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アシュラムで父待ち。
今日の朝のサイクルワントホールでのプログラムは11時からでした。

たぶんその前に屋内のスタジアムで卒業式やってたんじゃないのかな。


12時半くらいに行ったらまだサイクルワントホールでやってて、
入ったらババの過去映像が流れてました。

たくさん人がいて、ババの映像が流れていたらホントにその場にいるみたいで、なんとなく胸が暖かくなりました。

過去の、卒業式の日にしたスピーチの映像だったみたいで、社会に奉仕しなさい、とか言っていました。
それが人としてのつとめです、みたいな。

にこっと笑って手を振るのを見ると、チャーミングだなと思いました。


社会奉仕はインドの霊性の道とは切っても切り離せない王道だと思うんだけど、
社会に奉仕するだけでなく、動植物鉱物、あらゆる要素の面倒を見る責任が人間にはあるんだろうなと思いました。

人は万物の長というけど、それは万物に責任があって、万物の安寧のために奉仕する必要があるということなんだろうと思います。

けっして、万物を自分の好きなように使ってもいいというわけではない。



サイババはまるで王のように暮らしたけど、それは彼が万物に自分をささげつくしていたからなんだろうなと思います。



なんかみんな起立して、インドの歌みたいなのを歌って、その後ブラスバンドが帰って行ったりしてました。



さっさとホールを後にしたのだけど、ウエスタンキャンティーンにいって、昨日面白かったので今日もサービングセバに行きました。

でも今日はラインが1本だったのでサービングあまり気味で、あんまり意味ないかな~と思ったんだけど、一応最後までいました。

いまだにぺらぺら話しかけられたら何いってるのかわからないのだけど、適当に対処できるようになったので、6年の滞在は短くなかったと思います。

食べに来た西洋人の若い女性で、背がかなり高いんだけど、ウエストがめっちゃくちゃ細い人がいて、3~4回まじまじと見てしまった。

40センチくらいしかないんじゃないかな。

厚さも15センチくらいなかんじ。
内臓が何個か無いのかなと思った。

でも他の部位能での太さとかは細いは細いけど普通な感じで、いったいどーなってんだーと思いました。
純粋にファッショナブルな感じでウエストが細かったのだけど、頭に「?」がたくさん浮かんだ。



後30分くらいで予定では父がアシュラムに到着するはずなので芝生のとこで父待ちしてるのですが、
今回も何かちょっと演奏してくれみたいな依頼を受けてきたのだけど(じゃないとこようとしない)

譜面を忘れたとかで、
弟が私のメールアドレスに譜面を送ってきた。
なのであとで印刷しに行かないといけないのだけど、
一人でインドに来るのははじめてだから動転してるのかな?


もしかして来たかも。






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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/11/22 18:36】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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