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サイババ降誕祭前日。父来た。
父が到着して、なんか花笠音頭とかの練習場所に来てといわれていたので連れて行った。

そこでの練習に父が尺八で伴奏で参加して、その後楽譜をネットカフェで印刷して、後、ソロの曲の時間を計るのを手伝ったり、滞在のこまごましたことをチェックした。


70越えのご老体だからか、1階の、お湯の出る部屋を個室として与えられてました。

日本のプージャに使う水とかも日本から持ってきてくれたので助かった。


夕方のダルシャンに行くのかと思ったら行く気なさそうで、まあ、到着当日で疲れてるだろうから人ごみに行かないほうがいいかもと思って、部屋でしゃべったり本読んだりして付き合ってました。

出発前日に38度以上の熱が出てたらしく、これないかと思ったけど、出発当日になったら下がってたので来たらしい。


父の熱が下がったら今度子供が調子崩したそうです。

夕食に、ウエスタンに一緒に行って、(アシュラムの中の方向感覚がまだつかめていなかった)

その後、8時から24日の日本の出し物の練習をサイクルワントホールですると聞いてたのでそのつもりだったけど、

今日はプログラムが終わるのが遅かったのか、
8時にはまだサマディダルシャンやってたので9時過ぎからの練習になりました。

なので、時間が余ったからサマディダルシャンにでも散歩がてら行くかということになったのだけど、

行ってみたらまだ行列がすごかったのでホールには入らずにぐるっと散歩して部屋に戻って、またぐだぐだしてました。

9時過ぎにみんなでまとまってサイクルワントホールに行って、リハーサルが行われました。

私も一応付き合ってその場にいたけど、
10時過ぎには私と父は先に部屋に帰らせてもらった。明日の降誕祭のための花の飾りつけが豪華できれいでした。



明日もいちおうみんなでまとまって座るらしいです。

今回、日本からの参加者は10数名くらいみたいです。
さすがに少ないな~!


今回の参加者は西日本の人が多い印象。



まあ、父は、「ま、こういうとこで演奏できるのはあんまりないことやからよかったな」みたいに言ってました。

いろんな国の人たちが参加してるとこで演奏できるし、来てよかったねと思いました。

サイババのとこで父が演奏するのは3回目になるのだけど、
降誕祭はまあ間違いなく大舞台のうちに入るんじゃないかと。

毎回来るたびにソロで吹かせてもらっているので、不思議なポジションなきがするんだけど、やっぱりなんでも一筋にやっていると神に通じるのかも。

みんないろいろ気を使って丁重に扱ってくれてるので不思議なんだけど、ありがたいです。

というか、私が父を見くびりすぎなのかもしれないけど。

演奏のときにどういう椅子を用意したらいいでしょうと聞かれていて、
「それはもう、老人用の椅子で!」と、横から口を挟んだんだけど、うけなかった。笑




父はサイババの帰依者かというと「どうなん?爆」ってかんじなのですが、

キョーレツなサイババ関係者ばかりと接してたら感覚おかしくなってくるんですけど、

そんな中、父の腰の低さがすごく新鮮だった。笑

霊性とかにこだわりがないって、こういうことかも。


まあ、24日の本番までに体調が完全に回復するといいですね。

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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

【2012/11/23 04:11】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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