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近頃は色々いっぱいあるのだけども。<久々に子供がインドに来たとき>
近頃は色々いっぱいいろんなことがあって、基本的にとても楽しく過ごしてます。

ブログになかなか記事を書くタイミングが取れなくて。


ブログとかネット自体に少し興味が薄れてきてるのかもしれないのですけど、

ネタは(読んで面白いかどうかはともかく)山積みなので、忘れないうちに書けるタイミングがつかめたら書きます。

このまま書かない可能性も高いけど。。。



シルディ村でのことも中途半端なままにしてほとんど忘れてしまった。

先日母と子供を空港に送って行った帰り、ナンディヒルとムッダナハリによってきました。

どっちもとても面白かった。

写真も撮ったので記事にして載せたいんだけどなんか気分がそっちに集中できなくて。

ぱああってなっている?



ここしばらくはキャンティーンセバに費やす時間が多くなってきてて、
年始年末は人が多かったので特にやることが多かったので毎日アパートに帰るのが夜10時半とかだったけど、

今日はいつもより余分に普段放置されてるようなとこの拭き掃除とかしつこくやったけどさすがに人も少し落ち着いてきたみたいで
すごく働いた気がしてたんだけど、終わったのは9時半くらいだった。


やっぱ、クリスマス前後に子供が来て帰ったので自分のエネルギーバランスみたいなのが変化して、
セバして切り替えるというか、自分のバランスを根本的にシフトチェンジせずにおれない状況なのかも。


子供が帰る前の晩に寝てる時からめまいがしだして、
久しぶりに金縛り状態で、

あ、今いろんなことができそうと思ったんだけど、
自分の意識を操るようなことを。

でも何をどうしていいかわかんなくて、めまいがして世界がぐるぐる回っていた。

たぶん、自律神経失調症の症状だったのかも。


高校生くらいの時にそんなんになって横になって動けなくなって外で寝てたことがあります。
吐きそうだった。


で、その、子供が帰国する前の晩もそんな風でめまいでぐらぐらするのが寝てる時に始まってたんだけど、

そしたら突然アゴと頬をだれかに強く挟んでつかまれました。


びっくりして、

子供が起きてつかんできたのか?と思ったんだけど、子供は寝てて、
その時は金縛り状態で、からだは動けないんだけど、意識を向ければ見なくても肉眼みたいにそっちが見える状態なので、そういうふうに意識で見たら子供はちゃんと寝ていた。


アゴと頬をがしっとつかんできたのが誰なのかはわからないのだけど、
「しっかりしろ!」
といいたい感じで誰かがつかんできたんだろうと思います。


朝起きてもめまいは続いていて、吐きそうで起きれなかった。


でも何とか起きて、

母と子供を空港に送るためにタクシーに乗って出発したのだけど、20~30分くらい走ったとこで吐いた。

空港まではまだ距離があるので、どうしようと思ったけど、

もう村でもない荒野のとこで、降ろしてもらっても足がなくて動けないので、そのまま空港に乗っていきました。



子供と母を役に立たない感じで見送って、

そのままの気分でプッタパルティに戻ってもなんか落ち込みそうだったので、
めまいと吐き気でふらふらなのに無謀かなと思ったけど、

ちょっと意識の枠組みを少し変えてからプッタパルティに戻ったほうがいいような気がしたので、

それまで行った事がなかったナンディヒルにタクシーで行きました。


タクシーでその巨大な岩山を登っている途中でまた吐きました。


ナンディヒルに行って最初に公園のようなとこに入って、

そこは緑が深くて、人も奥までは誰も来なかったので、

その美しい場所で1時間ほど座っていたらめまいと吐き気がおさまったので、空港で買っておいたパンに野菜を挟んだやつも食べて、調子が戻りました。


やっぱり、自律神経失調症的なめまいと吐き気だったんだろうと思います。
最終日に子供と母が気分をあわせてすでに日本モードだったのと、

インドに来て2日くらいはぱああっと母も受容的に場に対して意識が開いていたんだけど、


最終日の晩あたりにはモードが変わってきて、(日本の空気感を取り戻したのかも)

