スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
ティルパティ(ティルマラ)に行って、ヴェンカテーシャ(バラジ)ダルシャンをうけてきた。
3日の午後に出発して、ティルパティに行ってきました。
4日にヴェンカテーシャ(バラジ)ダルシャンを受けてきた。

残念ながらスキンヘッドにはしませんでした~。



実はあれからどんどんスキンヘッドにしたくなってきて、3日にホテルに着いた時点では剃ると決めてて(10年位前に一度してるのであまり抵抗がない)

現地ガイドに明日、剃るわと言ったんだけど、
ドライバーは「見た目がよくないからやめろ~」といって、
ガイドは、「まあ、考えてみて」といって、別れたんだけど、

部屋でよく考えてみて、今剃ってもあまり意味がないかなと思い、

最終的に自分の中で聞いてみたら剃らないようにとのことだったのでやめた。


そういえば昔夢でサイババに適した髪の長さ、言ってもらってたんだった。


さすがに最近伸びすぎだし、

しかし髪の毛の量、半分くらいになった気がする。
ここ数年で白髪も一気に増えた。


スキンヘッドにしたら変化があるから面白いし、
実はスキンヘッドってすごく手入れしないといけないんですよね。
イメージとは裏腹に。

2日に一回くらいは剃らないと剃りにくくなるし。
かなり維持が大変。


自分がスキンヘッドに何を求めてるのかなーと考えてみたら、
ほかの人からのイメージ付けとか、そういうのを裏切って逃れたいという気持ちがあって、

ここ数年大変だったこととか、変化が激しくて、完全に切り替えるタイミングかなと思ったこととか、


あと、最近ウエスタンキャンティーンセバによく行ってて、部活みたいで楽しいんだけど、
いつしかそこの集団意識の中で演じてる自分がいるかもと思ったり。

そういう集団意識から飛び出したい気持ちがあったり。


いろんなほかの人からかぶせられてるイメージから脱して、クワッ!と威嚇したい気持ちがあると思いました。

でもそれって、実際はほかの人からのものじゃなくてそれを受け入れてる自分があるからで、結局自分から発してるものなんですよね。


だから、そういう面では今、威嚇のためにスキンヘッドにしても単に周囲から自分を切り離すだけになって、あまりいい効果は出ないかなと思いました。


あと、むかし剃ったときは日本で工場で働いてるときで、すごく保守的な土地柄にいたので、
閉塞感がすごくて剃ることが開放感と爽快感とシンプルな感じをもたらしたんだけど、

今はプッタパルティなので、すでに開放的なので、剃ることで逆に不自由感が出る気がしました。
変な人は山ほどいるし、女性で剃ってる人は日本人を含めてちょくちょくいるし、
その中では普通に安定しているということがチャレンジなのでした。

後、シンプルな状態に無理やりなりたい感じもあったんだけど、
前述のように、スキンヘッドにしたら逆説的に髪の毛にすごく意識がいく。

維持する手間もかかるし、伸ばす過程でも常に中途半端。


なので、髪の毛のことを考えないには伸ばしっぱなしに勝るものがないという。

縛ればいいだけだから。




でも私がなにを求められているかというと、とらわれなしに物質的なものとちゃんと関わるというか。

平たく言うと髪の毛とか見た目に関してももうちょっと気を使ったほうがいいと思う。笑


そういう促しはここ数年感じてます。



極端なので、
外見に意識を向けるのが一切いやになったらホントにひどいことになったりして、それって、ある意味自分の物質的側面を攻撃し続けているかんじで、

攻撃じゃなくて調和、調和。というかんじ。


ご飯とかも、ちゃんと食べるように、ババが生きてるときもずっとそういうふうに教育されてるような気がしてました。


たぶん、極端な修行モードとかに入る罠にはまりやすい潜在的な何かがあるのかなとか。




なのでなるべく物質的に自分を甘やかすように、ラグジュアリーを心がけてるんですが、インドなのでたかが知れてますが。

ストイックになり過ぎないように。



スキンヘッドのストイックな雰囲気はある種の快感なので、そこは今、自分が得るとよい要素というわけではないのだろうと思います。

あっという間にそんなかんじになりきって、ある意味本気で自分として演じてしまうので。


だから今、私に足りないのはどっちかというとフェミニン?爆




話がそれまくりましたが、

そんなわけで、可能性は残しつつも、結局なしくずしにスキンヘッドはキャンセル。


まともで、安定してて、柔和で安心できる人物像路線を継続。(プッタパルティではたぶんそうなんです)



