンティーンに行ってみた。



ずいぶん時間が過ぎたように思っていたので、
もうキャンティーンはしまっているだろうと予想して行ったのだけれど、

驚いたことに予想に反してまだオープン前で、早く来た人々が入り口の近くに座って待っていた。



ずいぶん長い間、ああして横になって時間を過ごしていたように思っていたけれど、
それほど長い時間ではなかったんだな、と思って、

私も少しはなれたところでキャンティーンが開くのを待っていた。


じきに扉が開き、人々が招き入れられ、

その流れの最後尾について私も中に入った。


美しく飾られた祭壇を囲んで食前の祈りが全員で唱えられ、

「すべての世界のすべてのものが幸せでありますように」とのマントラが全員で静かに3回唱えられたあと、

スタッフはそれぞれの持ち場につき、

食事に来た人たちは順番にトレーに好みのメニューを選んでいった。



わたしは食べれるものがあるか先に並んでいる料理のメニューを眺めてみると、

昨日食べたかったマッシュポテトがこれも予想に反してまだ残っていたので

20個ほどの山にされている中の一番小さなものを選んでトレーに乗せてもらい、

スープを見るとおいしそうなパンプキンポタージュだったのでこちらも半分の量をよそってもらった。



よそってくれたのは以前少しチャンティングを練習しに来ていたドイツ人女性で、
笑顔でスープをよそってくれ、わたしも何一つ波のないようなまだ遠いところからの笑顔で答えた。


テーブルに着き、食べた透明ではないスープはとてもおいしかった。

マッシュポテトは昨日のものの温めなおしなので、できたてのふわふわというわけではなかったけれど、

そして数口食べると、食べ物の世界に戻りたくない嫌悪感のようなものが瞬間的に起こって、

自分と食べ物を混ぜることに少し躊躇があったけれど、

かまわず少しずつ口に運んでいるとそのうちそんな感覚も薄れてきた。

少しずつずっと食べ続け、

食べ物を食べる世界に戻ることはそうでないあちらからの降下を意味して少しさびしいような気もしないでもなく、

周囲の人々との境目が少量の一口ごとに薄らいでいき、
そのうち私は人々の中にいた。


少しはなれたところで知り合いの女性が別の女性に腹を立てられて軽く言葉で言い合っている様子が見られました。

どうしてそんな風になってしまうのかあるいみ奇跡としか思えない。

一部始終を見ていたけれど、ほんの小さなことがどんどん大きくなって。
そのような結果になるほうが私にはむしろ不可能と思えた、ことが起こっていた。

世界は不思議だ、と思いました。


水も飲んだらもうおなかいっぱいになったので、立ち上がり、

食べ終わった食器をかたづけて、そこにいる担当の係りのインド人と笑顔で挨拶を交わすとき、私は既にそこにいました。

彼女の笑顔の波に包まれてそれを感じていた。

そしておそらく彼女もそれを感じていた。




何をどう考えたらいいのかわからないまま、考える必要があるのかどうかもわからないまま、
キャンティーンから外の光の中に出て、歩きだしました。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/08/31 19:14】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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