子供は思った以上にインドの感覚も英語も忘れておどおどしていたので、
最後の2日はキャンティーンセバをさせて、

2日目以降はインドでの子供の友達の女の子たちも一緒に仲良く遊んでくれて、調子が戻ってきて、
「今度は春休みかな」と、子供はインドにまた来ることをガネーシャゲートのところで寺を見ながら肯定的につぶやいて言っていたんだけど、

それを部屋に戻ってから何の気なしに先に戻ってた母に言ったらキレて、ふざけるなというかんじで
「もうこーへんよ!」
と言われたので、

私も今回来るまで大変で疲れたし今回だけという約束で子供を母につれてきてもらったので、
(それも土壇場で「いかない」と言われたのだけど)

「うん、いいよ。誰か連れてきてもらえそうな人探すわ」

と、皮肉でもなく普通に言ったらそれでも母は大変気分を害したようで、ぷんぷんだった。


その前も、インドの出国証を書いてといわれたので母の分と子供の分を書いてたら、
風呂に入ろうとした母が水が出ないというので、
上のタンクに水をくみ上げるポンプのスイッチ(階段の下にある)を、わたしはおかーはんの出国証書いてるとこやから、ちょっと自分でスイッチ入れてきてと言ったら怒って、少し嫌がらせのように、買ってる飲み水でなんか洗ったりしだしたので、

母のその怒って興奮してるテンションに私も多少影響されつつ、変なテンションになってきちゃって、
私も裸同然の格好だったので、ショールを羽織って、「変な人」といいながら外に出てスイッチを入れてきた。



そんなこんなで子供の変化とそれに伴う自分のきもちのゆらぎと怒りをともなう母の反発でぐらぐらふらふらになったんだと思います。

そういう3日間だった。


でも誰も来ない場所で自然の中にいて、植物に気持ちと在り方をあわせていたらめまいと吐き気が治まっていったので、助かりました。


アパートの部屋にも植物をたくさん置くようにしたら、ゲリー・ボーネルのセッションと前後して、(なのでどっちがよかったのか、どっちもがよかったのかわからないけど)
10数年さいなまれ続けていたトラウマのような絶望的な孤独感と、それに対する「そんなのいやだ」と恐怖に思う気持ちが消えました。


植物とは相性がいい、というか、よく助けてもらえるようになってるみたいに思います。

部屋にも植物があると「やさしい誰かがいる」という感じがするので神経が落ち着いてリラックスできる。


でも母は気に入らなかったみたいで、
こんなに部屋に植物を置いてるのはおかしい、とか、陰の気を呼ぶとか散々呪いのような発言を繰り返し、

あれを外に出せ、せめてこれだけは外に出せ、とか言っていました。
(母はわずか3日の滞在中に植物に2回刺されたらしい。わたしそんな刺されたことない)

私が植物があってどれだけ助けられてるか、わかってないんだろうなーと思いました。





母と子供が来る数日前からバッタバタで、来る前の晩(出発数時間前)に及んでまで来る来ないでもめてて、
来る時わたしは一応バンガロール空港に迎えにいったのだけど、
バンガロールが寒いの忘れてて、

サリー1枚で凍えながら夜中に2時間待ったので、のどとか痛くなってきて、馬鹿みたい、この期に及んで風邪を引いたかも、と思ったのですが(翌日がクワイヤーの本番だった)声は大丈夫でした。