そもそもなんでスキンヘッドかというと、ティルパティにお参りに行った人は髪の毛を剃ってささげる人が多いんです。
その毛がカツラ業界に行ってるのかどうかは知らないけど、

一族10数人で参拝して老若男女全員スキンヘッドにする光景もよくあります。

そういうつるつるになった人たちがよくついでにプッタパルティにも流れてきている。



以前から、あのつるつる集団はなんだ?とおもっていたのはそれはティルパティ帰りのケースが多く、

あの、真っ黒全身黒尽くめ集団は何だ?というのは、アーヤッパンの巡礼者。(巡礼時に着る服の色とか細かい規定があるらしい)



その2つは異様な光景なのでしばらく謎でした。



ティルパティの街中のホテルに泊まったんですが、最初はティルマラにとまる予定だった。
ティルマラって、山で、バラジのお寺はそこにあるので、
厳密にはヴェンカテーシャ(バラジ)はティルパティじゃなくて、ティルマラにいる。

でもそこの宿泊施設は8時くらいに閉まってしまうということで、(ガイド談)予定変更してふもとのティルパティに泊まって、翌朝ティルマラに行きました。

ティルパティからティルマラは45分くらいかな。

山の入り口に料金所みたいなのがあって、そこで荷物とかもチェックされる。
けっこう厳しい。


ゲートを入ってしまうと道も広々してて、山道だけどそんなにしんどくなかった。

ティルマラの町に入るとなんかプッタパルティのアシュラムみたいな雰囲気も感じた。

山全部がアシュラムみたいなもんといえるのかも。


でも思ったより山深く、自然が豊富でよかったです。
最近、山づいてるなあと思った。先日のナンディヒルといい。


外人ラインに並ぼうとして行ったんだけど、一日の中でいろいろスケジュールがあるらしく、
たとえば何かのプージャのときはその間ダルシャンラインもすすまないので、

朝10時くらいに行ったときはしばらく動かなさそうだったみたいで、
いったん車でちょっと観光に行きました。

山の中のハヌマーンテンプルに行った。寺の名前はジャパリでした。

1キロくらい山の中に入って言ったと子にお寺があって、散歩にはよかった。




ここですでにガイドと波長が合わず話がかみ合わない。。。

不思議なもので、心が通じ合ってると少しの言葉でぜんぶわかるけど、波長が合ってないと言葉を重ねても世界が全然交わらない。



巨大なリスが途中の木のとこにいました。(あとで写真載せます)


12時くらいに外人ラインの並ぶとこに戻って、ガイドとドライバーに見送られ、バラジダルシャンのために並びはじめました。

チケットを買うまでに1時間かかって、
買って、一般ラインの途中から合流してからダルシャンを受けるまでが1時間ちょっとだったかな。


外人ラインといっても私以外全員外国に住んでるインド人に見えた。

マレーシアとか。

それでも、いろいろ余裕があるので、その人たちに結果的に守られながらサバイバルな一般ラインに突入。

まわりに赤ちゃんがやたら多くて、あちこちで泣きまくっていた。
1時間くらいずっとぎゃんぎゃん泣き続けてる赤ちゃんもいて、よく体力もつなー、若いな。と思った。


途中から外人ラインも一般ラインも混合がすすんで押せ押せのギューギューに。


まあでも、サイババダルシャンの殺人的なときに比べたら全然平気。



寺の中に入ってからはギューギューすぎて自然に持ち上げられるように運ばれるので逆に安らいだ。笑

本堂?のなかは金ぴかでシャンデリアとかぶら下がってました。

さすがインド一の金持ち寺。と思った。(ですよね?)



