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わたしの世界の滅亡の日~プッタパルティより~
すでに昨日になりましたが、2012年12月21日は巷でいろいろ言われてる日でしたが、世界が滅亡することもなくそこそこ平穏に過ぎました。

実は12月21日に子供をインドに呼ぶようにいわれた気がして、そのつもりでビザも11月中から早めに申請して動いてたのですが、
ビザがなかなか降りず、

で、12月21日って、、、、なんか大変なことが起こるとか言ってる人多い日だとあとで気がついたのですが、

逆に、その日に子供を呼ぶように言われたということは、その日はそんなに大変なことは起きないんだろうなと思って、それが私が12月21日は破滅的なことはないと思うと言っていた、超個人的な根拠だったのですが、

でも表面的には何もなかったとは言っても、
海底を流れる水流のように多くの太い流れが常に動き続けている感じはします。

世界や日本は破滅的な様相に向かってるような感じもするわけなんですが、
それとまったく逆に、ずいぶん生きやすく、物事がスムーズになっていっているような感じもあります。

もしかしたらその2つは同じことの角度を変えた裏表なのかな?



しかし世界はまだそこそこ保たれていて、ささやかで美しいことを経験できる情況がまだ与えられているということは恩寵だなと思います。


で、忙しさもあり、ビザができたらチケットとろう思ってたらぜんぜんビザ来なくて、考えて動くのも面倒で半分放置だったんですが、
20日に頼んでた旅行会社から送られて来たらしく、

言われたとおり、早めに21日のチケットとってたらよかったな~、行けるようになってたんだなと思ったんですが、
まぎわで、年末も近くて高くて席も不足気味の状況なので。

しょーがないので、また聞いて、次点策として(何度でもリカバリー)23日といわれたのでその線でチケット取りました。



こどもは一人ではこれないので、おかーはんが連れてくるんですけど、
1ヶ月くらい前から話をしてておかんの態度はそのつど変わりつつも了承して協力的と思ってたんですけど、

今日はものすごいいやがってて、チケット取ったよといったらものすごいため息つかれて自分の思いだけやな、みたいに私の自分勝手を非難する感じだったので、私も軽く逆切れ?しておいた。

自分の思いや感情を認め、尊重されて育てられてこなかった私なのでした。

今日のは、おとーはんを理由に私に罪悪感を持たせようとしていたけど、

思うに、形にまだあまりなってない段階から、
チケットを買っていざ実行の段階になるとやっぱりいろんな人のエネルギーが動いて、反発や抵抗がでまくっていた。

そういう抵抗ってなんなのか私は理解できないんだけど、私がサイババ病か。





おかーはんは28日には日本にいたいというので、プッタには実質3日間だけの滞在です。

それでも、子供はアクシデント的に日本に置き去りにした形になっていたので、いっぺん短期でもプッタに戻った方がいいとずっと思っていたので、たとえ3日でもないより全然いいと思う。

子供は別に28日に戻らなくてもいいわけだから、おいていったら?と言ったらおかーはんは「そんなことできるわけないやろ!」と、ものすごい怒ってた。
いつか日程と航空会社が合う人に関西につれて帰ってもらえばいいやんと思ったんだけど、
年末年始で多少日本からも人来るだろうし。



3日だけの滞在に割高の航空券を2人分買うのはもったいないという気持ちも出そうになるけど、
そういう自分にもある理性の抵抗をなくしたら、今動けば子供がインドに来れる可能性が高いことはお金ではないので、
お金ではないし、

そもそも自分に来るお金はババからのものなんだったら、いわれた事をするのにお金について惜しんだりすることはまったく必要ないよな、もともとわたしは一文無しなんだし。と思い直し、

チケットを2人分購入したのですが、
おかーはんがそれを使って来るかどうかはわからない。苦笑



そういういろんなことにちょっと泣けたけど、まあでもようやく子供にビザが出たので来れるといいなと思います。

実は子供もちょくちょく懐かしがってはいるので。

まだ日本の暮らしのほうが魅力的だろうけど。
お年玉ももらえるし。

インドでは必要経費以外小遣いとかもたせてなかったし。
それも1~2円で駄菓子とか買える世界なので、
それがいきなり何万円もお年玉もらっちゃったら完全に世界が変わってしまったはず。
ウルトラマンの人形とか、子供だけど大人買いしたりしてたみたいで。

まあ、幅があるのは悪いことではないけど、

私としてはちょっとしたお菓子とか安いおもちゃをもったいぶって買い与えたら子供が有頂天になって大喜びするのは面白かったし喜びだったので、
ちょっとつまらないかな。

親としての楽しみのひとつだと思うんだけど、そういうのって。


そういう、地球最後の日でした。笑PC219886_convert_20121222071837.jpg

地球最後の日にクワイヤーの練習で知り合いのロシア人がみんなにプラサード?として、
ババの遺体がサマディーに入れられる代わりに掘り出されたその場所の砂とかを配ってくれた。
ババの肉体を伴った数々のダルシャンの生き証人。

この上をサイババが何度となく歩き回ったのだと思う。
気のせいかもしれないけど、額に当てたりしたら気が遠くなりそうなかんじがする。
すでに物質のバイブレーションではないのかも。

その、みんなにこのプラサードを用意してくれた知り合いのロシア人が、この砂の説明を前に立ってみんなにサイババのことを話している時に、後ろのサイババの写真の上のバラの花がドスンと落ちて、みんなおおーーーっとなりました。

練習中にときどきそういうのがあるんだけど、あまりにもタイミングがすごくて、くどいほど。

そのあと、そのロシア人は手がぶるぶる震えていました。


PC219885_convert_20121222071945.jpg

地球最後の日のバジャンで配られたプラサード。
ねとっとして甘くておいしかった。



21日のインド時間の午後4時41分から8分間、覚醒エネルギーみたいな?のが注がれるとかいう情報があったのでその8分間の間に何かあるかなと思ってたら、

合唱練習で2こ隣に座ってる感じの悪い人が近づいてきてなんか言ってきたので何言い出すのかとちょっと身構えたら
(まえ、わたし歌い出しのタイミングあってたんだけど、他の人が躊躇して出なかったのでわたしが間違ってるとみなされて彼女に指導された。)

名札にちっちゃいサイババのシールを貼ってきて、
「これであなたはスペシャルよ」
とか言ってきた。笑。


そういう覚醒エネルギーを受信。爆




クワイヤーの練習も佳境に入って、あとは歌いまくるだけらしいのでうれしい。
19曲くらい練習してます。

多いよね。。。歌詞のプリントなしではさすがにちょっと覚えてない。



でも、そうだ、今日の練習はなんか急にまとまりができて合唱の質が急に上がった気がした。
やっぱみんな今日の日をちょっとは気にしてて心がつうじあったのかも。笑



そういう、地球最後の日でした。

まだ生きてる~。



ま、クワイヤーのメンバーは24日の本番のために練習してるような人たちだから楽観的な人たちだったのか、楽観視したい人たちだったのか。笑


しかし昼間忙しくて、夜に部屋に帰ってきてからネットするとここのとこ連日寝るのが2~4時とかそんなのに。。。
今日も朝4時過ぎてしまった。


後いくつかすることやってから寝ます。。。


朝6時にクリスマスキャロルの歌とか?の招待もニュージーランドの装飾グループから?あったけど、
参加したい気持ちはあるけどちょっと無理。


夜が20時間くらいあるといいのにな。
夜はみんなが寝静まっているから落ち着く。

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【2012/12/22 06:30】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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