スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
サティアサイババ降誕祭午後
降誕祭の今日、朝ダルシャン終えて用事をなんやかんや済ませてからウエスタンで昼ご飯を食べて、
父の様子を見に行った。

N6の向こうの広場に巨大なテントが張られて、無料のプラサードの昼ごはんが配られてたので、もらいに来た人で芝生はけっこうすごいことになってました。

子供もめちゃくちゃ多くて、2~300人くらいいたような気がするんだけど。

芝生のとこには100人くらい?



面白い光景がそこここで繰り広げられていたのでカメラ持って来ればよかったとか思いました。



どんなプラサードかをチェックしたけど今回はもらわなかった。
(なんとなくめんどうだったからウエスタンで食べちゃった)


カードライス、混ぜご飯、ライタ(野菜のヨーグルトサラダみたいなやつ)、プーリー?
とかでした。

父の部屋に行ったら昼ごはんはなんとそのプラサードを食べたらしい。
もひとつ、口に合わんな、とか言ってたけど、
よく食べたなーと思いました。


糖尿なのに今日はラドゥーも2個食べたらしい。。。

私でも一日一個が限界なのに。甘すぎて。



糖尿予防かなにか知らないけど、実家では毎朝自分でにんじんとリンゴのジュースを作って飲んでるので、
ウエスタンのサラダに生のにんじんあるよ。あ、でも、あんまり生もんは食べんほうがいいか。
と言ったら、すでに食べたらしい。


まあ、明日の本番さえ終われば気楽なもので。
すでになんかかなり気楽にしまくってる気もするけど。。



今日の午後のダルシャンでは2つの音楽のグループのプログラムがありました。

最初のは、ギタール(つまりギター)と、タブラーと、タンブーラでした。

タンブーラって、むかし聞いたときはタブラーがなまってるのかと思ったのですが、
そういう楽器で、ベースみたいな位置づけの楽器なんじゃないかな。

見た目は小ぶりのシタールみたい。



ギタールは、組んだ足の上に水平に乗せて、お琴を弾くみたいに演奏するから、全然ギターなきがしない。
見た目もちょっと改造されて変わったカメムシみたいな外見になってるし。

で、だるいなー、長くなりそうだなーと思いながら聞いてたら超絶テクの連射って感じの演奏だったのでなんとなく目が覚めた。


アンコールの拍手もけっこう長くなり続いてました。



次の出演グループは歌と演奏だったんだけど、
歌ってる人がいまいち好みじゃないのと、
身振り手振りが大きくて(私には大きすぎて)見てていろいろ かんがえさせられてしまった。
本人は楽しそうに歌っていたけど。


私はこの2つ目のときは暇でもじもじしてしまった。


なので飛んできたアメンボで遊んでしまった。
すごいの。裏返したら一瞬で元に戻る。

後ろの人は蜂を観察していた。




最初のグループはホント超一流って感じでした。楽器はめずらしいカメムシみたいだったけど。


明日も早いので寝ます。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:感謝をこめて - ジャンル:心と身体

【2012/11/24 03:47】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<父のアルティとシルディサイババの夢 | ホーム | サイババ降誕祭>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/2245-3ce92262
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。