思ったよりまともにじっくりバラジを拝むことができて、

そして、予想を超えて何の感慨深さもなかった。



あ、ある、というか、あ、いる、というか。そんなかんじ。




で、あ、そうだ、と思い出して、すべての世界のすべての存在の平安を祈っておいた。


外に出てすぐ左手にまた人が集まってたので何かなと思っていってみたらバラジのお母さんらしき女神がいたのでそこにもおまいりをし、
その先で聖水をもらって頭にフタみたいなのをカポッとかぶせてもらって祝福してもらいました。


いやー、さすがと思ったのが、

ガラス張りの部屋の中で数十人のお寺の人が人海戦術で延々とお布施を数え続けてる部屋があったこと。

参拝者はみんなすごく興味深そうに楽しそうに見ていた。笑

私もすげーと思いながら見ました。


いやあ、景気がいい。笑

ずた袋でどんどん追加が運び込まれるのね。




別のとこには、願い事を指で書くといいという岩?があって、みんな必死に書いていたのでわたしもサマスタローカー~と、3回くらい書いておいた。


あとで、もうちょっと個人的なことかいてもよかったかなと思ったんだけど。



プラサードのカードライスをもらってそこらへんで食べて、だれかに「水ちょうだい」といわれて自分の持ってたペットボトルを渡したら別の人にも回っていた。


なんかとにかく参拝できるやつは全部参拝しておいた。


外で待っててくれたガイドとドライバーに合流し、外人ラインのチケットはプラサードのラドゥー2個つきなので、ドライバーがもらいに行ってくれてる間に、ガイドに、バラジの奥さんはいないのかと聞いたら、
一人はここにいて、もう一人は別の寺にいるというので、

え、でも見なかったというと、見えないとこにいると言われたので、

もう一人の奥さんの寺では見れるのかと聞いたらみれるとのことだったので案内してもらうことにしました。


後、滝があるらしかったのでそれも。


滝は、山を降りて下にあって、岩場から流れ落ちてきててなかなかよかった。
浴びてる人もいて、私も浴びたい気分だったけど、サリーで着替えもなかったし浴びなかった。
そこはシバのお寺と一緒になっていた。

自然公園みたいなのも併設されてました。そっちは行かなかったけど。
そっちにも滝があるけど、今は雨季じゃないので枯れてるとガイドはいっていました。


そのあと、バラジの奥さんの一人、パドマバティーのお寺に行きました。
無事参拝して、とにかく世界の平安を祈っておいた。

今回、4日の金曜に来るように言われてきたので、バラジハもちろんメインだけど、
女神への参拝に適した曜日なので、女神が目的だったのかもしれない。

そういうわけで、バラジのお母さんと奥さんにお参りできてよかったです。


そして私も女性性をぶった切って剃髪するんじゃなくてフェミニン路線でいきましょうということで。
なんか無理があるような気もしないでもないけど。いやいや、それがたぶん私の修行。笑


相当疲れて、

ホテルでの夕食もジュースとフレンチフライ(フライドポテト)だけ食べて、夜7時に向こうを出発して岐路につきました。

しんどくて、吐くかな、と思ったけど、予想外に5時間完全に爆睡で、次の瞬間、目覚めたらプッタパルティのアパートの前だった。

ついたのは夜中の12時くらいで、

風呂に入って寝ようと思ったんだけど、タクシーでよく寝たので眠くならなかったのでこれかいてます。

今朝4時過ぎ。


今日は朝5時半に目覚ましかけてあるので、あくびがでてきたし、少し寝ます。



さいらむ


関連記事
スポンサーサイト

テーマ:ヴェーダ的生活 - ジャンル:心と身体

【2013/01/05 07:50】 | 小旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<サイババが住んでて毎日ご飯を食べるおうち① | ホーム | ティルパティに行くことにした。>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/2294-e870bd22
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。