なんだかんだで明け方に3~4時間寝て、クリスマスを迎えた。

下のが12月24日のインターナショナルクワイヤーの動画です。(INTERNATIONAL CHOIR _ 24 DEC 2012)

http://new.livestream.com/accounts/1983476/events/1759771/videos/8343486


2時間以上あるけど、クワイヤーの歌は最初の1時間くらい。


上の25日早朝のニュージーランド(今回装飾担当)の歌も、面白いのが多かったです。
(CHRISTMAS MORNING CAROLS 2012)
あと、指揮者の動きがマンガみたいで面白かった。


これはページ全体のアドレス。他のプログラムもいろいろ載っている。
画面中央右のスクロールバーで画面をおろしたら色々出てきます。

http://media.radiosai.org/journals/Archives/video_archive/2012/video_archive_2012.htm




ちなみに中央で燃えてる巨大なろうそくの正面に、クムクムとビブーティーが出てきてます。(練習のときから出てた)

黒羊さん、動画のありかを教えてくださってありがとうございます。



24日の夕方はクワイヤーの本番だったので子供は母に任せて、あまりかまってやれず、
でも、24日の晩はウエスタンキャンティーンにサンタクロースが来て子供に何か上げたりするので、

主名はインドにいるときは毎年それをものすごく楽しみにしてたので、
24日に来させることができてよかった、と思っていたのだけど、

私は完全に別行動で夕食時にサービングのセバにまわって、でも子供は勝手がわかってるし、そのうちキャンティーンの中で会うと思ってたんだけど会えず、

キャンティーンのクーポンを与えてあったんだけど、この日はクリスマス用のを買わないといけなくなってて、子供は現金は持っていなくて、

キャンティーンの中でみんな楽しそうにしてるのに
子供はその中に入らず一人でどこかに行ってしまったみたいだったので、セバを抜けて探したんだけど見つからなくて、インドでの子供の友達もみんなキャンティーンに集合していたのに、すごくがっかりした。
子供のインドでの友達も心配してあちこち探してくれたみたいでした。

強引に長旅させてつれてきたのに誰もみてやれなくて久しぶりのインドでせっかくのクリスマスなのに人ごみの中、はらぺこで一人にさせてしまったとか思ったり。(男性側でアシュラムでは別行動なのでわたしや母が見てやりにくい)



結局、子供なので普段のクーポンでokしてもらったようで、食べて、サンタクロースがキャンティーンに来る前に、誰にも接触せずに一人でアパートに戻ってしまっていたようでした。


私のサンダルがキャンティーンの女性側の前に見当たらなかったので私はいないと思ってアパートに帰ってたようでした。

セバに入るときはサンダルを履いたままでするので、外には置いていなかった。

「いたのに。サービングしてたのに。直接みて探せよー」と、あとで言ったんですが、(まだ子供なので女性側に来ても別に怒られたりはしない)
私も、もうちょっと積極的に、キャンティーンが開く前に探してやればよかったと思いました。
まさか子供がクリスマスの雰囲気からはじかれるとは思わなかったので。
1年のギャップを甘く見ていた。

子供のインドでの友達に、子供がふらふらしてる時に会ったらしいんだけど、1年以上ブランクがあったので遠慮とか?あと、ほとんど英語とヒンディーで交流してたので、
みんな忘れてしまってて何言ったらいいかわからないというのもあったみたいで、しゃべらずにアパートに帰っちゃったみたいでした。


そんなわけで、ようやくインドにつれて来れて、楽しく過ごせると思ったらこうだったので、すごく残念でした。


なわけで、そのとき超ネガティブな気分の記事をそのクリスマスイブの日の晩にちょーがっかり気分で書いてアップして寝たはずだったんだけど、
起きたらアップされてなくて、自動の下書き保存もされていなかったので、よかった。と思いました。


一応前の晩に閉まりかけの店に駆け込んで、クリスマスプレゼントを用意できて、
寝てる子の枕元においておいたんだけど、
起きたら私に「ありがとう」と言ってきたので黙ってたら、多少挑戦的に?「ありがとう」と繰り返し言ってきたので無視しておいた。

