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クリスマスのクワイヤー(聖歌隊)での話とサイババ動画。
14日からクリスマスのクワイヤー(聖歌隊)の練習に参加してるのですが、練習の合間合間に指導してるドイツ人の女性が啓発的な話をいろいろしてくれてけっこうかなり面白い。

今日はサイババが生きてるときに、メダルを物質化して、そこに示されているインドの未来について語った話しをしてました。

さっきバシャールのユーチューブを見てたらサイババがそのことについて語ってる動画が物質化したメダルの写真つきで横に出てきました。

おお、タイムリー。ということで、はっときます。
あいにく英語の字幕を翻訳するほどの手間はかけられないのですが。

もしかして今この動画、ちょっと流行ってて、彼女もこれ見たのかな?



サイババの学生を将来インド各地のリーダーとしてどのように配置するか、具体的な個人の名前つきで物質化したメダルにかかれてあるらしい。(そのメダルはのちに非物質化したそうですけど)

これがサイババのプランだということで。



歌の指導してくれてる女性は昔からよく見かける人で、魔女みたいなメイクと雰囲気で、神経質そうだなー、怖そうだなーとわたしは前々から思ってました。

でもクリスマスのたびに聖歌隊のソロパートをよく担ったりしてて、
その歌声がすごく美しくて力強くて、のびのびとどこまでも伸びていくようで、プロの歌い手なんだろうなと思っていた。


じっさいプロかどうかはしらないんだけど、

最近まで大人の聖歌隊の指導は爆笑の連続のマシンガントーク的なMC?をするどことなくロビンウィリアムスみたいな人気者の名物おばさんがずっとやってたんだけど、

今年参加してみたら指導は、そのよい声の歌い手の魔女みたいなドイツ人女性がやっていた。


私は6年?前くらいにもこのクワイヤー(聖歌隊)に参加しようとしたことがあって、何度か練習に参加したんだけど、子供が動き回るし他の人やセバダルに外に行けといわれて、参加を続けるのを残念ながらあきらめた。

その後、自分が参加するのはあきらめて(出て行けといわれるのはさびしいし、ちょっとトラウマにもなった?)
子供たちのクワイヤーに自分の子供を参加させてみて、

でも初年度はかなりがんばって練習に参加させてたんだけど途中で足きりされて、その切られ方が子供の落ち度を責めるかんじの無慈悲で痛いやり方だったので、
切られた子供やその親はクリスマス前だというのに胸をひどく痛めてさめざめと泣いていた。

その後、切られた子供たちは救済措置のように仮装行列への参加に移行して、実はそれはそれでむしろとてもよかった。

子供は翌年は何とか切られずに本番に参加できてよかった。
サイババが生きてるときのギリギリ滑り込みだった。今思えば。


サイババが生きてるときは、プログラムを指導実行する人たちはたぶんすごい責任と緊張感があったんだと思う。
なので参加者への対応も相当厳しかった。



そういうわけで、幸か不幸か子供にかかずらわることから免れている今年は、今年こそは私も大人のクワイヤーに参加するぞと前々から楽しみにしてました。

参加しはじめるとむちゃくちゃ楽しくて、久しぶりにこういう楽しさを思い出した。

歌もどれも美しい歌ばかりで、心に触れるので、入りすぎて涙ぐまないように気をつけなければいけない感じで。

クリスマスソングや、賛美歌のような歌がほとんどなのですが、
歌詞も美しい歌詞で、それが美しいメロディーと一緒になるとたどたどしく歌うだけでも一気に天界へ連れて行かれる感じで、音楽の力を思い知らされる気がします。


インドに来てからは歌う機会があってもバジャンとかが多くて、キーが低いのでいつも自分に適した声で歌えることは少なかった。
そうしてどんどん低いおっさん声にのどが適応していった。

ヴェーダも基本、キー低いし、(自分だけで唱える時は唱えやすいキーにするけど)

インドでの歌は発声の方法からして西洋のそれとは裏と表くらい全然違う。

でも私の発声法は実はイタリア歌曲とかそっちで一時期トレーニングしてたので、バリバリ西洋式なので、
久しぶりに西洋方式ののどの使い方で歌えてとても楽しい。

でもでも、ずっと何年も低いキーでばかり無理して歌ってたので高音がすごく出にくくなってます。
たぶん高音ののどの筋肉が退化してるのかな。
低いおっさん声はすごく出るようになってしまったんだけど。。。


魔女のような風貌の指導者の女性は、最初の日はすごくイラついて余裕がない感じだったので
「やっぱこわいわ」
と思ったんだけど、次の日からはすごく美しく見えるようになった。

たぶんみんなに話すババとのエピソードとか思い出してるうちに心理状態が変わって余裕が出てきたのか、
ババとのエピソードを話す彼女がすごくかわいい少女のように魅力的に見えてきた。

そんなにかわいい感じとはまったく思っていなかったのでそれにも感動した。

ババと彼女との間にどういう美しい関係性があって、ババがどれほど彼女を愛していて、彼女がどれほど幸福で少女のようにババに心が開かれていたかを見るようで、ひどく感動しました。