前の日、空港からタクシーでプッタパルティに移動する時、
子供は助手席に座ってたんだけど、後部座席に私と一緒に座ってた母が、子供が寝てるかどうかも気にせずに、
去年のクリスマスに子供にプレゼントをやったら、
「サンタさんはくれたけど、ばーちゃんはなんもくれんかったなー」といわれたとかいう話を大声で私にしだしたので、

ああ、子供、ぜったい聞き耳立ててる。。。。
と思ったんだけど、

それでプレゼントの出所を確信したんだろうなと思いました。


インドでは本気で不思議がっていたので。
戸の隙間から細くなって入ってきたのかなとか。いろいろ考えて。


でもしばらくあとで改めて「プレゼント、お母さんがくれたんでしょ?」と確認して聞かれたので

「しらんよ。昨日アシュラムにいっぱいサンタきとったしそのうちのどれかちゃう?」
と言っといたら

「ええ~。。。。」と黙り込んでしばらく考えて、そう言うんならそういうことにしておこうかなと思ったらしい。

それとも、ちょっとくらいは「アシュラムのサンタのしわざなのか?」と思ったか?




今回、子供が1年以上ぶりにインドに来て、わかったことは、
本当にいろいろ忘れてるということ。



今まで、電話で、「あれ、なんていうんだったっけ。。。」と、インドに関して子供に聞かれた時は、わざとそんなの言って気取ってるのかと思って「わかってるくせにしょーもないこと言うなや」と、軽く腹が立ったりしてたんだけど、
なんか、ほんとに色々忘れてしまってるみたいでした。

サウスインディアンキャンティーンの男性側ににクーポンを持たせて行かせようとしたら「ぼく、あんまり慣れてないから。。。」とびびったり。
「そんなわけないやろーーー!」
と思ったんだけど、子供の気持ちとしてはそういう怖さを感じたらしく、
英語も「なんていったらいいんだったっけ。。」とかいうので教えたら「ああ~~~。。。」というかんじで。

ほんとに忘れてるんだ。。。。と思った。


子供は1年以上ぶりに戻ってきて、3日間だけだったけど、「懐かしい」「懐かしい」と言っていた。

で、いろんな近所のとこを歩いて、見て、確認しなおしてる様子でした。(母がいない時に)
なんか、久しぶりに見る見慣れているはずの光景がまぶしいみたいな気持ちでいるのが伝わってきた。


9歳の子供がそんな風な気持ちになるんだなと思った。

空港からプッタパルティに近づくにつれて、そのときも夜中だけど懐かしい感じでまぶしそうな少し圧倒されたような様子でした。

アパートの部屋に入ると、おもちゃとかは全部そのままにしてあったので、おもちゃをそのまま置いて日本に滞在することになったのをずっと気にしてたみたいで、夜中にもかかわらず一通り広げて全部チェックして、

小さい時に描いた絵とかも引っ張り出してきて、懐かしい懐かしいといいながら喜んで見てました。




3日間だけだったけど来させてみて、子供も少し安心した様子で、私も少し安心しました。



そんなこんなで、クリスマス前からずっと睡眠時間がなんだかんだ3~4時間くらいなのが続いていたのですが、
昨日は久しぶりに夜にまとめてちゃんと寝た。

なので今日は調子よくて色々がんばってしまった。

セバとかダルシャン、チャンティング、バジャンとか。




今日はまた遅くなってしまった。笑




いろんなことがありまくりで、

振り返ってブログに書く時間を取るのが難しく感じてるけど、
わりかし溌剌と楽しく暮らしてます。

ただ、シフトを変えると自分は楽なんだけど、それまでのことと波長を合わせるのが難しくなるので、何もかも忘れてわからなくなってしまいそうな。


P1010128_convert_20130103074020.jpg
1月1日の朝にもらったプラサード。シャクシャクしておいしかった。

PC310126_convert_20130103073925.jpg
2012年12月31日の写真かな?これは。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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