そして恐ろしげなきつい風貌とはうらはらに、彼女が人を扱う時にすごく繊細で、けっして誰も悲しませたくないと思ってすごく配慮してる様子にも感じ入った。


そういうわけで、毎日午前と午後の2回の練習がすごく楽しい。


歌は、英語が多いので、発音の悪さはいかんともしがたいのだけども、まあそこらへんは適当に。。。


参加者は日に日に増えて膨れ上がって、今日でソプラノの新規参加は締め切って、明日でアルトも男声も新規参加は締め切り。


私は基本アルトかメゾソプラノなんだけど、練習に参加してるうちにソプラノに行くように促された気がしたので途中からソプラノに変わりました。

のどが低音のどになちゃってて、高音がほんとでなくなってて少しストレスなんだけど、

そんで、今日は、みんなの中でもマイクの近くに座るメンバーを選びたいということで、
午後の練習のあとに、希望者は残るように言われました。

わたしはなんせ英語がままならない身なので、へたに声が大きいだけにみっともないし、残るつもりはなかったんだけど、

なんか午後の練習のときの彼女の話、たぶん、希望者を募ることと密かに多少関連付けた話だったのかもしれないけど、

彼女はあるとき、ババに、明日インタビューに呼ぶからといわれていたのだけど、セキュリティスタッフとかに前に行かせてもらえなくて、数日に渡ってダルシャンの時のババとの直感的なものを含むやり取りがあり、ついにすごーく後ろに座らされてた彼女がババに呼ばれて、セバダルに助けられて人を掻き分けてドラマチックに前へ行ったのだけど、

ババは不可思議な言動で、別のグループをインタビュールームに入れて、彼女を外に残したまま扉を閉めてしまった。

で、あとで、ババは彼女に「呼んだのに来なかった!」みたいに言って、彼女は「でもセキュリティが許してくれなかった」とか「あなたはセキュリティに(彼女がインタビューに呼ばれることを)示して指示してくれないと」とか言ったそうなんだけど、ババは「呼んだのに来なかった!」と、問答無用だったそうです。

彼女はそれをこの時の出来事に限らず人生すべてにおいてへのババの示しだと理解したらしく、

神の呼び声を聞いたときは私たちは 「私はここです」と、呼び声に応えなければいけない、と理解したそうで、
「だから私は(合唱の指導者として)今ここにいます」
と言って笑っていました。


しかしババのやり方として、ババはいつもメニューを見せるように、「こういうのはどう?」と、道や彼のプランを示して提案してくれるんだけど、決して強制はしないということも言っていました。


だから私たちは恐れとかからではなく、彼への信頼や愛のようなものでそれを取り、そこに自分自身をおいて「私はここです」と彼の前に立って応えるんだと思います。


彼女の、エピソードを聞いて、午後の練習後にその場に残るかどうかを自分の中で聞いてみたら残るようにいわれたように感じたので、

ものすごくみっともないことになるんじゃないかという危惧がないこともなかったんだけど、(英語の発音が。。。会場の係りの西洋人のおばちゃんも、最初なんでか私になかなか歌詞のプリントをくれず、くれるのを嫌がっていた。3回目くらいで「あなたは英語をしゃべるの?」といわれ「YES」と言ったらやっと嫌そうにくれたけど、変なローカルのインド人かネパール人が紛れ込んでると思ったのか?)

様子を見ながら残ってみた。

みんなを引っ張ってサポートするためにマイクのとこに座りたい人、という指導女性の呼びかけに応えた、そういう「われこそは」的な人が10~20人くらい残ってて、

彼女は緊張させないようにと、全員に同じフレーズの高い音のとこを繰り返しみんなで歌い続けさせて、
一人ひとりにマイクを向けて声を拾って聞いてチェックしてました。

私は声が大きくて時にはみんなの邪魔になって調和できてないように思われてるような気も自分でちょっとしてたので、
「だめだ~」と基本的に思っててあんまり大きい声を出し過ぎないように気をつけてたんだけど、

マイクが回ってきてとりあえず声を出して、それがどうだったのかよくわからなくて、やっぱりみんなと調和してないような気もして、
残れといわれて残った、みたいな、全然積極的でもなかったのでニュートラルにいたのだけど、

結局、指導女性がたぶん前年までの経験者っぽい人を一人、二人、と指を指して選んで別の場所に行かせたあと、

ストロングボイスがなんちゃらかんちゃら、必要だ。。。みたいにつぶやいたあとに
「あなた」とか指差されたので立って、指示された場所に座りました。

というわけでソプラノのマイクの真下(マイクは座ってる上で音を拾うらしい)は前から2列目らしいのだけど、そこの3人目として座ることになってしまった。


実はこのマイクテストで歌わされたのは「ハレルヤハレルヤ」の繰り返しだけだったので、

英語じゃないんで。。。コリャ大変だ。苦笑


ちょっと本番の24日までに特訓しないとみっともなさすぎでやばい気が。



マヤ暦の終了とか言ってる場合じゃなくなってしまった。



結局、午後の練習後に自主的に残った人たちは全員前のほうに座らされるように配置されたっぽいです。
ちょっとけっこう音が外れてる人とかもいたけど、誰も切り捨てられなかった。

彼女はたぶんそういう自主性を尊重したような気もする。




このように、抵抗せずにババの?促しに応えていたらいつの間にかジャンプジャンプでどんどん境界を越えさせられてどんどん遠くに連れて行かれるのでした。笑

彼女いわく、私たちが自分で可能なとこよりもさらに高くババは引き上げてくれる、

それはきっとババを人生に受け止めた人たちの共通の感覚なんじゃないかなと思います。


そしてババは帰依者の7世代にわたってケアすると確約してくれてるそうです。
本人の世代と、先祖の3世代と子孫の3世代だそうです。

それって、すばらしい福音じゃない?みたいに彼女は心から面白そうな美しい笑顔で話していました。


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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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